二宮: 引退されてからは野球解説のほかに、「ジョニープロジェクト」と題して子どもたちへの野球教室も熱心に行われていますね。
黒木: 子どもたちに伝えたいのは、単に野球がうまくなればそれでいいわけではない。キャッチボールひとつにしても相手の捕りやすいところにボールを投げる。たとえ相手が送球ミスをしても、カバーして何とか捕ってあげる。相手に対する優しさを育んでもらいたいと願っています。


 子どもたちと楽しむ手打ち野球

二宮: 最近は街なかでキャッチボールをしている子どもたちをあまり見かけなくなりました。“荒れる子どもたち”がクローズアップされるようになって久しいですが、キャッチボールを通じて、相手のことを思いやる習慣がなくなってきたことも影響しているのかもしれません。
黒木: 子どもたちには通常のボールではなく、軽いカラーボールを使うようにしています。最初は「投げづらい」とか「おもちゃみたい」とか不満も出るのですが、相手の捕りやすいところに投げるのは意外と難しい。それでも何度も投げているうちに、だんだんストライクボールがいくようになっていくんです。子どもたちにいいボールがなぜ投げられるようになったか理由を訊いてみると、「相手の捕りやすいボールを投げようという気持ちになった」と。つまり、カラーボールだろうが通常のボールだろうが基本は変わらないんです。相手を思う心がないと、どんなに素晴らしい道具を使っても野球はうまくならない。

二宮: ちょっと普通の野球教室とは違いますね。
黒木: ええ。だから「野球教室」とは呼んでいません。グローブもバットも使いません。キャッチボールが終わったら、手打ち野球をします。その時に、チームやルールはこちらで決めないようにしているんです。チームもルールも自分たちで考えてつくってほしい。

二宮: それは素晴らしい。日本人は「ルールを守る」ことには熱心でも、「ルールをつくる」ことが不得意。スポーツの世界でも国際ルールが変わると日本人はすぐとまどってしまう。その前に、自分たちが主体的に「ルールをつくる」ことに目を向けてほしいものです。
黒木: 今の野球少年はグラウンドがあって、ベースがあるのが当たり前と考えている子どもたちが多い。でも、一塁がドラム缶、二塁が電柱、三塁がブロック塀だっていいんです。何でも与えられるのではなくて、自分たちで考える、工夫することの大切さを感じてほしいなと思っています。

二宮: 私たちが子ども時代に空き地で野球をしていた時は、それが当たり前でしたからね。
黒木: 僕も野球をはじめたきっかけは手打ち野球。それからソフトボール、硬式野球と段階を踏んでいきました。地元の日向は当時、近鉄のキャンプ地で小さい頃からプロ野球選手に憧れていましたね。最初にサインをもらったのは、日本ハムの監督をされている梨田昌孝さん。次にスポーツ選手でサインをもらったのはジャイアント馬場さんでした。

 イチローの攻略法

二宮: 馬場さんはプロレスラーとして有名ですが、もともとは巨人でピッチャーをしていました。
黒木: 実は高校時代、その馬場さんにピッチングフォームを教わったんです(笑)。ちょうど隣の体育館で試合を終えた馬場さんがグラウンドで涼んでいた。練習している僕たちを見つけて、「ピッチングしてみろ」と。

二宮: ピッチングを見た馬場さんは何と?
黒木: 「腕の振りが悪い!」(笑)。当時、僕はサイド気味のフォームでした。「横(手投げ)じゃダメだよ」。その一言がきっかけで、オーバースローに転向したんです。

二宮: 黒木さんの同期をみてみると、イチロー、中村紀洋、小笠原道大、石井一久、三浦大輔……。今の球界を代表するプレーヤーがそろっています。
黒木: 昭和48年生まれなので、「48会」という集まりを設けています。ちなみに僕が会長です。個性の強いメンバーばかりなので、なかなかまとまりません(苦笑)。

二宮: イチローとはオリックス時代、数多くの勝負を繰り広げました。マウンド上で感じた印象は?
黒木: どんなことがあっても自分のルーティンを変えない男ですね。自分なりの方法論、タイミング、感覚を誰も到達できないレベルにまで高めている。こうなると抑えるのは難しいですね。おそらく通算で3割前後、打たれたのではないでしょうか。

