10連敗もあり、苦しい交流戦を過ごした東京ヤクルトにエネルギーを注入した若手がいる。3年目の松井淳である。5月末に1軍に昇格すると、6月6日のオリックス戦ではプロ初安打。6月10日の埼玉西武戦では昨季の新人王・牧田和久が投じたチャンジアップをとらえ、プロ入り第1号をバックスクリーンに運んだ。それから3日後の東北楽天戦では今度は昨季の沢村賞投手・田中将大からライトスタンドにアーチを描いた。
いずれのボールもコースは低めで決して甘い球ではない。それをスタンドまで飛ばしたのだから、パンチ力の強さがうかがえる。横浜商大高時代から打球の飛距離には天性のものがあった。高3夏の県大会では3回戦で藤沢球場のバックスクリーンに当たる特大の1発を放っている。
当時を知る金沢哲男監督は「バッティングは粗かったが、スイングスピードはズバ抜けていた」と明かす。
「4番バッターだったし、細かいことを言っても仕方ない。“三振かホームランかで構わんから、思い切って振ってこい”と言っていましたよ」
高校通算46本塁打。大学は日本大学国際関係学部へ。日大と言っても、この学部は静岡県の三島市にあり、野球部も東都リーグではなく、静岡学生野球リーグに属する。
「バットスイングの速さにビックリしました」
松井を4年間指導した和泉貴樹監督はそう第一印象を語る。
この和泉監督、1988年から8年間に渡って日大で指揮を執り、現2軍監督の真中満も教え子に当たる。和泉が松井を見て、真っ先にイメージを重ね合わせたのが真中だった。
「真中は上から叩くスイングで、松井は下からボールをとらえるスイング。バッターのタイプとしては正反対です。でも、スイングのきれいさ、スピード、思い切りの良さは真中を彷彿とさせるところがありました」
プロに行くには確実性も必要――。そう考えた和泉は打席で狙い球を絞ること、配球を考えることを松井に教えた。そのアドバイスをしっかりと吸収し、大学2年では春に打率.489で首位打者に輝く。地方のリーグではあったが活躍が評価され、その年の日米大学野球に臨む日本代表候補にも選ばれた。
また、プロではいくら打てても、守れなければ出番が限られる。外野の守備に関しても和泉は松井に基礎を徹底させた。打球に対する反応や捕球姿勢、スムーズに送球するための体勢づくりなど、ひとつひとつ丁寧に繰り返し、練習させた。
「高校時代から松井を追っかけていたスカウトが、“守備が見違えるほどうまくなった”と驚いていましたね。大学時代は守備が課題でしたから、先日、小川(淳司)監督が“守りは安定している”とコメントしていたのを読んで、ホッとしているところです」
和泉は愛弟子の成長に目を細めていた。
50メートル走のタイムも6秒0。走攻守揃った外野手に進化した松井は09年のドラフトで5位指名を受け、ヤクルト入りする。静岡学生野球リーグからは初のプロ選手誕生だった。甲子園出場経験はなく、大学も日の当たる東京六大学や東都リーグの出身ではない。しかし、彼のプレーからは非エリートならではのたくましさを感じる。
高校時代に毎日つけていた野球ノートには常に「ガムシャラにやる」と綴られていたという。「練習は一生懸命だし、ひたむき」と松井を知る誰もが口を揃える。ここまで10試合に出場し、打席数は少ないながらも打率.357。打った後にポーンとバットを勢いよく投げる姿も様になってきた。
目が細く丸っこい風貌から昨秋、宮本慎也より「エネゴリ君」(ENEOSのイメージキャラクター)とニックネームをつけられた。節電の夏にチームがガス欠を起こさないよう、その一振りで今後もエネルギーを安定供給してほしい。
(次回は7月2日に更新します)
(石田洋之)
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