
18歳の時、自らが運転する車で交通事故を起こし、車椅子生活を余儀なくされた根木慎志。根っからのスポーツ少年だった根木にとって、自分の足で走れなくなったショックの大きさは計り知れない。そんな彼に生きる力を与えたのが車椅子バスケットボールだ。日本選手権で優勝するなど、国内ではトッププレーヤーに成長した根木は、2000年のシドニーパラリンピックでは36歳で初出場ながら主将に抜擢された。現在はプレーする傍ら、一パラリンピアンとして競技の普及やジュニア世代の育成に注力している。その根木選手に二宮清純がインタビューを敢行。車椅子バスケットボールの魅力に迫るとともに、幅広く行う活動について訊いた。
二宮: 今回の東日本大震災は戦後最大の被害と言われていますが、関西にお住まいの根木さんの場合、1995年の阪神・淡路大震災を思い出されたのでは?
根木: そうですね。僕は奈良に住んでいますので、直接的な被害は受けていないんです。でも、神戸のチームには親しい選手もいましたし、僕が当時所属していた奈良のチームにも神戸に住んでいる選手がいましたので、連絡がなかなか取れずに心配しました。そんなことが甦りましたね。
二宮: 根木さんが副会長を務める日本パラリンピアンズ協会では被災地に向けて何か活動をしているのですか?
根木: 協会ではメールマガジンをやっているのですが、震災直後には被災地の障害者に役立つ情報を集めて配信しました。そのほか、具体的な活動はこれからというところです。パラリンピアンで街頭募金活動を行なうとか、協会で口座をつくり、義援金を募って被災地に送るとか、いろいろと話し合いをしていますが、息の長い活動をしていけたらと思っています。
二宮: 日本パラリンピアンズ協会以外でも、根木さんは元バレーボール全日本女子監督の柳本晶一さん(理事長)や元陸上日本代表の朝原宣治さん(副理事長)たちと共に「アスリートネットワーク」での活動をされていますね。
根木: はい。「アスリートネットワーク」では被災地の子供たちを支援しようと、震災の3日後には「キッズドリーム基金」を開設しました。今後は復興支援のためのチャリティーイベントも行ないたいと思っています。
復興とともに求められるスポーツ
二宮: 震災直後は自粛ムードが広がり、スポーツ界においても大会やイベントの中止・延期が相次ぎました。
根木: 阪神・淡路大震災を経験した選手の話を聞くと、やはり最初はバスケットボールよりも、まずは普段の生活に戻れるかどうかということしか頭になかったそうです。でも、少しずつ復興が進むにつれて、気持ちが変わってきたと。それに、震災のけがが原因で車椅子生活になってしまった人がチームに結構、入ってきたんですね。ということは、やっぱりスポーツを必要としている人はいるということです。今回の震災でも体に大きなケガを負ってしまった人はいると思います。そういう人たちの中にはスポーツをしたいと思っている人たちもいることでしょう。今後、スポーツが果たすべき役割は大きいのではないでしょうか。
二宮: ゴールデンウィークに開催予定だった日本車椅子バスケットボール選手権大会は、残念ながら今年度は開催しないことが決定しました。選手たちの反応は?
根木: 3連覇中の宮城MAXの選手の中には被害を受けている選手もいますから、5月開催の取りやめは誰もが納得していると思います。しかし、宮城MAXの選手たちが出場できる頃合いを見計らって、時期や場所を再検討する方法もあったのではないかと。選手の中には「日本選手権は東京体育館でやってこそ意義がある」という人もいます。でも、僕は場所ではなく、やることの方が大事だと考えています。
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