10二宮: 今年の夏の甲子園は、四国勢が全て1回戦で敗退しました。昔に比べてレベルが落ちているように感じます。

杉村: 最近、四国勢は弱いですね。四国の子は他の地域の子と比べて体が小さいという印象があります。他の地域をみると、高校生に見えないくらい大きい子がいるじゃないですか。それが多少なりとも影響していると思いますよ。

 

二宮: 体は小さくてもパワーやパンチ力がある選手が多かったのが、昔の四国野球の特長でした。当時は運動神経の­良い子供­­の多くが­野球をやっていた印象があります。

杉村: そうですね。僕らの頃は野球が一番という時代だったので、今みたいにサッカーや他のスポーツに流れることもなかった。僕が高校生の頃は高知県の代表争いは熾烈だったため、ライバル校同士で切磋琢磨する環境が自然と整っていました。あの頃のように、常にベスト4に入り、優勝争いをするくらいにもう一度強くなってほしいですね。僕の母校である高知高は、かつては甲子園の常連校だったのに、ここ6年間は決勝戦で明徳義塾に敗れて甲子園にすら出場していません。

 

二宮: 杉村さんが持っている打撃理論を、四国の子たちに伝授すれば、もう一度蘇るんじゃないでしょうか。

杉村: 今のところは四国に帰ることは考えていません……。ただ僕が教えることで良くなるのであれば、伝えていきたいとは思います。やはり小さい頃からプロが教えたほうが基礎能力は上がりますからね。四国の人間として、何とか四国勢に復活してほしい思いもあります。ゆくゆくは、そういうことも考えなければいけませんね。

 

二宮: 1975年のセンバツで優勝した高知高の同級生で、野球界で活躍されている方はいらっしゃいますか?

杉村: 本多利治が春日部共栄高校の監督をやっていますが、彼のほかには誰もいません。皆それぞれ地元で仕事をしたりだとか、工務店の社長をしていたりだとかバラバラです。

 

二宮: プロで同期だった方は?

杉村: 年齢は違うんですが、同期入団では、今季まで横浜DeNAの指揮を執っていた中畑清さんがいます。同い年だと、巨人の2軍投手総合コーチをしている尾花高夫、去年までウチで監督をしていた小川淳司シニアディレクターもそうでしたよ。こうやって見ると、もう同世代はだいぶ少ないですね。今年、僕は58歳になります。一般の会社員ならもう定年の年齢なのに、まだこうやってユニホームを着られていることに感謝しています。

 

継承される中西イズム

 

二宮: 杉村さんは、西鉄で5度も本塁打王を獲得された中西太さんから打撃指導を受けていますね。

杉村: 僕に打撃のイロハを教えてくれたのは中西さんです。今季までヤクルトのバッティングアドバイザーを務められた伊勢孝夫さんや2001年にヤクルトを日本一に導いた若松勉さん、そして僕は中西さんの弟子です。3人とも同じ打撃理論を持って指導者になっているので、今でもヤクルトの打撃は中西さんの教えがベースになっていますよ。

 

11二宮: 中西さんの打撃論は­「軸足で力を蓄えて、(前足の)着地と同時に爆発­させる」というものです。

杉村: はい。大事なのは下半身ですね。下半身で­しっかりと­ボールを呼び込んで、強い­打球を打つ。­これが基本ですね。

 

二宮: 内転筋­重視ということを­よく仰っていましたね。­­

杉村: 中西さん自身も­そういう­バッティングですからね。インサイドは勿論、その同じ形で­回転して­いくという。

 

二宮: 今年のヤクルトといえば、2番に強打者を置くという攻撃的な布陣でした。まるで、豊田泰光さんを2番に据える三原脩監督時代の西鉄を彷彿とさせるような打順でした。

杉村: そうなんですか! いやいや、僕は昔の野球というものを勉強したことがないので、知らなかったです。僕ら子供の頃は、四国は“ミスター(長嶋茂雄)”一色でしたからね(笑)。

 

二宮: てっきり、これも三原さんから伝わった中西イズムかと思いましたよ(笑)。それを杉村さんが踏襲したのかと。日本シリーズでの活躍を期待しています。

杉村: ここまできたら、やりますよ。最後まで頑張って、みんなに最高の景色をみせてあげたいですね。

 

(おわり)

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3<杉村繁(すぎむら・しげる)プロフィール>

1957年7月31日、高知県高知市出身。高知高時代は、3度甲子園に出場。3年春は東海大相模高との決勝で、延長13回表に決勝打を放ち、優勝に貢献した。「中西太二世」の異名を取り、76年にドラフト1位指名でヤクルトに入団。11年のプロ生活で147安打を記録し、87年に現役を引退した。その後は球団広報などフロント業務を務め、00年からは若松勉監督のもと打撃補佐コーチに就任する。08年に横浜の一、二軍巡回打撃コーチとなり、13年には二軍打撃コーチとして再び古巣に復帰。14年から一軍打撃コーチに昇格した。背番号74。

 

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(構成・写真/安部晴奈)

 

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