この10年でレギュラーシーズン1位4回、Aクラス9回。ホークスは2000年代のパ・リーグで安定した強さを誇った。しかし、ここ数年、主力の移籍や高齢化、相次ぐ故障者などで、チームには転換期が訪れている。「ここ2、3年、(1軍を)経験した若手がいっぱいいる。そこで自分に何が足りないかを意識して練習に取り組む部分が見えてきた。彼らの成長に期待したい」。今季、2年目を迎える秋山幸二監督は、ニューヒーローの台頭を望んでいる。進んで多くを語らない指揮官は、いかなる野球哲学を持っているのか。二宮清純が迫った。
(写真:昨季を「試行錯誤、やりくりの1年だった」と振り返る)
 過去4勝12敗の“天敵”を開幕ゲームで攻略した。
 北海道日本ハムのエース・ダルビッシュ有から13三振を奪われながら、粘っこい攻めで5点をもぎとり、快勝した。
 福岡ソフトバンクホークスの指揮官・秋山幸二は満面の笑みを浮かべて言った。
「いい勝ち方だった。ピッチャーもバッターも緊張感のなか、よく頑張った。特別な日になった」

 勝ったり負けたりの日々のなかで、プロ野球の監督は采配という名の無形の作品を世に送り、周囲の視線の判断を仰ぐ。これだけやりがいがあると同時に、これだけ槍玉にあげられる仕事はそうあるまい。
 米国では監督のことを「スキッパー」と呼ぶ。文字どおり「舵取り役」という意味だ。

「試合前に前もって胃薬を飲むようにしています。選手に準備、準備と言っている手前、こっちも準備をしておかなくちゃね」
 冗談とも本音ともつかぬ口調で秋山は切り出した。
 確かに昨季を振り返れば、胃薬なしではいられなかっただろう。

 前半は良かった。2年連続で交流戦を制し、交流戦終了時点で10の貯金をつくった。
 7月5日には単独首位に浮上し、13日間、トップの座を守ったが、それからは一進一退。首位・日本ハムとの差を詰められないでいた。
 その間隙を突いてきたのが、東北楽天だ。10月1日、直接対決に敗れ、2位の座を明け渡した。終わってみれば、結局、首位から6.5ゲーム差の3位。尻すぼみの感は否めなかった。

 そして迎えたクライマックスシリーズ。敵地・仙台でソフトバンクは楽天に完膚なきまでに打ちのめされる。
 初戦、15勝(5敗)をあげたエースの杉内俊哉がいきなりつかまった。
 初回、先頭打者の高須洋介にレフトスタンドへ叩きこまれると、5番のフェルナンド・セギノールにはバックスクリーン右にまで運ばれた。

 その後も楽天打線に滅多打ちにされ、3回が終わった時点で0−7。4回に4点を返したが、時既に遅し。4−11で大敗した。
 続く2戦目はマー君こと田中将大に9三振を奪われ、1対4と完敗した。これでジ・エンド。
「ウチの試合ができなかった。しゃーない」
 ノムさん(野村克也監督)の高笑いを横目に、敗軍の将はそう吐き捨てた。指揮官になって初めてのシーズンはほろ苦い記憶とともに幕を下ろした。

 ケガ人に泣かされたシーズンでもあった。ざっと数えただけでも、和田毅、新垣渚、ブライアン・ファルケンボーグ、松中信彦、松田宣浩、村松有人らが体のどこかに故障を抱え、戦列を離脱した。
 クライマックスシリーズの前日には長距離砲の多村仁志が顔をしかめて秋山のもとにやってきた。
「ぎっくり腰です」
 これがノムさんなら「プロとしてなっとらん」とボヤキまくったに違いない。

