スペインのリーガエスパニョーラで2人のストライカーが凌ぎを削っている。バルセロナのリオネル・メッシとレアル・マドリードのクリスティアーノ・ロナウドだ。4月20日現在、ともに41ゴールを記録している。次点の選手が22ゴールであることからも、2人の争いが異次元で行われているのがわかる。そんな2人が世界最高峰に上り詰めるのと入れ替わるようにして、昨年2月に現役を引退したのが元ブラジル代表のロナウドだ。一昔前、世界最高のストライカーという称号は彼のものだった。そのロナウドには苦しんだ時期がある。今回は、ロナウドが大ケガと98年W杯での挫折を乗り越え、02年W杯で復活した経緯を振り返りたい。
 極東で行われた初めてのワールドカップの覇者はブラジルだった。5度目のワールドチャンピオンは、もちろん史上最多。決勝では世界一のGKオリバー・カーンのいるドイツを2対0で下し、前大会の屈辱を晴らした。

 大会前、ブラジルの下馬評は驚くほど低く、本命のフランス、アルゼンチンには遠く及ばなかった。無理もない。2001年11月、セレソン(ブラジル代表チーム)はブラジルのカステロンという聞きなれないスタジアムでベネズエラを3対0で撃破し、17大会連続17度目の本大会出場を決めたが、これは出場32ヵ国(地域も含む)中、30番目の出場切符だった。

 もし、リオのマラカナン(22万人収容)やサンパウロのモルンビー(15万人収容)にベネズエラを迎え、万一のことがあったら、暴動が起きかねないという理由で、北部地方の名もないスタジアムが決戦の舞台に選ばれたのだから、勝ったとはいえ、王国の威信も地に堕ちたものだと思わざるをえなかった。

 手元にひとつのデータがある。ワールドカップ予選全18試合で、ブラジルはいったい何人のFWを使ったか。答えは16人。さすが王国、人材雲のごとし、というべきか、それとも主役不在というべきか――。
 正解は後者だった。誰もが主役の復帰を待ちわびていた。

 男の名はロナウド。
 彼は語ったものだ。
「セレソンなしのワールドカップなんて考えられない。ロナウドなしのセレソンはもっと考えられない」

 12年前のことだ。
 ロナウドはコッパ・イタリア決勝で靭帯断裂に見舞われた。それは思わず目を背けたくなるほどおぞましいものだった。
「バチンという音が聞こえた」
 そう証言したのは、このゲームのレフェリーだった。
「彼の将来のことを考えると悲観的にならざるをえないね」

 プレー時間、わずか6分。しかも、断裂部位は、その半年前に痛めたのと同じところ。
 この日から、彼を知る誰もが悲観論者にならざるをえなくなった。
「もうロナウドは終わった……」
 そう口にするジャーナリストも少なくなかった。23歳の若さながら、彼は「過去の人」となった。

 フランス大会での屈辱

 本来なら、14年前のワールドカップで、彼はスポットライトを独占するはずだった。誰もが驚嘆すべきその能力に目を見張り、それに見合った成功を予想した。しかし、なぜかロナウドは弱気だった。

 フランスとの決勝戦の前日、ロナウドは蚊の鳴くような声で話した。
「フランスとの試合は、そう簡単にはいかないだろう。“プレーヤーはどのゲームにも全力を尽くすべき”という意見があるが、ここにきてさすがにスタミナも尽きてきた。でも、決勝なのだから泣き言をいっても始まらない。残っているパワー、スタミナをすべて振り絞るしかない」

 決勝進出を賭けた戦いで、ブラジルはかろうじてオランダをPK戦で振り切り、2大会連続でファイナルにコマを進めたものの、オランダの激しい抵抗にあって、セレソンは虫の息も同前だった。先のロナウドのセリフが、そのことをはっきりと物語っていた。

 決勝戦。試合前に、ある“事件”が起きた。
 ブラジルが最初に提出したスターティングメンバーのリストからロナウドの名前が消えていたのだ。代役はエジムンド。痛めていた右足首が、かなり深刻な状態であることを窺わせた。結局、土壇場で新しいメンバー表にロナウドの名前が書き加えられたものの、21歳のストライカーが“半病人”同然であることは誰の目にも明らかだった。

 0対3。完敗。
 ロナウドはフランスの屈強なDFたちに仕事らしい仕事をほとんどさせてもらえず、試合終了と同時にピッチに深々とヒザを折った。

 衝撃的な事実が明らかになったのは、試合後のことだ。実は試合開始の7時間前、ロナウドは全身けいれんに見舞われ、口から泡を出し、意識不明の状態に陥っていたのである。
「思い出すだけでも鳥肌が立つ」
 チームメイトのリバウドは語った。
「試合中、ずっとあの光景が頭から離れなかった。それは皆同じだと思う」

 ワールドカップの屈辱はワールドカップでなければ晴らせられない。ロナウドは、自らの誇りを取り戻すのに、4年の歳月を必要としたのである。

 W杯決勝でのゴール

 ロナウドは泣いていた。
 決勝のドイツ戦、2対0とリードした後半44分、デニウソンと代わってベンチに下がった。勝利を確信したロナウドの目に光るものがあった。

 後半22分のことだ。リバウドのシュートに詰めていたロナウドは右足でゴール右隅に蹴り込んだ。貴重な先制点。
「ファンブルはカーンのミス」
 との指摘もあるが、事はそう単純ではない。

 スリッピーなピッチ、回転を抑制したリバウドのシュート――カーンのファンブルを誘う条件は、いくつも揃っていた。それを読んでロナウドはあのポイントに侵入していた。これがストライカーの本能というものだろう。

 さらに34分。クレベルソンからのパスを豪快にゴール右隅に叩き込んだ。事実上、ドイツの息の根をとめるゴールだった。

「最高にうれしい。チームの皆のおかげだ。2年半ケガと戦ってきたが、得点もできたし、5度目の優勝をブラジルにもたらすこともできた」
 通算8ゴールで、ワールドカップ2002の得点王にも輝いたロナウドは、胸を張って答えた。

 14年前、悲劇の主役を演じた男は、その4年後、王国復活の立役者として、今度こそスポットライトをひとり占めにした。

 世界最高のGKと世界最高のストライカーの対決は、世界最高のストライカーに軍配が上がった。

 フランス大会がジダンのためのワールドカップなら、日韓大会はロナウドのためのワールドカップとなった。
 屈辱に耐えた4年という歳月の重みが、早熟の天才かと思われたロナウドをもうひと回り大きなプレーヤーへと成長させたのである。

<この原稿は2002年9月発売『戦略経営者』に掲載された原稿を一部再構成したものです>
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