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田崎健太「国境なきフットボール」

第41回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.5>

 松井への初めての取材は2005年5月、その後2006年4月にも話を聞いている。 ルマンのスタジアムが良くなったのだと松井は教えてくれた。一部リーグに昇格したことで、放映権の分配額が増えたのだ。「ロッ
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田崎健太「国境なきフットボール」

第40回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.4>

 松井が初めて実際にフランスサッカーに触れたのは、かなり早い時期――中学三年生の時だった。高校進学が決まり、部活の練習がなくなったので、国外を見てくればいいと父親から勧められた。父親は英語圏の国を念頭
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田崎健太「国境なきフットボール」

第39回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.3>

 2004年に移籍を決めた時、松井はルマンが二部だということが気にならなかったのだろうか。欧州の二部に移籍することを、拍子抜けのように書いていた報道もあった。「最初は、ああ二部かぁ、どうしょうかなぁみ
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田崎健太「国境なきフットボール」

第38回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.2>

 初めて取材する人間と会う時は、遅刻はもっての他としても、あまり早めに到着し過ぎないようにしている。時間があると考えすぎてしまうことがあるからだ。だいたい約束の5分から10分前が丁度いい。 ところが、
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田崎健太「国境なきフットボール」

第37回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.1>

 彼に初めて会ったのは、もう5年以上前のことだ。 2005年5月、ぼくは南仏にいた。以前もこの連載で何度か書いたように、モンペリエでプレーしていた廣山望選手の単行本『此処ではない何処かへ』がきっかけで
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田崎健太「国境なきフットボール」

第36回 カズのいないW杯<Vol.6>

 1998年6月10日、W杯フランス大会が開幕した。初戦は前回優勝国のブラジルがスコットランドと対戦した。 この頃、南米大陸の全ての国を回って、ぼくはサンパウロに戻ってきていた。しばらく空けていたサン
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田崎健太「国境なきフットボール」

第35回 カズのいないW杯<Vol.5>

 ミネソタの病院で医師から、納谷は余命一年と告げられた。 ただし――生き続けるには一つだけ方法があると付け加えた。「肝臓を移植することです」「それで生きられるのか?」 納谷は通訳に尋ねた。(写真:19
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田崎健太「国境なきフットボール」

第34回 カズのいないW杯<Vol.4>

 半年ほど前から、体調が優れなかった。(暑さに弱くなった。50才に近くなって身体が弱くなったかな) 三浦知良の父親、納谷宣雄は照りつける太陽を眩しそうに見上げた。身体がだるく、立っていられないほどの疲
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第33回 カズのいないW杯<Vol.3>

 週刊誌の現場は楽しかった。 芸能、事件などを追いかけ、様々な人に話を聞いた。仕事を覚えるために最初は、必死で走り続けるしかなかった。 そのうち、自分の中で不満が溜まるようになってきた。(写真:日本か
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第32回 カズのいないW杯<Vol.2>

「おう、ここだ」 待ち合わせのホテルの喫茶店に入って、辺りを見回していると、野太い声がした。声の方向を見ると、白髪の男が手を挙げていた。 ずいぶん予想と違っていた。 写真誌の記事にぼくも影響を受けてい
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