川島郭志といえば、“アンタッチャブル”の異名をとった1990年代の名ボクサーだ。卓越した攻守で世界王者に昇りつめ、WBC世界スーパーフライ級王座を6度防衛した。だが、その道のりは決して平坦ではなかった。ライバル対決での敗戦や、思わぬケガ……。現在は都内にジムを開設し、未来の王者育成に力を注ぐ川島に、これまでの人生を振り返ってもらいつつ、日本ボクシング界のこれからについて、二宮清純がインタビューした。その模様を4回にわたってお届けする。
 日本人ボクサーは強くなった?

二宮: 現状の日本ボクシング界は日本ボクシングコミッションがIBF、WBOが認可したこともあって、日本人世界王者は9人を数えています。ボクシング黄金時代を迎えているとの見方がある一方で、王者が多すぎて、世間的な価値が下がってしまうことを危惧する声もあります。
川島: その危機感は僕もありますね。世界戦をやると、ほとんど日本人が勝ってしまう。もちろん、日本人が勝って世界チャンピオンになったり、防衛したりするのは素晴らしいことです。ただ、勝ったり、負けたりするからチャンピオンが出てくる喜びも倍増する。今の流れだと一般の方に飽きられてしまわないか、不安もありますね。

二宮: 昔は世界王者になるだけでも評価されましたが、今は誰に勝ったか、内容も問われます。
川島: 昔だったら、タイトルは剥奪されましたけど、(WBA世界スーパーフライ級王者の)渡辺二郎さんが(WBC同級王者の)パヤオ・プーンタラットと対戦したのを、すごいなと思いながら見ていましたよ。これからはファンを飽きさせないためにも、マッチメイクを工夫しないといけないでしょうね。

二宮: 以前は、たとえばメキシコ人に日本人が勝つのは並大抵のことではありませんでした。ところが、今はメキシカンを全く苦にしていない。日本が強くなったのか、メキシコが弱くなったのか……。
川島: 日本が強くなっているのは事実でしょうね。底辺拡大でU−15にもボクシングを普及させて、全体のレベルを底上げしている。(日本人最速で2階級制覇を達成した)井上尚弥もその中から出てきた選手のひとりです。とはいえ、重量級で世界王者になったり、フロイド・メイウェザーに勝てるクラスの選手が日本から出てきているわけではない。その意味では、まだ発展途上だと感じます。

二宮: 日本人が太刀打ちできないと言われた中重量級ではロンドン五輪ミドル級金メダリストの村田諒太選手が出てきました。試合を重ねるごとに良くなっていると感じますが、川島さんの目にはどう映っていますか。
川島: 徐々にアマチュアのスタイルから脱皮してプロボクサーとして進化してきていると思います。帝拳ジムさんの実績を積ませて、世界に出そうという戦略が今のところ順調に進んでいるのではないでしょうか。

二宮: 金メダルを獲っただけに、右のストレートなどチャンピオンになれる素質は持っていますよね。
川島: でも、ミドル級のクラスになると、やっぱり層はものすごく厚い。どういうタイミングでチャンスをつかむかがポイントになるでしょう。

二宮: 川島さんにとってはヨネクラジムの先輩にあたる日本プロボクシング協会の大橋秀行会長は、昔と比べたらボクサーのトレーニング環境や栄養などのサポートは雲泥の差だと言っていました。日本が強くなった要因はそこにあると。
川島: 確かにそうでしょうね。僕たちの頃は、まだ「体が冷えるから水飲むな」と言われた時代ですから。ヨネクラジムで隠れてトイレで水を飲もうとしたらトレーナーに引っぱたかれましたよ(苦笑)。科学的なトレーニングより、心の鍛錬で試合に勝て、という考え方が根強かったんです。

二宮: サプリメントを摂る習慣もなかった?
川島: その点も僕らは遅れていましたね。やっと食事以外でも体にいいものを摂ろうという発想が広まってきた頃です。

 ロマゴンに勝てるのは井上尚弥だけ

二宮: 日本人の現役世界王者で本物だと感じる筆頭は誰でしょうか。
川島: 井上尚弥が一番でしょうね。彼は試合勘が素晴らしい。昨年末のオマール・ナルバエスとの試合でも、相手が出てこないと見るや先手必勝でどんどん行った。なかなか世界戦であれだけの相手に1Rから行ける選手っていないですよ。おそらく小さい頃から培ってきたものでしょうね。

二宮: 近い将来、3階級制覇はもちろん、それ以上も十分狙えるのではないでしょうか。
川島: スーパーバンタムまでは行けると本人も言っていますからね。階級が上がって相手が大きくなればなるほど、下がったら絶対勝てない。スキあらば先手先手で攻めるという彼のスタイルは階級を上げても通用するはずです。

二宮: いずれは、43戦無敗のWBCフライ級王者ローマン・ゴンサレスとの一騎打ちへの期待も高まります。
川島: ロマゴンと対戦するなら、井上のボクシングを通すことですね。まずは攻められないこと。ロマゴンが苦戦した試合を観ると、相手の選手が先に攻めているんです。

二宮: 攻撃は最大の防御というわけですね。
川島: そうです。ロマゴンの圧力に屈しないで、きちんと応戦する。攻められるとロマゴンも前に出てこられない。井上はパワーもある選手なので、勝つとしたら、彼しかいないでしょう。今は階級も違うので、対戦するタイミングも大事になると思います。

二宮: 井上選手には井岡一翔選手の日本人対決を、という声もあります。ボクシングに対する一般の関心も一気に高まるでしょう。
川島: これもおもしろいでしょうね。今、日本人対決でできるビックマッチといえば、これくらいしかない。今の時代、ファンを惹きつけるカードを提供していくのもボクシング関係者の責任だと感じています。

(第2回につづく)

川島郭志(かわしま・ひろし)プロフィール>
 1970年3月27日、徳島県海部郡海部町(現・海陽町)出身。幼少時から父よりボクシングの英才教育を受け、海南高(現・海部高)時代にはインターハイのフライ級で優勝。高校卒業後、ヨネクラジムに入門し、88年8月にプロデビュー。鬼塚勝也、ピューマ渡久地とともに平成三羽ガラスとして注目を集める。だが、プロ4戦目の東日本新人王決勝戦で渡久地に敗れるなど、挫折も経験。デビューから4年経った92年7月に日本スーパーフライ級王座を獲得する。同王座を3度防衛したのち、94年5月に世界初挑戦。ホセ・ルイス・ブエノ(メキシコ)を判定で下し、WBC世界スーパーフライ級王座に就く。同王座を6度防衛し、約2年9カ月にわたってベルトを保持し続けた。97年2月に敗れて失冠し、現役引退。00年に川島ボクシングジムを開設し、後進の指導にあたるとともに、テレビ中継の解説者としても活躍している。



(構成・写真:石田洋之)


◎バックナンバーはこちらから