日本陸上界期待の若手スプリンター・桐生祥秀を歯牙にもかけなかった。
11日のゴールデングランプリ東京でジャスティン・ガトリン(米国)が向かい風3.5メートルながら10秒02で優勝。日本人トップの桐生には0秒44の大差をつけた。ガトリンといえば、アテネ五輪同種目の金メダリスト。ドーピング問題で4年間の出場停止もありながら、再び表舞台に帰ってきた。ロンドン五輪では銅メダル、昨年の世界選手権では銀メダルを獲得するなど32歳の今も第一線で活躍している。ガトリンが当時世界最速のモーリス・グリーンを破り、金メダルを手にしたアテネ五輪のレースを、10年前の原稿で振り返る。
<この原稿は2004年8月号の『Number PLUS』(文藝春秋)に掲載されたものです>
4年前にはなかったタトゥーがモーリス・グリーンの右の二の腕にはくっきりと刻み込まれていた。
百獣の王・ライオン。
ひげの部分にはG.O.A.T。
すなわち「Greatest of All Time」(史上最強)の略だ。
米国のスポーツ専門チャンネル、ESPNの解説によれば、そうなる。
「今年の目標はシンプルだ。ゴールド。それ以外にはない」
シドニー五輪のチャンピオンがそう豪語したのは、約3カ月前のことだ。5月31日、米カリフォルニア州で行なわれた国際陸連GP・米国オープン。グリーンは追い風参考ながらティム・モンゴメリ(米国)が持つ世界記録と同タイムの9秒78を叩き出した。
続けてグリーンは言った。
「もう100%状態は元に戻った。オレに勝てる者などどこにもいない」
アテネは五輪連覇を狙うグリーンにとって験のいい場所のはずだった。
5年前の夏、この地で開催された国際競技会で、グリーンはそれまでカナダのドノバン・ベイリー(アトランタ五輪金メダリスト)が保持していた9秒84のワールドレコードを100分の5秒も短縮させてみせたのだ。
100分の5秒といえば、実人生においては何の意味も持ち得ない時間の単位だが、ミクロの世界に棲む誇り高きスプリンターたちにとっては驚天動地の数字である。
同時のこのレースはモーリス・グリーン時代の幕開けを告げるものでもあった。
その翌年のシドニー五輪。世界記録保持者のグリーンは大方の予想どおり金メダルを胸に飾ることに成功した。
4年前の南半球での出来事は今もはっきりと覚えている。男子100メートル、ファイナル。スタートの瞬間、まるで、この世の輝きをすべて集めたようなおびただしいフラッシュの瞬きがシドニーの夜空に点滅したのだ。
光の洪水。
無数の南十字星。
当時の取材ノートに、私はそう記した。
50メートル地点でトップに立ったグリーンは、さらに加速した。70メートルを過ぎたあたりから、私の目には他のスプリンターが止まって見えた。まるで高性能のスポーツカーと乗り合いバスのように。それほどまでにグリーンと他のスプリンターとの間には力の差があった。
9秒87――。
文字どおりグリーンは弾丸のように100メートルを駆け抜けた。ゴールの瞬間、再び人為的な光の結晶が散乱し、闇の藻屑と化した。世界最速のスプリンターが演出したイルミネーションのショーは南半球の夜空によく映えた。
あれから4年――。この間、グリーンには災厄がついて回った。2002年の2月にはオートバイによる事故で左足を骨折し、ほぼ2シーズンを棒に振った。
昨年8月、パリでの世界選手権では、あろうことかセミファイナルで姿を消した。タイムは10秒37。優勝したキム・コリンズとの間には、0秒3もの差があった。
ライバルたちの多くは言った。
「彼は終わったな」
しかし、グリーンは早くからアテネに照準をしぼっていた。7月11日の五輪代表選考を兼ねた全米選手権では、完全復活を告げる9秒91で2位のジャスティン・ガトリンを100分の1秒差で抑えた。ゴールの瞬間、体をねじってトレードマークの舌を若僧に突き出した。憎々しげな男が戻ってきた瞬間だった。
「オレは自らの偉大さを証明するために、再びこの地にやってきた」
グリーンのコメントが現地紙に紹介されていた。
アテネ、五輪スタジアム。
2004年8月22日。
観衆7万5000人。
男子100メートル、ファイナル。
21世紀最初の世界最速を決めるバトル。
スタートの時間が迫ると、必ず思う。これを見るために遠くまでやってきたんだと――。オリンピック10日目の日曜の夜、街中が固唾を飲んで号砲の瞬間を待つ。
東京は朝の5時。ニューヨークは午後4時。ロンドンは夜の9時。世界中がわずか10秒足らずのドラマのために沈黙する。
