ナシオナル・モンテビデオ対ノッティンガム・フォレスト。ビクトリーノ対フランシス。ロドリゲス対シルトン。世界最高峰のストライカー対決と、同じく最高峰の守護神対決。第1回のトヨタカップは、高校生だったわたしにとって夢の大会だった。

 

 日本にいながら、世界の真剣勝負を体験できる。それがどれほど画期的だったことか。サッカーの人気は大きくラグビーに水をあけられ、天皇杯決勝でさえ2万人入れば御の字という時代だったが、以後、トヨタカップだけは確実に国立競技場が超満員になった。

 

 あれから35年。すっかり空席が目立つようになった準決勝までのクラブW杯を眺めながら、わたしは、大会を日本で開催する意義が薄れてきていることを痛感していた。もはや、日本にいながらにして世界中の真剣勝負が生放送で楽しめる時代である。

 

 クラブ世界一決定戦とうたわれてはいるが、欧州勢のモチベーションがCLに比べると格段に落ちているのは明らかだった。寒い中、わざわざそんな試合を観に行かなくても――少なくともわたしは、そう思っていた。

 

 抜けていた着眼点が、一つあった。

 

 トヨタカップしかり。クラブW杯もまたしかり。なぜ観に行くかと言えば、世界の技術や組織を目の当たりにしたいからだった。実は、トヨタカップとクラブW杯の間には大きな違いがあったのだが、いままでのわたしは、そこをすっかり失念していた。

 

 日本の存在である。

 

 ACLを制したチーム、あるいはJの王者が大会に出場することは、もちろん知っていた。だが、そうしたチームが決勝に進出する可能性を、わたしはまるで頭に入れていなかった。行けるわけがないと、心の底から思い込んでいた。欧州や南米のビッグクラブは、まさしく地上から“銀河系”を眺めるがごとき存在だった。

 

 鹿島対レアルの一戦は、そんな虚像にヒビを入れた。

 

 レアルは強い。鹿島よりも強い。そのことについては、鹿島の選手たちも異論はないだろう。だが、彼らは気づきもしたはずだ。レアルとの距離は、地球と銀河系ほどのものではなく、ひょっとすると到達できるかもしれない距離だということに。

 

 海外組ばかりを重用する歴代の代表監督に苛立ちを覚えつつ、それでも、わたしの中にはどこか「仕方がないな」と思うところもあった。これからは違う。わたしは変わるし、おそらくはファンも変わる。

 

 想像していただきたい。もし柴崎の海外移籍が叶わなかったら。来季も鹿島でプレーすることになった彼が、ゆえに代表で使われなかったら、ファンは、メディアは黙っているだろうか。

 

 鹿島が“銀河系軍団”と演じた死闘は、ひょっとすると、日本のサッカーを変える。間違いなく言えるのは、来年以降のクラブW杯が、わたしにとって再び夢の大会になった、ということである。

 

<この原稿は16年12月22日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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