二宮: 先日のアジア予選で、日本が北京五輪出場を決めました。これで公開競技だった1984年のロサンゼルス五輪も含めて7回連続の出場ですね。
でも、思い起こせば一昔前まではプロ野球関係者はほとんど全員がオリンピックにプロ選手を派遣することに反対していたんですよね。
松永: 私が1999年に野球界から初めてJOC(日本オリンピック委員会)の理事になった時、野球界は私を「あいつはJOCに行った人間だから」と言って見向きもしてくれなかった。私は野球界とJOCのパイプ役になろうと一生懸命だったのですが……。
<提供:アサヒビール株式会社>二宮: 特にプロはずっとオリンピックを敵視してきましたからね。
松永: 最初はJOCからの風当たりも強かったですよ。2000年のシドニー五輪の時に本部役員になりましたが、周囲から反発の声が上がりました。JOCに加盟している競技団体は日本オリンピック委員会承認団体も含めて55もあるんです。その中で、まず陸上、水泳、そして柔道、レスリングとくるじゃないですか。その中で、なぜ新しく加わったばかりの野球からきた松永が本部なのかと。
二宮: 当時は野球界がJOCに非協力的だったということも原因のひとつだったのではないでしょうか?
松永: 全くその通りです。
二宮: JOCに加盟したからには、野球界から「バックアップしよう」と声が上がるのが普通です。
松永: そうなんです。ところが、「あいつは野球界から離れた」と言われるんですからね。あの時は、本当に辛かったねえ。
でも、私はJOCに現場主義を打ち出して、精力的にやりましたよ。私自身、2年間で国内、海外、競技問わず、合宿や大会に86回も足を運びました。
二宮: 当時、野球界には松永さんのように世界を見ている人がいませんでした。ロス五輪で金メダルを獲ったことで「法政の松永」から「世界の松永」になった。
松永: いやいや、そんなことはないよ。運よく国際アマチュア野球連盟から「最優秀監督賞」をもらったりしているから、そう思われているのかもしれないけどね。
私は自分の経験したことをこれからの人たちに残していきたいだけなんです。ただ、邪魔にならない程度にね。古橋廣之進さんが日本水泳連盟の会長を退いた時に「今後は余計な口出しをせずに」と言ったんです。これは去っていく人の名言ですよ。私もそんな心境です。
これだけ国際化が進む中、組織はどんどん若い人にチャンスを与えていかなければいけません。それを死ぬまでやるというのが美学だという考えがまかり通っている野球界はダメですね。
二宮: 松永さんをロス五輪の監督に任命したのが当時代表チーム団長だった山本英一郎さんです。山本さんは賛否両論ありますが、野球への情熱がありました。お二人みたいにプロに対して堂々と苦言を呈する人が、今のアマチュア界にはいなくなった。
松永: アマチュア野球界にもサムライがいなくなってしまったね。
アマからの人材登用
二宮: プロにもっと反省を促すべきなんです。松永さんが84年に苦労して金メダルを獲ったにもかかわらず、その後もプロは蛸壺に入ったままで、身動きもしなかった。星野ジャパンにしたって、アマチュアが国際化を進めてきたその延長線上にあるということを理解していない人が多過ぎる。
松永: 結局、みんな視野が狭いんですよ。やっぱりプロアマ問わず、野球界にもリーダーシップをとれる人がどんどん出てきてほしい。
二宮: プロ野球のコミッショナーに松永さんが就けばおもしろい。プロには松永さんの教え子もたくさんいますから。
松永: この間、私の教え子が60人ほど集まって、殿堂入りのお祝いをしてくれたんです。その時に私の夢を語らせてもらいました。WBC、オリンピックは田淵幸一と山本浩二に任せて、問題はプロ野球のコミッショナーだと。これを山中正竹に託しているんだと言ったんです。そしたら、ほとんどみんなあっけにとられていましたよ。でも、私は山中の性格を考えれば、夢ではないと思っています。これからはプロもアマチュアの人材を現場やフロントに入れるべきです。
二宮: 松永さんだって、まだ老け込む歳ではない。
松永: いやいや、私なんかはもう歳だから。ただ、もうちょっと今の野球界にお手伝いできればとは思っています。
二宮: 松永さんは野球界がJOCと関係がよくなかった時期に、JOCのの中心になって活躍されました。野球界だけでなく、日本のスポーツ界のリーダーになられた。それが松永さんの一番の功績だと僭越ながら思っています。
松永: 私もそう思っています。
二宮: 関係のよくなかったJOCと野球界の橋渡しを松永さんがやられた。
松永: 本当に苦労しました。それが多少なりとも殿堂入りに結びついてくれていたらな、と思っています。
今回の殿堂入りを知ったのが今年の1月10日なんですよ。バスに乗っていたら立教大学出身で、現在特別表彰委員会の委員をしている篠原一豊から電話があったんです。「まっちゃん、殿堂入り決まったよ」って。私は信じられなくて、「そんなはずないだろう」って言いましたよ。プロの人はアマチュアから育っていったはずなのに、プロになった途端にアマチュアには見向きもしなくなる。そういう人たちが選ぶわけですから、選考基準なんてあったもんじゃない。
私もこれまで競技者表彰で何度も候補に挙がっているんです。ところが、結局は落選するんです。そんなことをいちいち気にしていたらやっていられないから、私はとっくに諦めていました。そしたらいきなりそんな突発的な電話がかかってきたもんだから、本当にビックリしました。
二宮: 現場主義を貫いてきた、その生き様は徹底されてましたね。
松永: 私は妥協しませんからね。特に自分の生き方に対しては絶対に妥協しない。その代わり、なんでもとことん徹底的にやるんです。JOCでは現場にどんどん足を運ぶもんだから、“現場主義者の水戸黄門”って言われていました(笑)。でも、まぁいいことですよ。
全日本だからってまわりがみんな遠慮するじゃないですか。「合宿なんか近寄ったらいかん」と。そうじゃないんですよ。案外、孤独なんです、代表というのは。
二宮: 星野ジャパンの合宿などに松永さんが行ったら、みんな喜びますよ。
松永: いやいや、そんなことないよ(笑)。でも、星野、田淵、山本浩二の3人には世界一になってもらいたいなあ。そして星野にはぜひ「最優秀監督賞」をとってもらいたいね。
(おわり)
松永怜一(まつなが・れいいち)プロフィール1931年、福岡県生まれ。八幡高、法政大では内野手として活躍。法政一高では監督として春夏一度ずつ甲子園に出場した。堀越高の監督を経て、65年に法大の監督に就任。“法政三羽ガラス”の異名をとった田淵幸一、山本浩二、富田勝を擁し、東京六大学野球で6度のリーグ優勝に導いた。71年より住友金属野球部監督に就任し、日本選手権で2度の優勝を果たす。84年にはロサンゼルス五輪野球日本代表監督に抜擢され、見事金メダルを獲得した。今年、長年の功績が称えられ、特別表彰として野球殿堂入りする。
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