二宮: 康生さんは北京五輪の代表選考を兼ねた全日本選手権を最後に、現役引退を表明されました。康生さんとは長いお付き合いですが、あらためて長い現役生活、お疲れさまでした。今の心境はいかがですか?
井上: 五輪代表を逃した悔しさはありますが、自分の柔道はやり尽くしたなという思いです。そういう意味では、北京五輪が近づいてきても心が騒いだりする気持ちはないですね。


二宮: 最後の試合となった4月29日の全日本選手権では、準々決勝で高井洋平選手に敗れました。最後に康生さんが思い切った内またをかけましたね。「これで勝てなければ仕方がない」という覚悟を感じました。
井上: そうですね。返されるかもしれない、という気持ちではなく「最後、内またで投げてやるんだ」と。やはり僕自身、全日本選手権が最後になるんじゃないかと思った部分もありましたし、その中で悔いのない戦いがしたかった。すべてぶつけて散れば、それは自分の生き方だと思いましたから。残り10何秒、最後まで攻め通そう、と。最後に自分の必殺技で勝負に出ました。

二宮: その後、抑え込まれてしまいましたが、その間は長く感じましたか?
井上: いや、そんなに長くは感じなかったです。あの時は「あぁ・・・・・・終わったな」という気持ちだけでしたね。

二宮: 天井を見るのはどんな思い?
井上: いや、あまり見ていなかったです。ぼんやりしているというか、もう自分だけの空間でしたね。

二宮: 周りの声も聞こえなかった?
井上: 試合中は聞こえましたけど、抑え込まれているときは聞こえなかったですね。試合時間の残りもなかったですし、あの時点で逆転をするのはもう難しかった。その前に自分の力は出し尽くしていましたから、後悔はなかったです。

二宮: 畳を降りるときの気持ちは?
井上: 終わったな……と。畳を降りるときには「もうすべて出し尽くしたな」という気持ちでした。

二宮: 悔しさは?
井上: それはもちろん、ありました。勝負に負けたのは悔しかったですし、最後まで応援してくれた人がたくさんいましたから、そういう人たちを北京に連れていけなかった悔しさは残りました。でもそれ以上に、もう負けた時点で「やるべきことはやった」「精一杯やったな」という気持ちが上回っていました。

二宮: ご自身の柔道人生を振り返って、長かったですか?
井上: 25年間……アッという間だったようにも感じるし、短くも長かったような……両方の思いがありますね。

 相手の身体を根こそぎ投げる

二宮: 現役時代、ずっと取材をさせていただいてきましたが、やはり特に印象に残っているのはオール一本勝ちで金メダルを獲得したシドニー五輪。亡くなられたお母様の遺影を手にしての表彰式は感動しました。
 それにしても康生さんの内または、まさに“芸術品”。あの技は瞬間的に出るものなのでしょうか?
井上: 僕自身が思うことですけど、これまでいろんな選手が出てきていますが、他の選手にはなかったバネがあったと思います。それと、タイミングの捉え方が人一倍よかったのかな、と。超級にはない100キロ級ならではのスピード感も持っていましたから。相手が気付く前には技に入っている、そして膝のバネで跳ね上げる、と……。

二宮: 跳ね上げるときは、支える足が大事になりますよね。
井上: やはりバネに関しては支える足が大事ですね。最後に踏み込んで跳ね上げるときの土台となりますから。そのバネがほかの選手よりあったのかな、と。

二宮: それは天性のものなのでしょうか?
井上: 訓練すればある程度は身につくと思いますけど、それ以上というのは難しいでしょうね。

二宮: 内またのタイミングは、ある日、「コレだ」という奥義を掴んだ?
井上: そうですね。内または父の得意技でもありましたから、小学校、中学校のときに土台が作られましたね。その頃から内またの感覚はあったと思います。高校、大学でも通用しましたね。

二宮: 身体の大きな選手でも面白いように宙を舞いますよね。
井上: 二宮さんにはずっと見ていただいたので分かると思いますが、シドニー五輪の頃と、アテネ五輪からの4年間では内またのかけ方がまったく違うんです。100キロ級と超級での技のかけ方もまったく違う。膝を故障したことで膝のバネが徐々に失われてきた。そうなるとほかのところで補わないといけない、と。だからかけ方が全然違うんです。

