
シドニー、アテネ、北京、ロンドンと4大会連続でパラリンピックに出場し、日本の車椅子バスケットボール界を牽引してきた京谷和幸。ロンドンパラリンピック後、現役を引退した彼は今、次なる目標へと向かっている。かねてから希望していたサッカーの指導者への道だ。昨年12月にはC級ライセンスを取得し、来年にはB級取得を目指しているという京谷。新たなるスタートを切った彼に、二宮清純がインタビューした。
二宮: 4度目の出場となった昨年のロンドンパラリンピックでは、ベスト4進出を目指していましたが、結果は予選リーグ敗退となりました。
京谷: 若いチームでしたから、経験という点では不足していたのは否めません。ただ、大きな可能性を秘めたチームだなとは思いましたね。なにしろ藤本怜央、香西宏昭と、世界からマークされるような日本人選手が2人も出てきたわけですから。
二宮: 若い選手が多い中で、経験豊富な京谷さんの存在はチームにとって大きかったのでは?
京谷: プレーの質という点では高いものはもっているのですが、メンタルの面ではムラがあるチームでした。そういう部分で、気持ちが落ちている時に、いかにそれ以上落ちないようにするか、それが最年長である僕の役割でしたね。一プレーヤーではあったのですが、プレーヤー同士の中においてはコーチ的存在でした。
二宮: 予選リーグ敗退の原因は何だったのでしょう?
京谷: コートの中でのリーダーの不在が大きかったと思います。若いだけに勢いに乗ると強さを発揮できるのですが、何かひとつでも歯車が狂うと、バタバタッと崩れていくんです。もちろん、タイムアウトがかかれば監督やコーチの指示で立て直すことはあるのですが、タイムアウトが取れない時もある。そういう時に、適切な指示を出せるゲームリーダーがいなかったかなぁという感じがしましたね。
きっかけは元スター選手との対談二宮: ロンドンでの試合が終わって1週間後には引退を発表されました。
京谷: はい、もうこれはロンドン前から決めていたことでした。実は北京パラリンピックを終えた時に、日本代表からは引退しようと考えていたんです。でも、その後、いろいろな人から「次も頑張って」という声をかけていただいたこともあって、「もう一度、ロンドンを目指して頑張ろうかな」と。でも、ロンドンが終わったらプレーヤーとしても引退をしようと。そういう気持ちで4年間、取り組んできましたし、次の目標がはっきりしていたので、ロンドンが終わった後は意外とサバサバしていましたね。
二宮: 「次の目標」とは、以前から宣言していたサッカー指導者への道?
京谷: はい、そうです。
このつづきは
>>「挑戦者たち」〜二宮清純の視点〜 でお楽しみください!
◎バックナンバーはこちらから