二宮: いよいよプロ野球が開幕したということで、今日は東尾さんにお来しいただき、じっくりとお話をうかがいたいと思っております。
東尾: お酒を飲みながら野球の話ができるというのは、本当にいいよね。今日は楽しくやりましょう(笑)。


二宮: まず3月20日にパ・リーグが開幕しましたが、東尾さんは古巣の埼玉西武ライオンズを優勝候補の筆頭に挙げられています。
東尾: この時期にいつも思うのは、強いチームの出身で本当によかったということ。弱いチーム出身だと、優勝するなんて言うとさ、なかなか辛いものがあるじゃない(笑)。ただ、最近はテレビとかで優勝チーム予想や順位予想っていうのも、あまりやらなくなってきたよね。パ・リーグとセ・リーグでバラバラに開幕するのがよくないのかな。

二宮: 以前はテレビ各局のニュースや新聞、雑誌、どこでも開幕前予想をしていたものです。
東尾: 評論家が何人か出てきて、議論したりしてね。この時期の予想はあまり当たらないからか、最近本当に少なくなってきて、寂しい気もするよね。

 名伯楽から見た大物ルーキー

二宮: キャンプから開幕前まで話題を独占したのは、埼玉西武の大物ルーキー・雄星でした。東尾さんといえば、西口文也(埼玉西武)や松坂大輔(ボストンレッドソックス)など、球界を代表するエースを育ててきた名伯楽です。東尾さんから見た期待のルーキーは?
東尾: うーん、はっきり言って“よくない”という評価ですね。これは本人がというだけでなく、周りも含めてのことだね。(渡辺)久信(監督)も潮崎(哲也)、橋本(武広)というコーチも、扱いにくそうにしている。たしかに雄星にはかわいそうな面もある。同じように甲子園のスターで西武に入った(松坂)大輔と、どうしても比較されてしまうから。オレが初めて直接見たのは1月下旬、所沢でだったかな。その時は、“お、やっぱりいいな”と思ったんだよ。でも、大輔と比較されることで、どうしてもハイペースの調整になってしまった。2月のキャンプで張り切りすぎて、3月のオープン戦ではバテバテに。これはもう、最悪だよね。高校生の頃と全然違うんじゃないかな、頭でっかちになって知恵ばかりが先走ってしまっているような感じがするね。

二宮: 真面目すぎるんでしょうか?
東尾: そう、本が好きというのはいいんだけど、勉強して脳にばかり詰め込むっていうのはあまりね。18歳から色んな講釈が入りすぎなんだよ。まるでプロで10年くらいやっているベテラン選手がいうようなことを口にしたりする。“体の回転はこうだ”とか“トップの位置がどうだ”とか。ルーキーなんだから、もっとがむしゃらにやらなくちゃ。

二宮: 20年くらい前の渡辺久信や工藤公康はもっとヤンチャだった。
東尾: そうそう。でもこの状況は周りにも責任がある。コーチ陣もまるで腫れ物を触るような扱いになっている。まるでお客さんに接しているみたい。たしかにあれだけの逸材だから、“うまくいかなかったらお前のせいだ”となってしまうかもしれない。それでも、言うべきところは言っていかないといけないと思うな。

二宮: 読書好きで真面目。プロ野球選手にはあまりいなかったタイプですね。
東尾: いやもう、初めて聞くよ。プロ野球の世界というのは、ちょっと変わったタイプの人間が多い。でも、好青年というのは珍しいよね。だから、この後、雄星がプロ野球という独特の世界の中で、どんな風に成長していくのか。もちろん、グラウンドの中でもそうだし、だんだんと大人になっていって、遊びにいったりお酒を覚えていったり。人間としてもどんな風になっていくか、そしてどんなピッチャーになっていくかは、楽しみといえば楽しみな部分かな。素質はいいものを持っているんだから、大きく育ってもらいたいね。