二宮: 確かに、技のかけ方が複雑になりましたよね。
井上: シドニーまでは相手の身体を根こそぎ持っていく爆発力があったんです。そのパワーが怪我の影響で失われていって、トレーニングでも補えなくなってきた。それで膝のバネで跳ね上げていたのを、例えば身体を回転させながらかけたり、どんどん変えていったんですね。どちらの内またも身についたのは、今後の財産になると思います。

二宮: なるほど。子どもの頃から数えきれないくらい試合をしたと思いますが、その中でも会心の試合は?
井上: やはり内またにはこだわりを持っていますから、シドニー五輪の決勝でカナダのギル選手に内またで一本勝ちした試合と、2003年の全日本選手権の決勝で鈴木桂治選手にやはり内またで一本勝ちした試合です。この2つは、自分でもうまく投げられたと思いますね。

二宮: シドニー五輪の決勝は、今でも鮮明に覚えています。あの内または、目にも見えない速さでしたよ(笑)。
井上: あのときは、タイミングもバッチリでしたし、相手の重さも全然、感じなかったですね。自分が「このタイミングだ」と思ったときには、すでに相手を投げていました。

 現場第一主義の指導者に

二宮: 全日本選手権を制した石井慧選手の柔道は、勝つための柔道とも言われますが、ああいう柔道スタイルについてはいかがですか?
井上: 僕も今後、指導者としてやっていくわけですが、やはり人間の顔はみんな違うように、柔道スタイルや形はみんな違うと思うんです。そういう意味では、彼の勝ちにこだわるスタイルも、僕は良いんじゃないかなと。ただ、柔道家として根本的に忘れちゃいけないことはありますから、そこだけは忘れないで欲しいですね。やはり相手がいて初めて柔道は成り立つので、相手を敬う心は大事ですね。その上で「自分にはこの勝ちを求める柔道しかできない」というのであれば、それはそれでいいと思います。

二宮: これから指導者の道を歩まれるわけですが、ご自身が描く指導者像は?
井上: 正直、今はまだ、描けていません。これから、いろいろな勉強をしていきますし、来年には海外研修に行きます。日本の柔道、海外の柔道を見ていく中で、いろいろなことを感じると思いますし、その中で徐々に身についてくるものなのかな、と。だから今はまだ指導者像は見えないですね。これから作り上げていきたいなと。

二宮: 指導者として、いずれ日本の柔道界を背負っていく立場に立たれると思いますが、国際的には政治力も必要になりますよね。近年、国際的な柔道のルールが変わってきていると言われます。グローバリズムはもちろん大切ですが、日本の伝統的な柔道の良さが失われるのではないかという声もある。その結節点は難しいと思いますが、そのあたりはどうお考えですか?
井上: これから2年間、ヨーロッパなど海外に出て経験させてもらうのは、勉強するための時間でもあります。僕自身もいろんなものを吸収して勉強したいと思っていますが、まずは現場をどう強化し、いかに選手たちを勝たせるか、ということを第一に考えたいですね。そこをやり尽くしたときに、次の世界が待っているのかなと。いろいろな世界を見ていくことは確かに大切なことですし、現場でもいろいろな世界と結び付くこともあると思いますが、現場以外のことはまずはほかの先生方にまかせて、まずは現場のことを一番に考えていきたいと思っています。

(後編に続く)

井上康生(いのうえ・こうせい)プロフィール>
1978年5月15日、宮崎県出身。東海大相模高−東海大−綜合警備保障。5歳のときに、父・明氏の影響で柔道を始める。00年シドニー五輪100キロ級金メダル。99年、01年、03年世界選手権100キロ級で3連覇。01〜03年全日本選手権3連覇(史上4人目)。04年アテネ五輪では4回戦敗退。その後、100キロ超級に転向。北京五輪代表を逃し、08年5月2日に現役引退を発表。得意技は内また、大外刈り。183センチ。5段。





★本日の対談で飲んだお酒★[/color]
 
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