二宮: イチローの攻略法は?
黒木: 実はイチローがメジャーリーグに挑戦する前、相性の良かった時期がありました。その時に、なんとなくつかんだ攻略法があるんです。彼が現役なので詳細はお話できませんが、まずは彼のルーティンをいかに崩すか。彼のリズムに乗ってしまうと、たとえアウトになってもいい当たりをされてしまう。これはピッチャーにとっては打たれたも同然なんです。そして、最後は僕がつかんだイチローのウィークポイントで仕留める。このポイントを突くために初球から配球を逆算して投げていました。

 カモにされた意外なバッター

二宮: 一番、苦手としていたバッターはやはりイチロー?
黒木: いえ。日本ハム時代の野口寿浩(現阪神)さんが一番イヤでした。確か、一番打たれた年は被打率7割台だったと思います。何を投げても打たれてしまう。当時、日本ハムはビックバン打線と言われましたが、野口さんはその中の8、9番。普通は一息つけるところなのですが、まったく気が抜けませんでしたよ。思わず「クセがわかるんですか?」と本人に聞いたら、「そうじゃない。自分で言うのもなんだけど、何を投げてきても黒木の球なら打てる」と(笑)。
 
二宮: そこまで言われたら、お手上げですね(笑)。
黒木: 次に苦手だったのは西武時代の鈴木健さん。ただ、健さんは好不調の波がある方だったので、対戦した時期がいいと抑えられることもありました。

二宮: 僕は黒木さんのピッチングで最も印象に残っているのは、2001年の開幕戦。西武・松坂大輔(現レッドソックス)との投げ合いです。結果は6−3でロッテが勝ち、黒木さんに軍配が上がったのですが、両エースが存分に持ち味を出した好ゲームでした。ただ、主審のストライクゾーンが狭すぎた。もっとコーナーのボールをストライクにとってくれれば、より白熱した投手戦が見られたはずです。
黒木: あの試合、松坂はかなり判定にイライラきていました。僕は初回に3点を取られてしまいましたが、2回、初芝清さんに投げたスライダーをボールと判定された。その瞬間、明らかに不満そうな表情をみせましたからね。これを見て、「絶対に逆転できる」と感じました。

二宮: 試合時間短縮が叫ばれています。審判が際どいコースをストライクにするだけで、かなりゲームの展開は早くなるというのが私の持論です。ストライクかボールが微妙なボールは打たなかったほうが悪い。これくらいの割り切りが必要でしょう。
黒木: 日本はどちらともとれるコースを「ボール」と判定したほうが審判に技量があるとみなされる傾向がある。明らかにバッターの手が出ないコースはぜひストライクとコールしてほしいですね。逆にピッチャーは1球1球の判定で表情を変えるなと言いたい。審判の印象を悪くしてストライクゾーンが狭まっている側面がないわけではないですから。
 もっと球界は球場に来る子どもたちのことは考えるべきでしょう。試合時間が3時間を超えて9時を過ぎてしまうと、さすがに家に帰らないといけない。球場にやってくる子どもたちを増やすことが、野球の魅力を伝える最高の方法だということを意識してほしいです。

 「もうオレはあの頃の黒木じゃない」

二宮: 各球団のエースと果たし合いのような投げ合いを演じた黒木さんも現役生活の最後はケガとの戦いでした。
黒木: 肩の棘上(きょくじょう)筋と棘の部分断裂、そして関節唇の故障でした。最後まで故障前のボールに戻ることはなかったですね。1、2球いいボールがいっても続かない。最初は自分のイメージとのギャップに歯がゆい思いをしました。
 でも、ある時から「もう僕にはこのボールしか投げられない」と考え方を変えたんです。それからはシュートを覚えたり、腕の位置を下げてみたり、今までの経験を生かして、バッターの狙いを外したり……。できることは何でも試してみました。

二宮: でも、ファンからしてみると故障前の黒木さんのイメージが強い。かわす投球は似合わないという人もいたでしょう。
黒木: だから最後まで葛藤がなかったかといえばウソになりますね。どんなに気合を入れて声を出して投げたところで、実際のボールには威力がない。「もうオレはあの頃の黒木じゃないんだ」。いくら自分に言い聞かせたところで、周囲の目が気にならないわけではなかった。

