
8月1日からの中日3連戦は一足早い神宮花火大会だった。連日、5回裏終了時に打ち上げられた300発の花火に負けず劣らず、東京ヤクルトは3試合で9本塁打を放って3タテに成功した。遅ればせながら、今季2度目の4連勝。打線が5試合連続2ケタ安打と爆発している。
(写真:初出場のオールスターで、雄平は他球団のトップ選手の姿に「日頃の積み重ねが大事」との思いを改めて強くした) 2日の試合、試合を決定づける花火を夜空に描いたのが5番・雄平だ。初回に1点を先制して迎えた3回、1死満塁のチャンス。中日のピッチャーは先発の山井大介だった。
「最悪でも外野フライ。高めのボールを狙っていました」
1ボールから甘く浮いた外のシュートに、うまく左手をかぶせながら、バットを振り抜く。打球はレフト方向へグングンと伸び、乾いた音を立てて、ポールを直撃した。自身初の満塁弾だ。5−0と序盤で大量リードを奪う鮮やかな一発だった。
ピッチャーとして東北高からドラフト1巡目でヤクルト入りしたのは、もう今から11年前だ。150キロ超の豪速球で高校球界を沸かせたものの、プロでは制球難で伸び悩んだ。まじめすぎる性格もマイナスに働き、いろんな方法に手を出して、かえって輝きを失った。
そして1軍でわずか1試合の登板に終わったプロ7年目の2009年秋、ついに戦力外の危機を迎える。
「もうピッチャーとしては限界だと思います」
当時の投手コーチ・荒木大輔は、雄平の将来性を高田繁監督に尋ねられ、率直にそう答えた。
「敗戦処理であれば、あと何年かできるかもしれない。でも、それでは本人のためにならない……」
首脳陣からピッチャー失格の烙印を押され、バッター転向を勧められた。雄平は一時はサイドスローにしてピッチャーで生き残る道を模索したが、結局、転向を受け入れる。
決断後は退路を断ち、バットを振りに振った。ピッチャー時代、阪神・能見篤史からホームランを打つなど、もともと打撃センスがあったとはいえ、転向3年目の12年には1軍で47試合に出場、打率.280の成績を残す。翌13年の開幕カードでは、阪神のルーキー藤浪晋太郎から野手転向後の初ホームランをライトスタンドに運んだ。猛練習が花開き、レギュラー定着は目の前まで来ていた。
だが、好事魔多し。次に訪れたのは選手生命の危機だった。この年の4月17日、外野守備でジャンピングキャッチを試みた際に右ヒザを痛めた。診断結果は前十字靱帯断裂の重傷。手術を受け、残りのシーズンを棒に振った。
秋にティー打撃を再開し、オフ返上でトレーニングに明け暮れた。春のキャンプこそ2軍スタートだったが、オープン戦からは1軍に合流。2番・センターで初の開幕スタメンを勝ちとった。5月には打率.364、8本塁打と打ちまくり、初の月間MVPを受賞すると、6月、7月も月間打率は3割を越えた。8月4日現在、90試合で打率.309、16本塁打、55打点。主砲のウラディミール・バレンティンが故障で離脱している間は4番にも座り、今やリーグトップのチーム打率を誇る燕打線の中軸を担っている。
「打順とか成績は、あまり関係ないですね。とにかく自分のバッティングをすることに集中しています」
コンスタントにヒットが出ていても、本人は「結果を意識しない」ことが重要だと考えている。
「どの球をどう打つか。それだけを意識しています。その積み重ねしかない。うまく打てた打席も、甘い球を打ち損じてもったいない打席もありますけど、あまり気にし過ぎないようにしています」
自身を「割り切りがヘタ」と自己分析する。ピッチャー時代は、その性格が災いしてマイナス思考に陥ることも少なくなかった。「今はすべてをプラスにとらえられるよう、割り切る努力をしていますね」と雄平は前を向く。
グランドスラムを打った翌3日もマルチヒット。最終第5打席目は中日のサイド右腕・又吉克樹のストレートに押されてライトフライに倒れたが、本人はアウトという結果を後ろ向きにはとらえてはいなかった。
「狙っていたボールに対して反応も悪くなかった。少し詰まっただけで自分の中では納得のいく打席でしたね」
割り切り――。言葉にすれば平易な4文字であっても、これを実践するのは容易ではない。人間は甘い過去を懐かしみ、苦い過去を悔やむ生き物である。結果がすべてのプロ選手となれば、過去の呪縛から逃れるのはなお一層、難しい。しかし、それでも未来へ向かって、次の扉をノックするには何が必要か。