 しかし秋山は感情を表に出さない。昔からそうだ。
「なったものはしょうがない……」
 多村の申し出を静かに受け入れた。

 秋山は静かな男である。別の言葉を用いれば、「闘志を内に秘める」男である。
 西武時代の上司・森祇晶の秋山評はこうだ。
<選手には二つのタイプがある。一つは常日頃から派手にふるまい、大口を叩くタイプ。力以上に自分を見せたがる人間に多い。もう一つは、感情を表に出さず、パフォーマンスが苦手なタイプ。シャイな人間に多い。
 明らかに秋山は後者である。自分をアピールすることに恥ずかしさを覚えるのである。打席内でも、しばしば闘争心が表に出ないといわれるが、頑固さにおいては彼の右に出る者はいない。シンの強い人間は得てしてはにかみ屋である。ボクサーのように、闘争本能が表に出ればいいのになあと私はかねてより思っていた>(森祇晶著『覇道』より)

 その森は指揮官としての秋山をどう見ているのか。
「朴訥とした人柄で、それは彼の良さでもあるのですが、イエスかノーかはっきりしないタイプで、人を説得できるだけの話術もなかった。自分の体験だけでモノを教えるのは、指導者ではないと私は考えていますから、人を納得させることができるものが秋山にあるかな? と思ったものです」(『Number』739号/09年10月15日発売号)
 人柄はいいが、指揮官としては未熟だとバッサリ切り捨てている。

 これに秋山は、どう反論するのか。
「人柄がいいというけど、たぶん、それは違うと思うよね。森さん、僕のこと、よく知らないと思うんだ(笑)。
 僕は普段はやさしそうに見えるけど、いざ試合になったら冷静に比較し、判断するタイプ。別にベテランだからといって気を使ったりはしない。こっちがいいと判断したら迷うことなく、その選手を使いますよ」

 ――ただ一方で森さんや野村さんのように、選手を叱ったり、ボヤいたり、つまりはムチも時には必要だという声もある。
「確かに選手をあまり叱ることはないですね。頭ごなしに怒ったところで、本人が理解していなければしょうがない。それは、結局は自分のはけ口を求めているだけってことになってしまう」

 ――選手に指示を与える時は、自らの言葉で説明するのが“秋山流”だと?
「そうですね。仮に選手を(2軍に)落とす時でも、その理由はちゃんと説明する。ここをこうしてほしいと……」

 ――ホークスの選手たちに求めることは?
「普段はいいんですよ、やさしくても。ただグラウンドに一歩出たら、もっと闘争本能をむき出しにしなくちゃいけない。人が変わったと思われるくらいにね。だってグラウンドに出れば先輩も後輩も関係ないんだから」

 秋山は現役通算22年間で7回の日本一と10回のリーグ優勝を経験している。日本一7回のうち6回までは西武時代のものだ。
 1980年代から90年代前半にかけて西武は我が世の春を謳歌した。いわゆる獅子王朝を、秋山は俊足、強肩、強打の外野手として支えた。
 通算2157安打。ホームラン王と盗塁王の両タイトルを獲得したのは、2リーグ分立以降、秋山ただひとりである。

 そんな中で地味ながらキラリと光る記録がある。1985年から90年にかけて6年連続全試合出場を果たしているのだ。ここに秋山の“プロ魂”を見てとることができる。
「正確に言えばね、“休まなかった”んじゃなくて“休めなかった”んです。強かった頃の西武はスタメンがほとんど固定していました。しかし、皆どこかに故障を抱えていた。足首のねんざだったり、肉離れだったり……。
 ただ、そんなことくらいで休んで、次の人が試合に出て活躍したら自分の居場所がなくなってしまう。それが恐ろしかった。
 そういえば、こんなことがありましたよ。僕がトレーナー室で治療を受けていると先輩の石毛宏典さんがやってきた。僕の目を見るなり、“そんなんで休むわけないよな”と言ったんです。“休みませんよ”と僕は言い返しました。そういう雰囲気があのチームにはありましたね」

(後編につづく)

<この原稿は2010年4月10日号『週刊現代』に掲載されたものです>