
ひとり、もとい一羽のマスコットに、これだけ大々的なセレモニーが催されるのは異例である。4日からの東京ヤクルト−阪神の3連戦は「つば九郎バースデーシリーズ」と銘打たれ、ヤクルトの球団マスコット「つば九郎」のデビュー20年を祝うイベントが連日開催された。デーゲーム後の神宮球場のグラウンドをファンに開放し、5日は成人(鳥)式、6日はバースデーパーティが行われた。5日の成人(鳥)式には衣笠剛球団社長、小川淳司監督、森岡良介選手会長が列席。6日のバースデーパーティには高津臣吾、真中満、福地寿樹各コーチがお祝いにかけつけた。
(写真:本鳥曰く「つくりもの」のバースデーケーキや、ファンとともに記念撮影) 6日のゲームは奇しくもつば九郎にとって、ホーム1400試合連続出場となるメモリアルゲーム。神宮に初めて現れた1994年4月9日の阪神戦から足掛け、ならぬ手羽掛け20年、代打で3ランを放った岩村明憲は「つば九郎へのバースデープレゼント」とのコメントを残し、5回終了時には花束も贈呈された。イニングの合間やイベント中に流れたビデオメッセージではヤクルトの監督、コーチ、選手のみならず、元チームメイトの稲葉篤紀(北海道日本ハム)、阪神の新井貴浩、福留孝介、巨人の井端弘和らが祝福の言葉を寄せるなど、球団の枠を越えて愛されていることが伝わってくるイベントだった。
つば九郎は「わたりどりで、じんぐうで、のんびりしていたら、えらいひとから“ひまっ?”っていわれた」のがマスコットになったきっかけと明かす。デビュー当初は、やや頭でっかちでスリムな体型だったが、「よるのぱとろ〜る」による飲み過ぎか、共食い(焼き鳥の塩も好物)のし過ぎか、年々、メタボに。本鳥は「めたぼじゃない。ゆめときぼうがつまっている」と言い張っているものの、以前、契約更改の際に出来高条項としてつけられたバック宙(成功の場合、2896万円)は、どう翼をバタつかせてもできそうにない。
しかし、飛べない鳥にもかかわらず、フットワークは極めて軽い。「つばさんぽ」と称して都内のイベントに出没したり、キャンプ地や遠征先、地方主催ゲームに乗り込んだり、「つばめ」つながりで新潟県燕市の田植えや稲刈りに参加したり……。その上、“よるのぱとろ〜る”は毎晩欠かさず、各地の繁華街に繰り出しているというのだから、まさに“タフマン”である。
しかも、ひらがなしか書けない割には多才だ。写真つきのブログは毎日、自ら更新。手羽の中にデジカメを仕込み、自チームはもちろん、各球団の監督や選手たちと一緒に自分撮り(せるふぱちり)を器用にやってのける。内容もトレンドに敏感で、流行語や最新ヒット曲もよく取り上げている。その文才が認められたのか、2年前には初の著書を上梓。その後も出版が続き、この4月に出る『成鳥つば九郎』で、実に4冊目の刊行となる。
さらにはCDデビュー(といっても本鳥は“おとなのじじょう”で歌わず、作詞&プロデュース)、グッズのプロデュースとツバメ界の秋元康と言っても過言ではない(ただし、つば九郎によると、印税やプロデュース料は「どうなっているのか、ぜんぜんはいってこない」とか)。オフにはマスコット初のFA宣言や契約更改、競馬予想(有馬記念や東京大賞典で3連単を見事的中)などで話題を提供しており、チーム内で選手を差し置いて、最も世間で存在を知られる“オス”になっている。
もちろん、マスコット界の“巨鳥”になるまでの道のりは並大抵のものではなかった。つばめには見えない風貌から、最初は「ペンギン」と間違えられることが多かった。「なつのあつさよりも、しっけがてんてき」と本鳥が語るように、雨の日も、蒸し暑い日も、試合がある限り、休むわけにはいかない。中日のドアラや阪神のトラッキーのごとく、アクロバティックな動きもできないため、ファンの心をつかむには、ひげダンスや、筆談トークなど小ネタを磨くしかなかった。
そんな努力の甲斐あって、あの落合博満も中日の監督時代、つば九郎のことを認めていたという。
「あいさつにいったら、“つばくろう、これ、たべろ”とおかしをもらっていたよ。おれりゅうかんとくは、すごく、やさしくて、いいひとでした」
神宮に棲みついて20年。いつしかチーム内では現役選手を抜いて“最年鳥”だ。95年、97年、01年の日本一の瞬間にも立ち会っているが、今や選手で優勝の味を知るのは岩村くらいになってしまった。“応燕部鳥”として毎年、「る〜び〜(ビール)かけ」を目標にしているが、なかなか達成できていないのが現状だ。
デビュー20年を経て、つば九郎には大きな夢がある。「2000しあいしゅつじょう」だ。試合数がこのままとして達成は8年後の2022年。東京五輪・パラリンピックも終わっている。先はまだまだ長い。
つばめの平均寿命は1年半とも言われるから、20年生息し続けただけでも既に“レジェンド”である。2000試合連続出場となれば、本物の野球殿堂入りを検討してもよいのではないか。
残念ながら、1400試合の節目となる一戦は乱打戦の末、救援陣が総崩れして逆転負けを喫し、白星で祝えなかった。
「つば競り合いに強く、苦労 (九郎)しながら接戦をモノにする」
チームが名前の由来通り、タフで勝負強くなれるかどうか。つば九郎も神宮の鳥かごで、それを一番に願っているはずだ。
(次回は4月21日に更新します)
(石田洋之)
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