
元ヤクルトの古田敦也は18年の現役生活で2人の監督に仕えている。
ひとりが野村克也(現楽天監督)、もうひとりが先ごろ、野球殿堂入りを果たした若松勉だ。
その古田が両監督の違いについて、こう語っている。
「(若松監督は)任されているから『やらなければいけない。成績を残さないといけない』と強く思いました。僕らが練習をしっかりやれば、若い選手はやらないわけにはいかないわけです。
(対して)野村監督は『ついていけば勝てる』と思わせる監督で、若松監督は『この人を優勝させたい』と思わせる監督。どっちがいいかが人それぞれでしょうけど、胴上げのときは、若松監督のほうが高く上がった(笑)。選手の気持ちが入っていますからね」(1月17日、アマチュア指導者講習会より)
暗に若松監督の方がやりやすかったと言っているようなものだ。
若松ヤクルトがリーグ優勝、日本一を果たしたのは2001年だが、古田は実質的なプレーイングコーチだった。ピッチャーの継投や内外野の守りのフォーメーションは古田が取り仕切っていたと言われる。
若松が素晴らしいのは、わからないことはわからないとはっきり言えるところだ。2人の間でどんなやり取りがあったかは知らないが、きっと「オレはバッテリーについては素人だ。オマエに任す」。そのような会話があったのだろう。
だから「古田はプレーイングマネジャーとしては失敗した」というのは正しくない。01年は確かにプレーイングマネジャーではなかったが、プレーイングコーチ的な役割は果たしていた。
そんなこともあって古田にとっては野村監督の下での3度の日本一より、若松監督の下での1回の日本一の方が印象深いのだろう。
(vol.2につづく)
<この原稿は「経済界」2009年2月24日号に掲載されたものを元に構成しています>
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