
世界中を熱狂させた南アフリカW杯から2カ月が経った。日本代表躍進のキーマンとして中盤で活躍した阿部勇樹選手がこのほどイングランドチャンピオンシップのレスターに移籍した。大会直前にフォーメーションを変更した岡田ジャパンが決勝トーナメントへ進出した陰には阿部の存在がある。移籍直前の8月に阿部選手と当HP編集長・二宮清純が雑誌『第三文明』にて対談を行った。その中から岡田ジャパン変貌の裏側や阿部選手の海外クラブへ対する思いなどを中心に一部を紹介したい。
二宮: 阿部さんは壮行試合となった韓国戦ではセンターバックに入っていました。南アフリカW杯で機能した新フォーメーションのアンカーに抜擢されたのは、直前合宿でのイングランド戦からです。岡田(武史)監督からはどのような指示がありましたか?
阿部: 最初は具体的な指示というのはなかったんです。まずは自分なりに考えて、DFラインとMFの助けにならなければいけない、と。最初はそれだけを意識してやってはいました。
二宮: 日本代表でアンカーというポジションは、いままでやってなかった?
阿部: ほとんどやっていませんでした。イングランド戦の前では一回だけだと思います。直前に少しだけ練習して、ほとんどぶっつけ本番に近かったです。その後、コートジボワール戦で2ボランチに戻してうまくいかず、練習試合のジンバブエ戦でまたアンカーの位置に入り、そこからは練習でもずっとアンカーのポジションでやるようにはなりました。
二宮: 本田圭佑のワントップもジンバブエ戦からです。ということは、コートジボワールに完膚なきまでやられて、岡田さんも腹を決めた。
阿部: そうだったと思います。コートジボワール戦は前半から全くボールを取れなかったし、取ったとしてもなかなかゴールまでいくシーンを作れませんでした。W杯前に、ああいった強い相手とやれたのは、負けはしましたが、とてもよかったなと思います。
二宮: 阿部選手の中で、自分なりのアンカーの形が見えたのはいつ頃ですか?
阿部: ジンバブエ戦の頃、監督が僕に求める役割をビデオで説明してくれました。こういったときはここにいて欲しいとか、とてもわかりやすい説明があったので、練習を重ねながら少しずつ、そのポジションの役割が整理されていきましたね。中澤(佑二)選手や(田中マルクス)闘莉王ともセンターバックで一緒にやってきたので、連係面での不安はありませんでしたし、その経験がなかったら、アンカーには入れなかったかもしれません。
二宮: 岡田ジャパンの躍進については、やはりカメルーン戦が大きかったと思います。攻められていても、ボールを持たせているという感じでした。(サミュエル・)エトー選手にも仕事をさせませんでした。端っこの方に追い出していましたからね。
阿部: ポジションがサイドだったので助かりました。逆に真ん中いたら、嫌だなと思っていたんです。あと、相手のボランチの選手(アレクサンドル・ソング)が出ていなかったのもラッキーでした。
二宮: それでも、カメルーンの攻撃には迫力があったでしょう。
阿部: そうですね。アフリカ特有の伸びがありました。でも、それもコートジボアール戦で経験していたものなので、落ち着いて対処できました。相手にボールを持たれても落ち着いていられたのは、「これはやられる」という感覚がなかったからなんです。何人かでボールを持っている選手を囲んだり、サポートに行くということをしっかりとやれていた。それが勝ち点3につながったんだと思います。
二宮: グループリーグを2勝1敗の2位で突破し、決勝トーナメントに進出しました。パラグアイ戦は惜しかったですね。
阿部: そうですね。あの試合は似たようなタイプの同士の対戦になってしまいました。パラグアイも相手が攻めてきてくれたほうが、彼らの良さが出るチームですから。試合前から1点勝負にはなるとは思っていたのですが、まあ、でも、PK戦ばっかりはね。たしかに負けは負けなので悔しい面もありますが。
二宮: 試合のあとは、PKを外した駒野(友一)に何か言いましたか?
阿部: 重さは違うかもしれませんが、僕自身もPKを外したことがあります。あの気持ちは外したことのある人間にしかわからない。駒野は皆を代表して蹴ってくれたので、背負う込む必要はないってことは、ずっと言っていました。試合直後はなかなか気持ちの整理が難しかったでしょうが、徐々に顔を上げてくれて良かったなと思います。
恩師・オシムと出会って
二宮: 阿部さんにとって、やはり(イビチャ・)オシムとの出会いは大きなものでしょう。
阿部: そうですね。サッカーでの出会いというのは、オシムさんしかいないですね。
二宮: ジェフ時代はビブスの色をいろいろ変えるなど、ユニークな練習を行っていました。あれは何種類ぐらいあったのですか?
阿部: 9か10種類ぐらいはありましたね。最初は練習法に戸惑いましたけど、慣れてくると普通にトレーニングできました。練習量も多かったのできつかったですが、楽しみながらやれていたっていうのが良かったですね。
二宮: 一番、オシムに怒られたことは何でした?
阿部: ほとんど怒られていた記憶しかないのですが(笑)、相手のキーマンをマークすることが多かったので、その選手にやられると「自由にさせるな」と常に言われました。でも、僕は二文字の名前だからよく怒られていたんじゃないかって思うんですよ。やはり呼びやすいですから、アベとか、マキとか(笑)。まあ、僕が勝手に思っているだけですが、そうであって欲しいです(笑)。
二宮: オシムさんはジェフの他に代表でも監督を務められました。彼が倒れた時はショックだったでしょう。
阿部: 恥ずかしいのですが、あの時は泣いてしまいました。オシムさんが倒れたことについては、僕は責任を感じているんです。アジアカップ(07年)は暑い中で開催されていて、サウジアラビアとの準決勝で日本が負けてしまった。その試合で僕はセンターバックをしていたのですが、全くいいプレーできず、マークしていた選手にゴールを決まられてしまった。今、オシムさんと話しても、その当時の話が出るんですよ。「お前が、あの時にミスしなきゃな」という感じで。そのアジアカップの後に、体調を少しずつ崩されていったので、周りはどう思っているかわからないですけど、僕は少なからず責任を感じましたね。
二宮: 一時は命も危ないと言われていましたが、現在は随分と回復されています。
阿部: はい。電話でワールドカップ前に一度、話した時にも、非常にお元気そうでした。
二宮: オシムさんから学んだことの中で、阿部さんが一番大切にしていることは?
阿部: サッカーに対する考え方ですね。全てをサッカー中心に考えろということをいつもおっしゃっていました。あまり考えすぎてもよくないと思うんですけど、僕にとってサッカーというのは日常ですし、試合になれば対戦相手のこともより深く考えるようになりました。
二宮: オシムさんは家に帰っても、ずっとサッカーのビデオを見ていたらしいですね。
阿部: 常に見ていると聞いていますし、倒れた時も見ていたそうですから。本当にサッカーが好きなんですよね。
二宮: 多くの選手がワールドカップ後にヨーロッパへ挑戦しています。阿部さんはヨーロッパへ行ってやろうという気持ちはありますか?
阿部: 今年で29歳になりますから、年齢的に今が最後のチャンスかなと思っています。自分としては、なにか目標を持ってプレーしなければいけないと常に考えているんです。大きな目標のうちの一つがワールドカップだったので、それが終わった今、何かまた、次のチャレンジをしなければと感じています。年齢的に厳しいと言われようが、挑戦する意志を持って今後もプレーしていきたいですね。
<現在発売中の『第三文明』10月号では、さらに詳しいインタビューが掲載されています。こちらもぜひご覧ください>