そのカギは、どんな結果になろうとも「やるだけのことはやった」と思えるプロセスを構築できるかどうかだろう。雄平は、その作業を日々、怠っていない。杉村繁打撃コーチが「とにかく練習をしてバットをよく振っている。妥協をしない」と明かすように、試合前にもさまざまなティー打撃に取り組み、汗を流す。猛暑の8月になっても、そのルーティンは不変だ。
「2軍の戸田でやっているほうが暑さはきつかったですよ。暑すぎて頭がボーッとしてきますから。あそこでやるのと比べたら、まだ神宮は意識のある状態でできますからね(笑)」
体と技術の準備に続いては頭の整理。試合に臨むにあたってはスコアラーのデータやアドバイスをしっかりと頭に入れる。試合中もその都度、スコアラーと確認しながら、打席に向かうのだ。
「僕はどうしても全部の球を打ちに行ってしまうところがあるんです。でも器用じゃないので、それでは打てない。狙い球を絞った上で、状況やピッチャーの特徴なども踏まえて、どのコースに目つけをするかを考えて打つようにしています」
ここまで徹底したプロセスを経てピッチャーと対峙するなかで、杉村コーチは「最近の雄平は打席で落ち着きが出てきた」と明かす。
「今までは来たボールを、とにかくフルスイングしていたけど、今は狙い球を絞った上でフルスイングができる。だから追い込まれたら、切り替えてコンパクトに打つこともできるんです」
いい意味でのゆとりがあるからこそ、不調の兆しがあってもすぐに修正できる。7月26、27日の横浜DeNA戦(神宮)、雄平は2試合連続ノーヒットに終わった。引っ張りにかかっての三振やセカンドゴロが目についていた。
「軸足にしっかり乗せてタイミングをとり、広角に打つ。この基本をもう一度、アドバイスしました。すると1試合で戻して、次の阪神戦からは帳尻を合わせてきたからね」
杉村が感心した口ぶりで言うように、移動日を挟み、29日の阪神戦(甲子園)で左中間と右中間に1本ずつ長打を放つと、そこから3日の中日戦までヒットが6試合継続中だ。この1週間は26打数11安打(1本塁打、1三塁打、3二塁打)、打率.423の高アベレージを叩き出した。
「でも、決して調子が良いわけではない。もちろん、悪くもないですが。ずっと同じ状態が続いているという感じですかね」
トップ選手は好不調の波が小さい。雄平が夏場に来ても打率3割以上をマークしている理由がここにある。
「転向した時は、1軍に上がることと、バッターでピッチャーより長くやることが目標でした」と雄平は振り返る。1軍に上がる目標は既に達成し、打者としてのプロ生活は5年目に入った。今季はオールスター出場も果たし、このまま一流へのステップを昇っていけば、ピッチャーでの年数(7年)を上回って充実した野球人生が拓けるに違いない。
「逆に今は大きな目標はないんです」
そう雄平は続ける。
「1試合、1試合、目の前のプレーに集中するだけですね」
そういえば試合後の背番号41は、しばらくベンチに座ったまま、動かないことが多い。荷物をまとめてクラブハウスやロッカーに引き上げるのは、たいてい一番最後だ。
「試合で目いっぱいやっているんで、少しゆっくりしたいんです。皆、急いで帰るんですけど、そんなに慌てなくてもいいんじゃないかって(笑)」
本人の言葉通り、「1試合、1試合、目の前のプレーに集中」しているからこそ、ゲームセットの瞬間、テンションを緩める時間がいるのだろう。それほど、この30歳が全身全霊で野球に打ち込んでいる証拠でもある。
「プロフェッショナルの“プロ”は、プロセスの“プロ”でもある」
ヤクルト黄金期を築いた野村克也の名言だ。プロは結果がすべてである。しかし、結果は先にはやってこない。たゆまぬプロセスを経て全力で戦った後で、おのずとついてくるものだ。今後も雄平にとって、歩むべき道は変わらない。Mr.Childrenの登場曲のごとく、それはまさしく“終わりなき旅”である。
(次回は8月18日に更新します)
(石田洋之)
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