
東京ヤクルトのドラフト6位ルーキー右腕・土肥寛昌には、3人のピッチャーとの大きな出会いがある。
一人目は現在、埼玉西武の1軍投手コーチを務める土肥義弘だ。西武、横浜で左のリリーフとして活躍した義弘は、父のいとこにあたる。ちなみに名字は同じ漢字を書くが、読みはヤクルトに入団する土肥は「どひ」。西武の土肥コーチは「どい」と異なる。
(写真:スライダー、カット、フォーク、シュートなどセットポジションから投じる球種は多彩だ) 義弘が西武にドラフト4位で指名された時、寛昌は小学1年。プロに入った親戚に憧れて、小学3年から野球を始めた。
「プロ野球選手になりたい」
1軍で活躍する義弘の姿を見て、自ずと少年は夢を抱いた。
甲子園出場経験もある埼玉栄高に進み、3年夏には主戦投手としてベスト8まで勝ち進んだ。その年の甲子園に出た浦和学院に敗れ、全国の舞台には立てなかったものの、大学は東都の雄・東洋大に進学した。
当時の東洋大は東都リーグで史上初の春季5連覇(2007年春〜11年春)や、大学選手権連覇(10年、11年)を達成するなど、大学球界ではトップクラスの実力を誇っていた。その原動力となっていたのが、ピッチャーでは2学年上の乾貴大(現北海道日本ハム)や1学年上の藤岡貴裕(現千葉ロッテ)だった。
とりわけ1学年上の藤岡は、大学球界ナンバーワン左腕と騒がれ、ドラフト会議では3球団が1位指名で競合した。
「実力はスバ抜けていました。あのレベルになればドラフト1位なんだという目標になりましたね」
幼い頃の夢を叶えるにあたり、追いかける存在ができた。土肥にとって、藤岡は大きな影響を受けた2人目のピッチャーだった。
だが、現実は厳しかった。ハイレベルな選手が揃うチームで土肥は3年秋まではリーグ戦で登板機会がほとんどなく、結局、大学の4年間では1勝もできなかった。最後の秋季シーズンは最下位に沈み、2部に転落して卒業することになった。
「僕の実力が単純になかったと思います。思いきり力を入れて投げるだけで、ピッチングが安定しませんでしたね」
当然、プロ入りなど夢のまた夢。だが、ブルペンで時折、見せる質のいいボールに目をつけた人物がいた。ホンダ鈴鹿の甲元訓監督だった。
「実績はないけど、素質はいいものを持っていました。取り組みも真面目ですから、ウチに来ればやってくれると感じたんです」
ホンダ鈴鹿入り後、土肥に甲元は「力を抜いて投げろ」とアドバイスした。これまで力任せに球威を出そうとしていた右腕にとって、それは真逆の発想でした。
「最初は脱力して投げるのは不安でした。でも、1回試してみると、バッターが差し込まれることに気づいたんです」
リリースポイントに100%の力を集中させ、他はムダな力を入れない。この感覚を覚えたことで、質の良いボールをコンスタントに投げられるようになった。
1年目からチームの戦力として定着。この年、チームメイトの濱矢廣大が東北楽天がドラフト指名を受け、視察に訪れたスカウトから土肥の存在も注目され始める。
「でも、右バッターに対して内を突くボールがなかったので、踏み込まれて打たれることが多かったんです。当時、持っていた球種では、これは対処できませんでした。だから、もうひとつ踏み込ませないボールを覚えたいと思ったんです」
プロ入りをかけた勝負の2年目を迎え、土肥は新球の習得に励んだ。それがシュートだ。右バッターのインコースをえぐり、うまく詰まらせる。

これを左バッターの外へ逃げるボールとしても使い、都市対抗予選では大車輪の働きをみせる。6試合中5試合に先発し、5年ぶり本大会出場の原動力となった。
「全国の大舞台に初めて出られたことが自信になりました」
プロを本格的に意識し始めた土肥に、影響を与える3人目のピッチャーが現れる。補強選手としてヤマハから加わった竹下真吾だ。
(写真:セールスポイントは「体が丈夫なところ」。フルシーズン、力を出し切れるピッチャーを目指す) 「一緒のチームになってキャッチボールをした時に、ボールの勢いが全く違う。こういうボールを投げたいなと思って頑張りましたね」
同学年で、ともにプロを目指す者同士、都市対抗では土肥が先発、竹下がリリーフを務めた。ドラフト1位の竹下、6位の土肥。順位こそ異なれど、再びNPBで同じユニホームを着ることになった。
球団は「先発、中継ぎとフル回転が期待できる」とみている。
「先発にしろ、中継ぎにしろ、1年間トータルで1軍にいたい。どんな場面でも使ってもらえるピッチャーになりたいですね」
そう抱負を語る本人によると、昨年から取り組んだシュートは未完成。「昨年はベースアップするための1年目。どの球種も同じフォームで投げ分けられるように試行錯誤しました。フォームが崩れた時に、どうやって早く気づけるかをずっと考えていましたね。それが今年、かたちになってくると思う」と先を見据える。シュートをはじめとする変化球に磨きがかかれば、より効果的に使えそうだ。
甲元は「フォークボールもプロの世界で生きるはず」と教え子の伸びしろを信じている。
「社会人ではあまり使っていませんでしたが、彼のフォークはいい落ちをしています。プロは初球からガンガン振ってくるタイプも多いでしょうから、うまく空振りを奪えば、他の球種もより生きてくるはずです」
アドバイスをすぐ実践できる器用さと、必要なものを取捨選択できるクレバーさもプロ向きだと恩師は分析する。
土肥がこれまでの道のりで夢を抱かせ、目標となり、刺激を受けた3人のピッチャーのごとく、今度は自身がプロとして周囲に影響を与える番だ。理想に掲げるのはヤンキースの田中将大。誰もが憧れる絶対的な存在になるための第一歩を宮崎・西都キャンプで踏み出している。
(次回は2月16日に更新します)
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