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田崎健太「国境なきフットボール」

第49回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.6>

田崎健太「国境なきフットボール」(第2金曜更新)

 呂比須にとって最も輝かしい経歴は、1998年のフランスW杯出場だろう。 前年、マレーシアのジョホールバルで行われたアジア第3代表決定戦で日本代表はイラン代表に勝利し、W杯初出場を決めていた。日本人と
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田崎健太「国境なきフットボール」

第48回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.5>

田崎健太「国境なきフットボール」(第2金曜更新)

 数年前からブラジルサッカー界は、国の好況の影響を受けて、高年俸の選手が増えている。その象徴が、08年12月にコリンチャンスへ移籍したロナウドだった。彼の月収は180万レアル、日本円に換算して約900
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田崎健太「国境なきフットボール」

第47回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.4>

田崎健太「国境なきフットボール」(第2金曜更新)

 選手や監督に取材する場合、最も気になるのは現在彼らがどんな状況にあるかということだ。選手ならば好調で得点を決めている時が望ましい。監督ならばチームの成績が上位にある時の方が口が滑らかになる。 (写真
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田崎健太「国境なきフットボール」

第46回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.3>

田崎健太「国境なきフットボール」(第2金曜更新)

 エドゥー率いるアトレチコ・ソロカーバと北朝鮮代表の試合は平壌の金日成スタジアムで行われた。 掲示板に、ソロカーバではなく、『BRAZIL』と出ているのを、ちらりと見てエドゥーは苦笑いした。「ぼくらは
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田崎健太「国境なきフットボール」

第45回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.2>

田崎健太「国境なきフットボール」(第2金曜更新)

 アトレチコ・ソロカーバ(ブラジル)は少々変わったクラブである。 ソロカーバは、サンパウロ州の南西、サンパウロ市からは西92キロの場所にある。人口約58万人、サンパウロ州で5番目に大きな街である。 ブ
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田崎健太「国境なきフットボール」

第44回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.1>

田崎健太「国境なきフットボール」(第2金曜更新)

 Jリーグが始まってから、20年近くになる。 日本サッカーの長足の進歩――1998年フランス大会からの4大会連続のW杯出場は、Jリーグでプレーしてきた選手たちの積み上げの結果だ。そこに、大きく力を貸し
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田崎健太「国境なきフットボール」

第43回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.7>

田崎健太「国境なきフットボール」(第2金曜更新)

 2006年11月11日、ぼくはフランスのルマンにいた。 日が沈んで試合時間が迫ると、川沿いのホテルから歩いてスタジアムに向かった。スタジアムに近づくと、ほのかな街灯の中に、ルマンのユニフォームを着た
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田崎健太「国境なきフットボール」

第42回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.6>

田崎健太「国境なきフットボール」(第2金曜更新)

 2006年5月15日、フランスリーグ終了後、松井は日本に帰国した。ちょうどこの日、日本サッカー協会で、ドイツW杯の登録メンバーが発表されることになっていた。 4年に一度のワールドカップはサッカー選手
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田崎健太「国境なきフットボール」

第41回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.5>

田崎健太「国境なきフットボール」(第2金曜更新)

 松井への初めての取材は2005年5月、その後2006年4月にも話を聞いている。 ルマンのスタジアムが良くなったのだと松井は教えてくれた。一部リーグに昇格したことで、放映権の分配額が増えたのだ。「ロッ
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第40回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.4>

田崎健太「国境なきフットボール」(第2金曜更新)

 松井が初めて実際にフランスサッカーに触れたのは、かなり早い時期――中学三年生の時だった。高校進学が決まり、部活の練習がなくなったので、国外を見てくればいいと父親から勧められた。父親は英語圏の国を念頭
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