二宮: 内藤さんがボクシングを始められたきっかけは何だったのでしょうか?
内藤: 高校卒業後に上京したのですが、偶然本屋で読んだ格闘技の雑誌にボクシングジムの一覧が載っていたんです。僕は当時、埼玉県の八潮に住んでいて、その近くにジムがあることを知ったんですね。それまでボクシングをやりたいと思ったことはなかったのですが、なぜかその時、胸が高鳴ったというか「やってみたい」と思ったんです。


二宮: 好きな選手はいたのですか?
内藤: いえ、全くいなかったですよ。というより、ボクサーはほとんど知らなかった。もちろん世界戦はテレビで観たことはありましたよ。単純に「すげぇな、かっこいいな」とは思っていましたけど、僕にとっては未知の世界でしたから、まさか自分がやるなんて夢にも思っていなかった。

二宮: 宮田ジムに入るきっかけは?
内藤: 最初に入ったジムはトレーナーが一人いるだけで、何も教えてくれなかったんです。1年通ったんですけど、「どうせやるんだったら、強くなりたい」という気持ちがあったので、本気で取り組めるジムを探した中で評判の良かった宮田ジムに決めました。

 当たって砕けた2度の世界戦

二宮: 世界戦初挑戦となった2002年4月のポンサクレック・シンワンチャー(タイ)との初対戦は1回34秒KO負けを喫しました。史上最短での敗戦ということで話題になりました。
内藤: 当時は既にインターネットが一般にも普及されていましたから、かなりネット上でたたかれました(笑)。

二宮: 全盛期のポンサクレックは強かったでしょう。
内藤: 正直、試合のことはあまり記憶にないんですけど、とにかく自分とはレベルが違いました。後半に持ち越されたら、絶対に勝てないなと思っていたので、前半勝負と思ってもうガンガンいったんです。
 そしたら僕が意外にパワーがあるもんだから、ポンサクレックが面食らったような感じで、ちょっと後ろに下がったんですよ。僕ね、相手に「うわ、大きいのがくる」と思わせるために、わざと大振りアッパーをやるんです。
 結構、パワーはあるから、それをガンガンやっていると相手もちょっとひるむんですよね。ポンサクレックもそうでした。だから「おぉ! よっしゃ、いける!」と。でも、彼はやっぱりレベルが上でした。下がりながらも一瞬の隙を見逃さなかった。僕の左にドーンとストレート。後でVTRを観て驚きましたよ。

二宮: ノーガードのところにストレートがまともに来ましたよね。
内藤: はい、そのままドーンって後頭部を打って、目が覚めた時には控え室にいました。その時のことはよく覚えていますよ。ゆっくりと顔を上げたら、周りに取材陣がブワーッと集まっていて、もうフラッシュの嵐ですよ。
 僕ね、実はその時、どうして自分がそうなっているのか分からなかったんです。だから第一声が「どうしたの?」って。でも、誰も答えてくれない。不思議に思いながらボーッとしてたんですけど、しばらくして「あ、オレ、今日試合だよ!」って言ったんです。

二宮: 試合の記憶が全部とんでいたと?
内藤: はい、そうなんです。トレーナーが「大ちゃん、もういいんだ。終わったんだよ」って言ってくれたんですけど、「え? 何が? 何が終わったんだ?」って……。

二宮: 世界の壁は相当厚く感じたでしょうね
内藤: そうですね、やっぱり世界は違うなと思いました。世界タイトルなんて、もう絶対に無理だ、と。でも、汚名を残したまま辞めたくはなかった。だから、世界は諦めて日本チャンピオンになって辞めようと決めたんです。

二宮: ところが2年後、日本チャンピオンになって、再び世界戦に挑戦しますよね。しかも、相手はまたもポンサクレック。
内藤: 本当は日本チャンピオンを獲った時点で引退しようと思っていたんです。でも、防衛戦をやっているうちに、欲が出てきて……。それで世界戦の話をいただいたので、やらせてもらいました。まぁ、今度は秒殺ではありませんでしたが、負傷判定で敗れてしまいました。

二宮: これは悔しかったでしょうね。でも、手応えは感じられたのでは?
内藤: いえ、やっぱり無理だなと思いましたよ。スタミナがあっという間に奪われていましたから。技術的には少しは通用したところもあったとは思いますが、もう限界だなと。だから辞めようと思って、世界戦前にキャンプを張ったセブ島へ引退旅行に行ったんです。キャンプでスパーリングの相手になってくれたフィリピン人と再会して、試合の結果を報告したんです。
 そしたらすぐに「次の試合はいつ?」って予想外の答えが返ってきたんです。「そっかぁ、残念だったね。今後、どうするの?」みたいに言われると思っていたので驚きましたね。「いや、もう歳だし、リタイアするよ」って言ったら、今度は向こうが驚いたように「はぁ?」って(笑)。「年齢なんて関係ない。またやればいいじゃないか」って言われたんです。
 そしたら、「こいつらと、またスパーリングやりたいな」っていう思いが芽生えてきて……。実は僕の中でも「このままで本当に辞めていいのかな」っていう迷いはあったんですよ。その時はまだ日本チャンピオンの座も返上していませんでしたから、そのまま続けることにしました。