 フル回転で投げた現役時代

二宮: 通算251勝を挙げている東尾さんの現役時代を振り返ってみると、本当に波乱万丈です。4年目には25敗もしていますが、一方で勝ち星も18。もう少し強いチームにいたら、通算で350勝くらいあげていたかもしれません。
東尾: よくそういう風に言ってもらえるんだけど、僕は西鉄という弱いチームにいたからこそ、ここまで来ることができた。そんな強いチームにいたら、スタートの時点からずっとファームにいて、一度も上がってこれなかったかもしれない。プロ2年目に“黒い霧事件”が起こって、それで1軍に上がれたわけだから……。

二宮: やはり、あの事件はショックだったでしたか。
東尾: 1年間だけ一緒にやっていた先輩達がいきなりいなくなってしまったからね。1年目は全く使ってもらえなかったピッチャーが、2年目からいきなり先発になってしまった。

二宮: 当時は中2日、中3日で投げていましたね。
東尾: オレと河原(明)、柳田(豊)と3人でローテーションを回していたから。

二宮: あれだけ投げて、よく肩が壊れませんでしたね。
東尾: それは、当時の常識がそういうものだったからですよ。さっきの雄星の話じゃないけど、球数は多く投げないほうがいいという情報がメジャーの方から入ってきて常識を覆すことになったけれど、中2日、3日で投げなきゃいけないという風に考えていれば、身体は回復するものです。当時はそれが常識だから、脳がそういう常識の中で動いてる限りは持つもの。日本シリーズでの連投だって同じことです。ただし、その方法を続けていって、プロ野球選手として、長持ちするかどうかはわからない。稲尾(和久)さん(故人)とか杉浦(忠)さん(故人)のように、どんどんとマウンドに上がっていってすごい結果を出したから、実動10年くらいで終わってしまうということはあるかもしれない。

二宮: 東尾さんもピーク時には登板回数が51とか55とか。先発投手でこの数字ですから、驚きです。今は1年間、ローテーションを守っても28くらいです。
東尾: そうですよね。しかも、この時は130試合だからね。

二宮: これは驚異的ですよ。
東尾: それは、今だから驚異的なんです。当時でも「オマエ、少し投げすぎだぞ」とか周りのチームから言われていたけど、そうは考えていなくて、投げられる喜びのほうが強かったんですから。ただ、僕らだけが特別ということではなくて、どの球団も中3日で、だいたい3連戦に1回は登板するくらいですよ。

二宮: 18勝25敗で防御率3点台ですから、巨人だったら逆になっていた(笑)。
東尾: そうかもしれないけど、巨人だったらここまで成長していないかもわからないし、投げさせてもらえなかったでしょう。

二宮: 東尾さんの場合、実戦の中で投球術を覚えていったわけですね。
東尾: プロに入ってからの1勝と言うのは大きいんです。1つ勝てばポンポンと勝てるようになる。たしかに当時の常識の中で、潰れていった人もいっぱいいると思う。今みたいに手術の技術とか医学が進歩している中なら、違ったかもしれないけど、昔はそうやって淘汰されていく時代だったんです。残ったものが強いんですよね。さらに僕の場合は、いきなり実戦に放り込まれて、戦い抜かなければいけなかった。でも、本当に普通のことで、何でもなかったですよ。“投げたい投げたい”の一心でしたから。

 インスラの誕生

二宮: 当時のパ・リーグといえば、いいピッチャーがたくさんいました。阪急には山田(久志)さんがいて、ロッテには成田(文男)さんに木樽(正明)さん。そのあとに村田(兆治)さんが出てきます。そして、近鉄には鈴木啓示さん。今のパ・リーグも素晴らしいエースピッチャーがいますが、それと互角か、いやそれ以上に大投手が顔を揃えていましたね。
東尾: 僕が参考にしていたのは、ロッテの成田、木樽という2人のピッチャーです。ベンチから、よう2人が投げるところを見ましたよ。そして、別の試合で自分がマウンドに上がる時、“今日は成田のフォームを真似をして投げる”“よし、今日は木樽でいこう”とかイメージするんです。

