18.44メートルをはさんで初めて対決したのは、今から7年前のことだ。
 1998年のセンバツ甲子園。村田修一がエースで3番の東福岡は3回戦で松坂大輔(現ライオンズ)擁する横浜と対戦した。
 九州地区屈指の本格派投手と言われた村田だが、バッティングにはもっと自信があった。
「どれだけ凄いか、この目で確かめてやろうじゃないか」
 しかし、結果は4打数ノーヒット。うち三振が2つ。
「手も足も出ませんでしたね」
 苦笑を浮かべて村田は“松坂体験”を語りはじめた。
「松坂が投げるボールは九州では見たこともないようなボールでした。真っすぐも速かったけど、もっと凄かったのはスライダー。それこそ“ビシューッ”と音を立てて曲がるんです。ある打席で回転のいいボールがインコースに来た。真っすぐだと思ってよけると、なんと外角いっぱいに決まった。“何だコイツ、反則だろ”と思いましたよ。速さだけなら新垣渚(沖縄水産−九州共立大−ホークス)も速かったけど、松坂にはまとまりがあった。“あー、こういうピッチャーがプロに行くんだな。自分たちとはレベルが違うんだ”ということを教えられたような気がしました」
 試合は0対3と完敗。村田は松坂にレフトスタンド直撃の2塁打まで打たれた。これが決勝打となった。
 ピッチャーとしてもバッターとしても村田は松坂に格の違いを見せつけられた。
「今回は優勝するつもりで来ています」
 胸を張ってハキハキとインタビューに答える松坂の姿が村田にはまぶしかった。
 夏、再び甲子園に戻ってきたが、愛知の豊田大谷に1回戦で敗れた。ここには超高校級スラッガーの古木克明(現べイスターズ)がいた。

 後に「松坂世代」と呼ばれる豊穣の年だった。
 いくつかの球団から誘いがかかった。しかし松坂の幻影を振り払うようにして、村田は大学(日大)に進んだ。大学では野手一本で行こうと最初から決めていた。
「松坂をはじめ、僕らの世代にはいいピッチャーがたくさんいた。こいつらに投げ勝つのは、ちょっと無理だろうなと諦めに似た気持ちもありました。それに元々バッティングの方が好きだったし……。大学に入る時点で、ピッチャーに対する未練はもうなかったですね」
 高校時代からバッティングには自信があった。体はさほど大きくなかったが、芯に当たればボールをフェンスの向こうに運ぶ力を秘めていた。
 大学に入り、野手一本に絞ったことで、スラッガーとしての資質が一気に開花した。
 大学通算20本塁打。この記録は東都リーグ史上、通算2位タイにあたる。同じ年代には巨人の木佐貫洋(亜大)や広島の永川勝浩(同)らがいた。
「木佐貫とは大学時代から真っすぐ勝負をしていました。彼はきれいな回転のかかったストレートを投げていた。勝負し甲斐のあるピッチャーでした」

 ドラフト自由枠でベイスターズに入団。1年目から村田は天国と地獄を経験した。
 5月28日までにホームランを14本も放ち、周囲を驚かせた。これまでルーキーのホームラン記録は桑田武(元大洋)と清原和博(巨人)が持つ31本。記録の更新に期待が高まった。
 しかし、夏が近づくにつれて調子を落とし、後半戦開始と同時に2軍に落ちた。
 振り返って村田は言う。
「最初のうちは相手のピッチャーのことがよくわからないから、ストライクを取りにくる甘いボールを逃さずに打っていました。しかし、やはりプロは甘くない。徐々に僕に対する攻めが厳しくなり、簡単には打たせてくれなくなりました」
 捨てる神あれば拾う神あり。2軍で村田は田代富雄打撃コーチ(現1軍コーチ)からバットの振り方を徹底して指導された。
「テイクバックした状態から、そのままバットを左の腰にもっていけと。もう、そればっかり。僕の場合、悪くなるとバットが遠回りして出てくるようになる。そこを直されました」
 さらに村田は続けた。
「今も打席に入って考えているのは体が開かないこと、それだけです。レフトへ大きいのを打とうとすると、どうしても体が早く開いてしまう。こうなると結果は残せません。
 だから狙うのはセカンドの頭の上あたり。右方向に打とうという気持ちがあれば、こちらからボールを追いかけることもなくなりますから……」
 1年目の9月、村田は見事スランプから立ち直り、月間10本塁打をマークし、セ・リーグの月間MVPに選ばれた。
 トータルでのホームラン数は背番号と同じ25本。荒さも同居していたものの、スラッガーとしての資質の高さを証明した。

 しかし2年目、村田は“2年目のジンクス”に見舞われる。
 打率こそ2割4分2厘と前年より1分8厘もアップさせたものの、自慢の長打力には陰りが見られた。ホームランは25本から15本へと急降下。チグハグなシーズンだった、と言って村田は唇を噛んだ。
「2年目は内角を厳しく攻められました。こちらが内角に狙いを絞っていると、今度は外のボール、あるいは高目……。結果が出ないと、どうしても焦ってくる。焦ってボール球に手を出すと、それこそピッチャーの思うツボ。それがわかっていながら、なかなか思うようなバッティングができなかった……」
 チームは2年連続最下位。知らず知らずのうちに下を向くことが多くなっていった。
「下を向くな!胸を張って野球をやれ!」
 ズシリと胸に響く言葉だった。声の主は今季から監督に就任した牛島和彦。細かいアドバイスは一切なし。掛けられた言葉はただその一言だけ。いま村田はその言葉の重みをひとりで噛み締めている。
 5月20日からは交流戦で西武と対決する。松坂への7年越しのリベンジはなるのか。
「一本くらいは打ちたいですね」
 決意を秘めたような口ぶりで若きスラッガーは言った。

<この原稿は2005年6月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>
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