
外れ1位だからと言って、外れとは限らない。
1990年のドラフト会議、ヤクルトは大学ナンバーワン左腕と騒がれた小池秀郎(当時亜細亜大、のち近鉄)を1位指名したが抽選で交渉権を逃した。代わりに指名したのが岡林洋一(当時専修大)である。1年目からフル回転し、12勝6敗12セーブ。2年目の92年には15勝をあげ、リーグ優勝の原動力となった。
(写真:マウンド上で大事にしているのは「信頼」。自分を信じ、仲間を信じる) 今回、東京ヤクルトから1位指名を受けた右腕の杉浦稔大(國學院大)も外れ1位である。だが、球団では「先発ローテーションとして期待が持てる逸材」と高く評価。背番号も18を与えることが決定した。
身長188センチの長身と長いリーチを生かし、最速147キロを投げ込む。スリークォーターからカーブ、スライダー、スプリットを繰り出し、ストレートとのコンビネーションで打者を牛耳っていく。制球も良く、大学4年間で東都大学1部リーグでは通算144イニング3分の1を投げ、四死球は22個。9イニング換算では1.3個と自滅するタイプではない。
「ヒジの使い方が軟らかい」と担当の斉藤宜之スカウトが明かすように、フォームは流れるようでムリがない。
「肩甲骨や股関節周りは普通の人より軟らかいと思います」
本人はそう語ると背中をみせ、両方の肩甲骨を後ろにグイッと寄せてくっつけてみせた。小さい頃から夏は野球、冬はアイスホッケーに取り組み、柔軟体操をよくやっていた。柔軟な体が恵まれた体格を生かす大きな武器になっている。
体のみならず、考え方も柔軟だ。大学の4年間で日々、試行錯誤しながら成長を遂げてきた。帯広大谷高時代からセットポジションで投げていたが、今年の春からはワインドアップ投法にチャレンジした。
「3年から一段階レベルアップして、体を大きく使えればと思って始めました」
だが、しっくり来ないと判断すると、再びセットに戻した。この秋のリーグ戦では5勝3敗、防御率3.48と成績は振るわなかったが、「常に成長しないといけないので、いろいろ試しながらやっていた」と本人は話す。
しなやかだが、決して軟弱ではない。タフな右腕である。高校では3年夏の北北海道大会の準々決勝で延長15回、240球を投げ切った。引き分け再試合にも登板し、甲子園出場はならなかったが、決勝までチームを導いた。大学でも3年秋から4年春にかけて5試合連続完投勝ち。うち3試合は完封だった。
「プロの方に比べれば体がしっかりできているとは言えませんが、投げていて故障したことは今までありません。ケガをしないようなケアも自分で意識してやっています」
精神的にもタフな経験をした。群雄割拠の東都で3年春には2部に落ち、ゴルフ練習場と兼用の神宮第二球場で投げ続けた。そこで主戦投手としての地位を固め、2部優勝に貢献。迎えた日本大との入れ替え戦、初戦を落とし、崖っぷちの状況で杉浦は先発を託された。7安打を浴びながらも、最後まで投げ切って1失点。1勝1敗のタイに持ち込むと、運命を分ける第3戦でも同点の7回に登板する。3イニングを投げてチームは接戦を制し、1部復帰を果たした。
3年秋は1部で4勝2敗、防御率1.85。同じ東都でプロ入りした東浜巨(亜大−福岡ソフトバンク)、鍵谷陽平(中大−北海道日本ハム)らと対等に渡り合い、「ずっとプロに行きたいと野球をやってきましたけど、プロに行けるんじゃないかと思えるようになってきました」と自信をつかんだ。

プロ1年目の目標は明確だ。
「最低限、1軍で投げること。そして先発ローテーションに入ること。最大の目標は新人王です」
チームの柱となって投げる投手になるべく、今後の課題も自覚している。
(写真:1学年先輩の谷内からは「雰囲気もいいチームだから心配するな」とアドバイスをもらっている)「今の持ち球を固めながら、球種を増やす必要があるでしょうね。カットボール、ツーシーム、チェンジアップあたりは高校時代は投げていたんですが、大学に入って基本的な球を磨くために投げるのをやめました。でも、プロだとそうはいかないので取り組んでいこうと考えています」
高校時代から大事にしている言葉がある。「万象我師」。あらゆる事象は自らへの教えとなるという意味だ。しなやかなタフマンは、この先もすべての物事から貪欲に学び、背番号18にふさわしいエースへと進化を遂げる。
(次回は12月16日に更新します)
(石田洋之)
◎バックナンバーはこちらから