ページのトップへ

田崎健太「国境なきフットボール」

第51回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.8>

  サッカークラブ経営をやってみたいと考える人間は少なくない。プロサッカー選手の経験のある人間は特にそうだろう。 才能ある選手を発掘し、育成し、強いチームを作る。自分ならば、選手を見る目があるし、もっ
続きを読む
田崎健太「国境なきフットボール」

第50回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.7>

 Jリーグに来たブラジル人選手は数多い。知名度で順に並べていくならば、ジーコ(元鹿島)、カレッカ(元柏)、レオナルド(元鹿島)、ジョルジーニョ(元鹿島)、エジムンド(元浦和)、ベベット(元鹿島)――。
続きを読む
田崎健太「国境なきフットボール」

第49回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.6>

 呂比須にとって最も輝かしい経歴は、1998年のフランスW杯出場だろう。 前年、マレーシアのジョホールバルで行われたアジア第3代表決定戦で日本代表はイラン代表に勝利し、W杯初出場を決めていた。日本人と
続きを読む
田崎健太「国境なきフットボール」

第48回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.5>

 数年前からブラジルサッカー界は、国の好況の影響を受けて、高年俸の選手が増えている。その象徴が、08年12月にコリンチャンスへ移籍したロナウドだった。彼の月収は180万レアル、日本円に換算して約900
続きを読む
田崎健太「国境なきフットボール」

第47回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.4>

 選手や監督に取材する場合、最も気になるのは現在彼らがどんな状況にあるかということだ。選手ならば好調で得点を決めている時が望ましい。監督ならばチームの成績が上位にある時の方が口が滑らかになる。 (写真
続きを読む
田崎健太「国境なきフットボール」

第46回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.3>

 エドゥー率いるアトレチコ・ソロカーバと北朝鮮代表の試合は平壌の金日成スタジアムで行われた。 掲示板に、ソロカーバではなく、『BRAZIL』と出ているのを、ちらりと見てエドゥーは苦笑いした。「ぼくらは
続きを読む
田崎健太「国境なきフットボール」

第45回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.2>

 アトレチコ・ソロカーバ(ブラジル)は少々変わったクラブである。 ソロカーバは、サンパウロ州の南西、サンパウロ市からは西92キロの場所にある。人口約58万人、サンパウロ州で5番目に大きな街である。 ブ
続きを読む
田崎健太「国境なきフットボール」

第44回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.1>

 Jリーグが始まってから、20年近くになる。 日本サッカーの長足の進歩――1998年フランス大会からの4大会連続のW杯出場は、Jリーグでプレーしてきた選手たちの積み上げの結果だ。そこに、大きく力を貸し
続きを読む
田崎健太「国境なきフットボール」

第43回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.7>

 2006年11月11日、ぼくはフランスのルマンにいた。 日が沈んで試合時間が迫ると、川沿いのホテルから歩いてスタジアムに向かった。スタジアムに近づくと、ほのかな街灯の中に、ルマンのユニフォームを着た
続きを読む
田崎健太「国境なきフットボール」

第42回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.6>

 2006年5月15日、フランスリーグ終了後、松井は日本に帰国した。ちょうどこの日、日本サッカー協会で、ドイツW杯の登録メンバーが発表されることになっていた。 4年に一度のワールドカップはサッカー選手
続きを読む