二宮: 状況によって、自分のフォームを変えていたんですか。それはすごい。
東尾: 昔はファームの試合を昼間にやってから、そのままナイターが始まっていたんです。だから、プレーボールの時でもすでにプレートのところが掘れていた。先発ピッチャーでもマウンドに対する対応力が必要だったんです。そこでどうするかが大きな問題でした。そんな時に2人のフォームを思い浮かべて、後楽園は成田のフォーム、難波球場では木樽のフォームで投げていました。成田さんはリストで放るタイプで、木樽さんは全体で押しこくようなフォームだったんです。それを真似しましたね。2人のフォームを参考にして、その上に自分のフォームをいかにして作るかということですよね。

二宮: 木樽さんのシュートと成田さんのスライダーが、東尾さんの中に両方入っちゃったというところがあるんじゃないですか。
東尾: ああ、そうかもわかんないね。

二宮: 東尾さんの投球の中には2人の決め球のエッセンスが全部入っている。
東尾: それができたから、スピードがないけどあれだけ勝てたのかもしれないな。

二宮: 現役時代から、よく飲みに行かれたそうですね。
東尾: もう、毎日のように飲んでいましたよ(笑)。でもこれは、コミュニケーションの一環です。若い時期を過ごしたチームは本当に弱くて、130試合中38勝しかしないようなチームだった。そこでスピードボールも持っていない自分が勝つためには、ズル賢さというか、色々と頭を使わなければいけなかったんです。

二宮: 東尾さんの3年目、1971年の西鉄ライオンズは38勝84敗で首位から43.5ゲーム差、5位からも10ゲーム差で断トツの最下位でした。
東尾: 38勝のころは勝てるチャンスなんて3回に1回くらいしかなかったんだから。あとは全部負け。その1回でどんな風に勝つかということに神経を集中させていたんです。本当に、必死でしたよ。抑えというシステムも確立されていなかったし。しつこさは相当でしたよ。そこで、どうしたら勝てるものかと野球について真剣に考える時、年齢の近かったスカウトや若手選手と飲みながら一晩中野球の話しばっかりをしていたんです。当時強かった阪急をどうやったら抑えられるのか、とかね。そういう話がどんどんと溢れてきた。飲みながら攻略法を考えていくなかで、“インスラ”ということを考えついたんです

二宮: 右の強打者が多い阪急打線を抑えるために考案したインコースのスライダーですね。外角に投げるのが通常だったスライダーを右打者のインコースに投げたのは、東尾さんが初めてかもしれません。バッターに腰を引かせた段階で東尾さんの勝ち。
東尾: そういうことを毎晩毎晩議論していたからね。お酒の力がなかったら、あの発想も生まれてこなかったかもしれない。そういう時代だったんですよ。今の選手はなかなか先輩と飲みにいくことも少ないのかもしれない。でも、お酒の席で気心しれた仲間と話をすることで生まれてくるものもたくさんあるんですよ。また最初に話が戻っちゃうけど、雄星にもそんな経験をしてほしいんだけどな(笑)。

(後編に続く)


<東尾修(ひがしお・おさむ)プロフィール>
1950年5月18日、和歌山県出身。箕島高3年時に甲子園初出場、チームをベスト4へ導く。68年に西鉄ライオンズからドラフト1位指名を受け入団。当時、弱小球団だった西鉄で2年目からローテーションの柱となり、75年に23勝(15敗)を挙げ最多勝を獲得。チームは西鉄から太平洋、クラウンと経営母体を変えるがライオンズ一筋を貫く。79年に西武ライオンズとして生まれ変わったチームでもエースとして活躍。82年には念願のパ・リーグ制覇に大きく貢献し、初の日本一にも輝く。その後、88年の現役引退までに6回のリーグ優勝、4回の日本一を達成する常勝軍団の黄金期を支えた。95年から2000年まで西武ライオンズの監督に就任。リーグ制覇2回の実績を残すだけでなく、松坂大輔や松井稼頭央といったメジャーリーガーを育て上げた。現役時代の通算成績は251勝247敗23セーブ、奪三振1684、防御率3.50。MVP2回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞5回。

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(構成:大山暁生)
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