第480回 34歳なお成長 西岡の「ネバー・セイ・ネバー」 二宮清純 2011年4月13日 第480回 34歳なお成長 西岡の「ネバー・セイ・ネバー」2015-09-13T00:59:01+00:00 二宮清純「唯我独論」 「ネバー・ギブ・アップ」。言うは易し、行うは難しだ。9回、狙いすました左ストレートで6度目の防衛を果たしたWBC世界スーパーバンタム級王者・西岡利晃。「不屈」という言葉が彼ほど似合う男はいない。 西岡 続きを読む
第434回 監督も大物ルーキーも待っていた「復帰」 北海道日本ハム・小谷野栄一内野手 二宮清純 2011年4月12日 第434回 監督も大物ルーキーも待っていた「復帰」 北海道日本ハム・小谷野栄一内野手2015-09-13T00:47:00+00:00 二宮清純「プロ野球の時間」 この男が復帰して一番喜んでいるのは、おそらくルーキーの斎藤佑樹ではないか。 打ってよし、守ってよし。この男がスタメンに名を連ねているのといないのとでは大違いである。 故障していた北海道日本ハムの小谷 続きを読む
第479回 今こそ力士は被災地で鎮魂の四股を 二宮清純 2011年4月6日 第479回 今こそ力士は被災地で鎮魂の四股を2017-01-31T18:58:39+00:00 二宮清純「唯我独論」 江戸が火の海に包まれたのは今から354年も前のことだ。旧歴の1月、北西からの強風にあおられ、まちの6割以上が焦土と化し、10万人を超えると言われる人命が失われた。明暦の大火、俗に振袖火事と呼ばれてい 続きを読む
第433回 独立リーグで牙を研いで待つ選択もある 工藤公康投手 二宮清純 2011年4月5日 第433回 独立リーグで牙を研いで待つ選択もある 工藤公康投手2015-09-13T00:47:00+00:00 二宮清純「プロ野球の時間」 47歳のサウスポー、工藤公康は目下、浪人中である。まだ現役復帰を諦めていない。 右足のふくらはぎ、左ヒジ、左肩に不安があるため投球練習はしていないが、毎朝、横浜市内の自宅近くをジョギングしている。 続きを読む
ラスト40メートルからの魂の激走 為末大 二宮清純 2011年4月3日 ラスト40メートルからの魂の激走 為末大2015-09-13T01:00:41+00:00 二宮清純「ノンフィクション・シアター・傑作選」 東日本大震災を受け、真っ先に被災地への支援を呼びかけたアスリートがいる。エドモントン、ヘルシンキ世界陸上選手権男子400メートルハードル銅メダリストの為末大だ。 為末はこれまでにも、フィールド外にお 続きを読む
第478回 ストライクゾーン広げて試合時間短縮を 二宮清純 2011年3月30日 第478回 ストライクゾーン広げて試合時間短縮を2015-09-13T00:59:01+00:00 二宮清純「唯我独論」 プロ野球史に残る名勝負といわれる1979年の広島対近鉄の日本シリーズ第7戦。世にいう“江夏の21球”で広島が4対3で近鉄を振り切り、球団史上初の日本一に輝いた。 手に汗握りながらテレビにかじりついて 続きを読む
第432回 落合vs.星野vs.野村 二宮清純 2011年3月29日 第432回 落合vs.星野vs.野村2015-09-13T00:47:00+00:00 二宮清純「プロ野球の時間」 しゃべり出したら止まらない。球界の“二大おしゃべり”と言えば、東北楽天前監督の野村克也と中日・落合博満監督だろう。 ただ、この二人には決定的な違いがある。 ノムさんが、多少の好き嫌いはあるにせよメデ 続きを読む
第477回 “弱者に寄り添う気持ち”球界に必要 二宮清純 2011年3月23日 第477回 “弱者に寄り添う気持ち”球界に必要2015-09-13T00:59:01+00:00 二宮清純「唯我独論」 大震災が起きた日、私は京都にいた。ボクシングの元OPBF東洋太平洋バンタム級王者・村田英次郎(現エディ・タウンゼントジム会長)を取材するためだ。大阪府高槻市のジムから最寄り駅まで車で村田に送ってもら 続きを読む
第431回 開幕投手の「苦い味」を知る者の心中は…… 東北楽天・佐藤義則1軍投手コーチ 二宮清純 2011年3月22日 第431回 開幕投手の「苦い味」を知る者の心中は…… 東北楽天・佐藤義則1軍投手コーチ2015-09-13T00:47:00+00:00 二宮清純「プロ野球の時間」 開幕投手を誰にするか。これはピッチングコーチにとって一番、頭の痛い問題である。あちらを見れば、こちらが立たず、というわけだ。 自他ともに認める大エースがいれば、頭を痛める必要はない。しかし、同等の力 続きを読む
剛腕、海を渡る 田澤純一 二宮清純 2011年3月20日 剛腕、海を渡る 田澤純一2015-09-13T01:00:41+00:00 二宮清純「ノンフィクション・シアター・傑作選」 田澤純一はNPB(日本プロ野球組織)の指名を回避して、メジャーリーガーとなった初の日本人プレーヤーだ。2008年、NPB入りを拒否した田澤は、ボストン・レッドソックスと3年契約を結んだ。その決断は 続きを読む