世界で最も短く、最も衝撃的で、最も魅惑にみちたショー――。それが100メートルのファイナルだ。
トレーニングパンツを脱ぐなり、グリーンは野獣のように周囲を徘徊し始めた。ライバルたちを睨み付け、舌なめずりを繰り返す。まるで猛獣が獲物の品定めをするかのように。
さて、ファイナルに進出した8人は次のとおり。
1レーン キム・コリンズ(セントクリストファー・ネビス) 自己ベスト9秒98
2レーン アジズ・ザカリ(ガーナ) 同10秒00
3レーン ジャスティン・ガトリン(米国) 同9秒92
4レーン ショーン・クロフォード(米国) 同9秒88
5レーン フランシス・オビクウェル(ポルトガル) 同9秒93
6レーン アサファ・パウエル(ジャマイカ) 同9秒91
7レーン モーリス・グリーン(米国) 同9秒79
8レーン オバデレ・トンプソン(バルバドス) 同9秒87
静寂を破る一発の号砲とともに7レーンから猛獣が飛び出した。
グリーンだ。リアクションタイムは0.151。8人の中で誰よりも速い。
外枠の不利もものともしない。
深い前傾姿勢でのダッシュはグリーンのトレードマークだ。地面を押さえる力が働き、水平方向への推進力を生む。身長175センチのグリーンは、小柄な分だけ受ける抵抗も少ない。筋肉への過度の負担は科学の枠を集めたトレーニングによって克服してきた。
「スタートはよかった。ミドル(中間)もよかった」
だが、しかし――。
3レーンからヘラクレスのような肉体の男がぐんぐんと加速し、ついにスタートから10歩目でトップに立った。22歳のアメリカ“第3の男”ジャスティン・ガトリンだ。華麗さはないが力強い。戦場を疾走する装甲車のようなたくましさがある。
約2時間前のセミファイナル。世にも稀なるシーンを目のあたりにした。
兄貴分のクロフォードがあろうことか何事か話しかけながらゴールしたのだ。話しかけるクロフォードもクロフォードなら、それに応じるガトリンもガトリンだ。この得体の知れない余裕は、いったいどこから来るものなのか。
あとで聞けば、練習中、クロフォードは自らのスパーリングパートナーであるガトリンに、よく話しかけるのだという。「もっとスピードをあげてくれ」「オレをあおってくれ」と。
しかし、ここはノースカロライナの練習場ではない。世界最速の男をきめる神聖な場所なのだ。おしゃべりはレストランでコーヒーを待つ間にでもやってくれ。おそらく、ほとんどの観客がそう思ったはずだ。
ところが2時間後にはスパーリングの雇い主がパートナーを追いかける展開となった。加速するガトリン。必死で追うクロフォード。間隔を縫ってオビクウェル。外からはグリーン……。スタジアムを支配していた沈黙は10秒後、絶叫に変わった。クロフォードがガトリンに胸をぶつけている仕草を見てクロスゲームの勝者を確認した。
いや、ガトリンが勝ったのではない。グリーンが負けたのである。4年前は、ゴールが近付くにつれ、ライバルたちが止まって見えた。しかし、今度は彼が止まって見えた。ゴールのはるか手前で上半身が起きてしまったのは、フォームのバランスを微妙に欠いた証拠だったのかもしれない。
優勝 ガトリン 9秒85
2位 オビクウェル 9秒86
3位 グリーン 9秒89
4位 クロフォード 9秒89
わずか100分の4秒の中に4人がひしめいた。混戦を胸板ひとつ分抜け出したガトリンはメキシコ大会で人類史上初めて10秒を切ったジム・ハインズ以来、最も若いチャンピオンとなった。
「僕はついにモーリス・グリーンやマリオン・ジョーンズのように歴史上のひとりになった」
トラックにひざまずき、十字を切る仕草はぎこちなく、それゆえに初々しかった。
敗れたグリーンはすぐにはトラックを去らず、インタビュアーの質問に思いの外、上機嫌で答えた。
「メダルを獲れなかったのはオレに原因がある。しかし言い訳はしない」
そして、こう続けた。
「ヤングガイ(ガトリン)は素晴らしいレースをした。しかし、オレはまだ終わっちゃいない。すぐに戻ってくるさ」
まるで、襲い甲斐のある新しい獲物を見つけたと言わんばかりに――。
「他の選手の100マイル(約161キロメートル)先に僕はいた」
優勝したガトリンのセリフだ。2位オビクウェルとの差はわずかに100分の1秒。距離にすると10センチ。10センチが100マイルに感じられるミステリアスな世界がここにある。ミクロの神秘に挑む戦いにゴールはない。
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