若松の現役時代の実績については改めて説明する必要もあるまい。公称こそ身長168センチだが、実際には166センチしかなかったと本人が明かしている。
 こんな小さな体で通算打率3割1分9厘をマーク。これは日本人選手としては歴代1位(4000打数以上)の数字だ。打率3割以上もプロ19年で12回マークしている。72、77年には首位打者にも輝いた。
 78年、ヤクルトが初めてリーグ優勝、日本一を達成した際には3番センターとして大活躍した。
 さらには77年、史上2人目の2試合連続代打サヨナラホームランという離れ業をも演じている。記録にも記憶にも残る大打者――それが若松勉だ。

 こんな名言も残している。
「もう少し体が大きかったら、今の僕はなかった」

 若松の師といえば中西太だ。中西道場でのトレーニングは凄惨を極めた。
 バッティングのみならず、相撲の四股や鉄砲も行って、足の皮がはがれ、マメができた。
「このハードな練習に最後までついていったのはオレと内田(順三・現広島打撃統括コーチ)だけだった」
 若松はそうも語っている。

 選手としても監督としても成功しながら、地味な性格が災いしてか、どうも球界の中では影が薄い。
 オレがオレがというタイプの集まりである名球界の中では異色のタイプといっていいだろう。

 昨年の秋にはWBC日本代表監督の人選を巡り、王貞治コミッショナー特別顧問が、「(若松は監督として)日本一になった経験もあるし、人間的にも申し分ない」と非公式ながら提案したが、一顧だにされなかった。

「星野(仙一)ほどの政治力があれば、日本代表監督になれていたのに……」
 ある古手の記者はそう言って苦笑を浮かべていた。

 若松といえば、今でも語り草になっているのがリーグ優勝を果たした直後のインタビューだ。
「ファンの皆様、本当にありがとうございます」と言うべきところを「ファンの皆様、本当におめでとうございます」とやってしまったのだ。飾らない人柄がにじみ出ていた。

 よく「なりたい政治家」よりも「ならせたい政治家」などと言う。その伝に従えば若松は「もう一回ならせたい監督」の筆頭ではないか。
 野球殿堂入りを果たすと“一丁上がり”というイメージがあるが、もう一度ユニホームを着せたいと思っているのは、きっと私だけではあるまい。

(おわり)

<この原稿は「経済界」2009年2月24日号に掲載されたものを元に構成しています>
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