日本の障害者スポーツを語るうえで欠かせないのが社会福祉法人「太陽の家」の創設者・中村裕氏(故人)だ。中村氏は東京パラリンピック(1964年)の開催を訴えるなど、早くから障害者スポーツの重要性を説き、普及を図ってきた。その中村氏の理念を継承し、障害者スポーツの普及・発展に尽力しているのが中村氏の長男で、現在「太陽の家」理事長の中村太郎氏である。今回は「挑戦者たち1周年特別企画」として二宮清純と、伊藤数子「挑戦者たち」編集長が「太陽の家」を訪問。中村太郎氏と障害者スポーツについて熱く語り合った。
伊藤: 今回は「挑戦者たち」開設1周年記念企画として社会福祉法人「太陽の家」の理事長・中村太郎氏をゲストにお招きしました。障害者スポーツについて、いろいろとご意見を伺いたいと思います。現在、一般スポーツと障害者スポーツを併合し、「スポーツ省」「スポーツ庁」の創設への声は増すばかりです。文部科学省が策定を目指している「スポーツ立国戦略」の中にも障害者スポーツが含まれており、障害者スポーツの変革期を迎えていると言っても過言ではありません。その背景にはパラリンピックのエリート化が挙げられます。来年にはロンドン大会が開催されますが、中村理事長はパラリンピックについてどんな考えをもたれていますか?

中村: パラリンピックにおける障害者スポーツは、日本でもすっかりエリートスポーツとして認識されるようになってきたなと感じています。課題はあるにしろ、やはり障害者スポーツの最高峰の大会としてエリート化が進むのは非常にいいことだと思いますよ。

伊藤: 中村理事長自身、シドニー大会とアテネ大会ではチームドクターとして日本選手団に帯同されました。

中村: 私は大学卒業後、1984年から車椅子マラソンに関わっていますが、最初はやはり障害者スポーツに対してリハビリという意識の方がどうしても強かったんです。しかし、シドニーパラリンピックで選手団に帯同した際に世界のトップ選手を目の当たりにして、初めて障害者にもエリートスポーツというものがあることを理解することができました。

二宮: 日本でパラリンピックが初めて開催されたのは64年の東京大会でした。この時、先導役となったのが先代の中村裕先生です。つまり中村先生は日本において"パラリンピックの父"ということになりますね。

中村: その頃、日本では医者が障害者スポーツのリーダー役を担っていたようですね。東京パラリンピックでは選手団といっても、父が勤めていた病院の患者さんたちで構成されていたというのが実情なんです。

二宮: そもそも当時、日本でスポーツをしている障害者はほとんどいなかったのではないでしょうか。

中村: はい、そうなんです。父は英国から帰国してから、日本にも障害者スポーツを普及させようとしたのですが、なかなか思うようにはいかなかったようです。それでメディアに注目してもらおうと、東京オリンピックの後にパラリンピックを開催しようとしたんです。二宮さんが言われたように、スポーツをやっている障害者は皆無でしたから、自分の患者さんたちを集めてやったんですね。その後も80年代くらいまでは、障害者スポーツはリハビリの一環としてしか見られていなかった。そのために競技にもよるとは思いますが、医者がリーダー的存在となって、大会の運営から選手の選考までやっていたんです。それが段々と普及していき、今では医者の役割といえば、ドーピング検査くらいのものですよ。


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