二宮: 引退を決意したのは?
黒木: 実は最後の年になった2007年はファームで1年間、投げられましたし、痛みも出ませんでした。ただ、僕は投げられる状態でも、球団は僕を必要としなかった。プロである以上、どこからも必要とされないのであれば一線を退かなくてはいけない。プロ野球は自己評価ではなく、他人が評価を決める場所。それが引退を決めた理由です。

二宮: 決断にあたって相談した人はいますか?
黒木: ボビー(・バレンタイン監督)とはいろいろな話をしました。「僕がずっと監督をしていたら、クロキは故障していなかったかもしれない」。その一言は、すごくありがたかったです。だから、ボビーとはいつも正直に話をしました。不安があれば「不安がある」と言いましたし、肩の状態を包み隠さず報告しました。
 でも、監督の立場とすれば、いつ故障が再発するか分からない投手は使いづらい。最後の年に痛みがなくても、1軍からお呼びがかからなかったのは、その影響もあったと思います。

二宮: また、ユニホーム姿をみたいというファンの方も多いはずです。
黒木: もちろん自分が必要とされれば、ぜひ恩返しをしたい気持ちがあります。そのためには勉強も惜しまないつもりです。ただ、どんな形であれ、これからの野球界をいい方向に変えていきたい。そのひとつが「ジョニープロジェクト」なのかなと考えています。このプロジェクトで触れ合った子どもたちが、素敵な大人、プロ野球選手になれば、日本の野球はもっと良くなる。そう信じています。

 漁師になりたい

二宮: ところでお酒はよく飲まれますか?
黒木: 毎日、晩酌をするタイプではないのですが、汗をかいた後に飲むビールはやっぱりうまい。このプレミアム・モルツを飲んでビールのイメージが変わりました。他のビールと比べて泡のきめが細かいところがいいですね。泡をしっかり立ててコップにつぐとおいしさが増します。

二宮: 現役時代に釣りが趣味だと聞きましたが、今でもよく海に?
黒木: おかげさまで最近、忙しくなってきたので、なかなか機会がありませんね(笑)。ただ、11月に八丈島の子どもたちに会いに行くので、今から釣竿を準備して楽しみにしています。釣りの後に飲むビールはまた格別です。クーラーボックスの中で冷やしたビールに、氷でキンキンに締めた魚をさばいて食べる。これは最高ですよ。

二宮: 野球と釣り、どちらが好きと訊かれたら?
黒木: 釣りです(笑)。野球も楽しいですけど、釣りは自然が相手。スケールが違います。海を目の前にしていると悩みも吹き飛びます。本当は漁師になるのが夢なんです。

>>前編はこちら


黒木知宏(くろき・ともひろ)プロフィール>
1973年12月13日、宮崎県出身。延岡学園高、王子製紙春日井を経て1994年ドラフト2位でロッテに入団。小宮山悟、伊良部秀輝らとともにローテーションの一角として活躍する。98年には13勝9敗で最多勝と最優秀勝率の2冠。00年には日本代表としてシドニー五輪にも出場。気合を全面に押し出すピッチングスタイルと「ジョニー」の愛称でロッテファンのみならず、多くの野球ファンに親しまれた。その後は故障に泣かされ、07年オフに球団から戦力外通告を受けて引退した。現役時代の通算成績は199試合、76勝68敗1S、防御率3.43。現在は野球解説に加え、「ジョニープロジェクト」を立ち上げ、野球の更なる発展、普及活動に力を入れている。9月に初の著書『54「もう、投げなくていい」からの出発』(KKロングセラーズ)を出版。
>>公式サイト「johnny」



★本日の対談で飲んだお酒★[/color]
 
世界的な酒類・食品などのコンテスト「モンドセレクション」のビール部門で、3年連続最高金賞(GRAND GOLD MEDAL)を受賞したザ・プレミアム・モルツ。原料と製法に徹底的にこだわり、深いコクとうまみ、華やかな香りを実現しました。

提供/サントリー株式会社

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(写真:黒木さんのユニホームや写真等も飾られた店内)
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