日本人最速での3階級制覇なるか。7日、井岡一翔がIBF世界フライ級王座奪取に挑む。無敗王者のアムナト・ルエントン(タイ)からベルトを奪えば、ミニマム級、ライトフライ級に続く3階級制覇となる。日本人では亀田興毅に次ぐ快挙で、プロ15戦目での達成は最速だ。井岡は11年2月、プロ7戦目で世界王者となり日本人最速記録(当時)を打ち立てた。12年12月には2階級制覇を達成し、ここまで順調にボクシング人生をひた走っている。元2階級制覇の弘樹を叔父に持つ若きサラブレッドの高い志を、3年前の原稿で紹介する。
<この原稿は2011年11月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 ボクシングの世界戦においてタイトルを防衛することは、王座を奪取することよりも難しいと言われている。
 今年2月、日本人最速記録となるプロ7戦目で世界王座(WBCミニマム級)を獲得した井岡一翔にとって8月の初防衛戦はまさに真価の問われる一戦だった。

 結論から述べれば、井岡はホンモノだった。同級1位のメキシコのテクニシャン、ファン・エルナンデスを全く寄せ付けず、大差の判定勝ちを収めた。
 出だしこそメキシコ人の左フックをくい、バランスを崩す場面もあったが、徐々にペースを掴み、中盤以降は、ほぼ一方的にリングを支配した。

「ちょっとバランスを崩したりして見栄えの悪い部分はありましたが、やりにくいということはなかった。ただ相手のパンチは思った以上に強かった。“世界を獲ってやろう”という意気込みも感じました。
 途中から完全にペースを握っていたので、本当は倒したかったのですが、相手も簡単には倒れてくれなかった。終わって一安心という気持ちがある半面、課題もたくさん見つかりました」

 叔父でジム会長の井岡弘樹は2階級制覇の元世界チャンピオン。名トレーナー、エディ・タウンゼントとのコンビで一世を風靡した。父・一法も元プロボクサーでプロモーター兼トレーナーというボクシング一家で生まれ育った。
 いわば、ボクシング界きってのサラブレッド。子供の頃から試合会場に行き、叔父に声援を送っていた。
「(叔父は)カッコよかった。リングの中では1対1。スポットライトを浴びている姿に魅力を感じました。

 ボクシングを始めたのは中1の時。“世界チャンピオンになりたい”“世界一強い男になりたい”という純粋な気持ちが強かった。最初の頃は高校にも行かず、すぐプロになろうと思っていました」
 中学3年の時、叔父と父が創設した井岡ジムでトレーニングするようになった。高校はボクシングの名門・興國高へ。数々のタイトルを獲り、粟生隆寛(WBC世界スーパーフェザー級王者)らに続き、史上3人目の高校6冠を達成した。

 練習は過酷を極めた。
 父・一法は語る。
「高校1年からボクシングの練習が終われば、ハンマー振りを必ず1000回やらせました。3キロのハンマーを右と左で交互に振り下ろすのです。一翔のヒットマッスルはこれで鍛えられたと思っています」

 ヒットマッスル――主に広背筋のことをボクシングの世界では、こう呼ぶ。これがパンチの源とされている。
 かつて「ヒットマン」の異名を取ったトーマス・ハーンズ(米国・元5階級王者)にインタビューしたことがある。胸板は薄かったが、脇から背中にかけての筋肉の盛り上がりは尋常ではなかった。
 ハーンズに限らず過去の強打者でプロレスラーのようなたくましい筋肉を胸に蓄えていた者は、あまりいない。パンチを矢にたとえるなら、広背筋は弓の弦の部分にあたる。この部分を強化することこそが強打者への近道なのだ。

 高校を卒業した井岡は東京農大に進む。目標は2008年の北京五輪の日本代表。しかし代表権をかけた全日本選手権決勝で判定負けし、井岡は大学を去る。
 振り返って、井岡は語る。
「わずか1ポイント差で負けた。しかもラスト5秒くらいで相手にポイントが入った。際どい試合ではあったけど、負けは負け。そういう試合をした自分が悪かったということでしょう。
 北京五輪に出場できなくなった時点で、僕のアマチュアの夢はなくなった。あくまでもボクサーとしての最終目標はプロの世界チャンピオン。1戦でも早くプロの試合がしたいと……」

 プロデビューは2年前の春。無傷のまま6戦目で日本ライトフライ級王座に就き、7戦目にして世界挑戦のチャンスを得た。
 相手はWBC世界ミニマム級王者オーレドン・シッサマーチャイ。40戦無敗のタイ人チャンプだ。
 いくら井岡が注目の新鋭とはいえ、相手は名うての技巧派である。誰もが苦戦を予想した。

 ところが、だ。井岡は前半から主導権を握った。2ラウンドに電光石火の左フックでダウンを奪うと、その勢いはさらに加速した。
 そして迎えた5ラウンド、オーレドンが攻勢に出ても井岡は冷静だった。ガードを固めてタイ人の連打を防ぎ、距離が詰まった瞬間を見計らって左のレバーブローを突き上げた。タイミングといい角度といい究極の一撃だった。

 キャンバスでのた打ち回るオーレドン。レフェリーはカウントの途中で試合を止めた。
 WBCミニマム級の正式にはストロー級で初代王者は叔父の弘樹。井岡家にベルトが戻ってきた瞬間だった。

 リング上でマイクを向けられた井岡は「4階級制覇」という言葉を口にした。それは日本人としては前人未到の記録への挑戦表明でもあった。

 22歳とは思えないほど冷静な口調で井岡は語る。
「世界チャンピオンになって人生の景色が少しずつ変わってきました。これまで見えなかった景色が見えるようになってきた。僕はボクシングにも人生にも壁があると思っている。それをひとつ越えたら、次の景色が見える。もうひとつ越えたら、また次の景色が見える。今度勝ったら、次はどんな景色が見えるんだろう……。自分自身、それをものすごく楽しみにしています」

 2度目の防衛戦は年末が予定されている。サラブレッドとはいえ、人気先行ではなく実力先行型の井岡にかかる期待は日増しに高くなっている。
「次の試合への抱負は?」と水を向けると、一言一言噛み締めるように若きチャンピオンは語った。

「僕は口であれこれ言うのは好きじゃないんです。ただひとつお願いしたいのは“井岡一翔の試合を見に来てください”ということ。帰り際に“ええ試合やったなぁ。また見に行きたいなぁ”と言ってもらえれば最高ですね」
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