春はスタートの季節である。4月から新しい学校や職場で一歩を踏み出した人も多いだろう。慣れない環境で自分の居場所をみつけ、活躍するには最初が肝心である。出だしでつまづくと、周囲のマイナス評価をプラスに転じるには、かなりの労力を必要とする。
その意味で、この選手の心境はいかばかりだっただろうか。
東京ヤクルトに今季入団した大引啓次である。「つばめ改革」をスローガンに掲げる真中満新監督の下、補強の目玉として北海道日本ハムからFAでやってきた。
ここ数年の泣きどころだったショートを守るにはうってつけの人材。しかも法政大、日本ハムでは主将を務め、リーダーシップもある。上位浮上には不可欠な存在として開幕からショートでスタメン出場した。
しかし、広島との開幕3連戦では12打数0安打。ホーム開幕戦となった神宮球場での阪神戦では4打数0安打。しかも、1点リードの9回には、平凡なショートゴロを悪送球し、同点のランナーを許してしまう失態も犯した。抑えのトニー・バーネットが後続を断って事なきを得たものの、温厚なスワローズファンからも厳しいヤジが飛んでいた。
翌日はスタメン落ちで欠場。8番・ショートで出場した2日の阪神戦も4回1死満塁のチャンスで空振り三振に倒れるなど、開幕から快音が聞かれない打席は18にまで伸びていた。
迎えた5回裏、今度は2死一、二塁の場面だ。阪神2番手の桑原謙太朗のストレートを叩いた。打球はグングン伸びて左中間フェンスを直撃。塁上のランナーをすべて返すタイムリー二塁打だった。移籍後、初の一撃が貴重な追加点を生み、ヤクルトは最終的に9−2と快勝した。
「ホッとしました」
これは偽らざる思いだろう。二塁ベース上では両手をあげてガッツポーズ。振り返ってベンチを見ると、杉村繁チーフ打撃コーチがやわらかい笑みをたたえて拍手をしている姿が目に飛び込んだ。
「一番の悩みの種だったと思うので、それを解消できてよかったです」
もともと、大引はバッティングにも定評があった選手である。大学時代は神宮を舞台にヒットを量産。東京六大学史上4位の121安打をマークした。プロ入り前には六大学選抜の一員としてヤクルトと対戦。先発の藤井秀悟(現巨人打撃投手)から先頭打者アーチを描くなど猛打賞の活躍で、プロ顔負けのセンスを見せつけた。
しかし、オリックス、日本ハムでの8年間、規定打席に到達したシーズンでは、13年の打率.266が最高。どちらかといえば“守備の人”というイメージが強くなっていた。
「キャンプで話をしたら、意外とバッティングを知らなかったんだよね」
杉村コーチはそう明かす。浦添キャンプの第1クール、そのバッティングを見て、瞬時に問題点を発見した。
「まず、ヘッドスピードが遅い。その上、前でさばこうとしていて引きつけて打てない。だから率が残せないんだとわかりました」
杉村コーチは新加入の30歳に打撃改造を提案した。
「本気で取り組みたいなら、毎日、ティー打撃をやってもらう。やるか?」
「やります」
それからマンツーマンでの特訓がスタートした。山田哲人、雄平らを花開かせた名伯楽による道場だ。しっかりボールを見極め、体の右側で溜めたエネルギーをピッチャー側に突っ込むことなく、トップから最短距離で出したバットに乗せてインパクトの瞬間にすべてぶつける。そのスタイルを叩きこむべく、ティー打撃から徹底した。
「しっかりトップをつくること、バットの軌道、そしてボールと距離をとること。この3点を意識しています。すぐに自分のものにはならないでしょうが、これかなというものはつかめてきた」と大引も打撃“改革”に手応えを感じつつある。
「今後の野球人生において大きな財産を得られたと思っています。いいフォームで取り組めていると思うので、これを信じて、根気強く、粘り強くやっていきたいですね」
真中監督が「1本出れば大丈夫」と語っていた通り、翌4日からの横浜DeNAとの3連戦では全試合でヒットを放った。杉村コーチは開幕前、「打線のカギを握るのは、(ラスティングス・)ミレッジ、大引、中村(悠平)」と話していた。ミレッジの故障離脱は誤算だったが、山田、川端(慎吾)、雄平、畠山が並ぶ上位打線は強力なだけに、下位の大引、中村が打てば切れ目がなくなる。これに主砲のウラディミール・バレンティンが戻ってくれば鬼に金棒だ。
打撃ばかりを取り上げてきたが、9試合を終えた段階とはいえ、ヤクルトはチーム防御率1.58とリーグトップを誇る。その背景にはキャッチャー中村悠平、セカンド山田、ショート大引、センター雄平とセンターラインの固定化も寄与していることは間違いない。阪神サイドの解説で神宮を訪れていた元近鉄の佐野慈紀氏も「ヤクルトの隠れた良さはセンターラインの安定にある。セ・リーグの他球団と比較しても、一番しっかりしている。これは守りの上でプラス材料」と指摘する。
投打がかみ合って波に乗れば、勢いも本物になっていく。「つばめ改革」の要とも呼べるショートストップが、攻守でチームを上昇気流に乗せてほしい。
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