 運命的なトレーナーとの出会い

二宮: 07年7月、3度目のボンサクレック戦は非常にいい試合でした。
内藤: あの時は「負けたら、さすがに引退だな」と思っていたので、必死にトレーニングしていました。でも、正直勝てるとは思っていなかったんです。2度も世界の壁を嫌というほど味わっていましたからね。勝てたのは、今トレーナーをしてもらっている野木丈司さん(白井・具志堅ジム)との出会いが大きかったんです。
 ポンサクレックとの対戦が決まった時、うちのジムの宮田博行会長とマネジャーとの話し合いの中で「野木さんに預けてみたらどうか」という案が出たんですね。それで沖縄のキャンプに参加させてもらったんです。そしたら、もうビックリしましたよ。とにかく走るだけ。走って走って走りまくる。
 情けないことに、初日で足を故障してしまって、2日目からは自分だけウォーキング中心の特別メニューになりました。もう悔しかったし、応援してくれている人たちに申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。2、3日でまた走れるようになって、それからは最終日までやり通したんですけど、とにかく苦しかった。

二宮: そんなに厳しかったのですか?
内藤: 厳しいなんてものじゃないですよ。実は野木さんってね、現役時代は長距離選手だったんですよ。1万メートルの学生記録を持っていたくらいの人で、あの小出義雄監督の門下生なんです。
 でも、そのキャンプのおかげで、明らかにスタミナがついていました。もう3度目の対戦ですから、ポンサクレックにとっては僕がどういう試合をするかっていうことはわかっていたんですよね。ちょっと甘く見ていたところもあったと思います。
 ところが、いつまでたってもペースダウンしない僕に驚いたでしょうね。「あれ、おかしい。そろそろ内藤はスタミナが切れてくるはずなのに……」と。ペースダウンどころか、あの時は僕の方が彼のスタミナを上回っていましたからね。

二宮: 野木さんとの出会いが内藤さんのボクサー人生を変えたと言ってもいいくらいですね。
内藤: はい。あのキャンプをしていなかったら負けていました。僕はつくづく運がいいなぁと思いましたね。だって、野木さんに見てもらいたいっていう人はたくさんいますからね。いくら望んだって、そう簡単には見てもらえないくらいの人なんです。

二宮: 世界チャンピオンになって、やっぱり世界が変わりましたか?
内藤: ガラッと変わりましたね。全く違いますよ。でも、世界チャンピオンになって一番嬉しかったのは、今まで応援してきてくれた方たちにようやく恩返しができたんじゃないかなということですね。

 センスのなさは“マネ”でカバー

二宮: 内藤さんはリーチが非常に長い。あの変形スタイルは、それを生かしたボクシングだと思いますが、どうやってつくりあげられたのでしょうか?
内藤: 僕はボクシングを始めたのがかなり遅くて、アマチュア経験もない。だからみんなと同じことをやっていてはダメだなと。僕はリーチが74センチあって、身長よりも約10センチ長いんです。軽量級で74センチもあるボクサーはまずいないですよ。それでいて肩幅が狭い。だから、相手としてはちょっとやりにくいところがあると思います。

二宮: 日本人としては史上最年長チャンピオンということですが、自分で“齢をとったなぁ”と感じることはありませんか?
内藤: 今年でもう35歳ですから、純粋に年齢だけを見たら「オレも歳とったなぁ」って思いますね。でも、普段はそれほど意識はしていません。精神的に若いと思いますし、スタミナもまだまだ伸びていますから。

二宮: 階級は違いますが、イメージ的に輪島功一さんを思い出すんですよね。輪島さんも26歳でデビューと遅咲きだったのですが、33歳まで現役を続けられました。あの人ほど、あれこれと戦略を練った人はいない。
内藤: 僕もいろいろと考えながらやっていますね。僕、運動神経には自信があるのですが、ボクシングセンスはないんですよ。だから、よく世界チャンピオンのビデオを観て参考にするんです。「あ、これ使える」と思ったらすぐに取り入れちゃう。

二宮: 例えばどんなことを?
内藤: よく好きな外国人ボクサーのフェイントの仕方をマネします。例えばメキシコの選手って、相手のパンチをクルンとよけながら攻撃しているんですよ。打たせといて首でよけながら、ボディをドーンと打つんです。僕もリーチが長いので、マネをさせてもらっています。

二宮: 昨年7月の清水智信(金子ジム)戦は、最初は相手のリズムでしたけど、最後にはやっぱり逃しませんでした。キャリアの差が出ましたね。
内藤: まぁ、勝ったから言えるんですけど、僕って本当はプレッシャーに弱いんです。本来ならもっといいボクシングができたと思いますよ。でも、あの時は「内藤が勝って当然」というふうに言われていましたから、プレッシャーがすごかった。8回終了時点で負けていましたから、9回は思い切って攻めたんです。それでも流れが変わらなかった。
 だから、10回の前のインターバル中に「あ、今日は負けるかもしれないな」って思っていたんですよ。それまで「勝つぞ、絶対に勝たなくちゃダメなんだ」って思っていたんですけど、ふっと「あ、負けるな」と。本当にそう思ったし、ある意味、わざとそういうふうに思おうとしていました。自分の気持ちを切り替えるために「もう、しょうがない。引退だな」って。
 そしたら、スッと楽になったんです。「今日で終わりかもしれないけど、お客さんを裏切るわけにはいかない。よし、最後までやるだけやろう」と吹っ切れたんですね。今思えば、よくあそこで切り替えられたなと思いますね。

二宮: 一瞬の隙を突いたかたちでしたからね。
内藤: はい。一度フェイントをかけてから下を向いた状態で左フックをバンって。僕自身、フックが入ったところを見ていないんです。清水の足がクネッてなったのを見て「今だ!」って。僕、そういうの得意ですから(笑)。

二宮: さて、内藤さんはビール党ということですが、一番「美味しい!」という瞬間は?
内藤: やっぱりきついトレーニング後の一杯ですね。トレーニングが終わって、帰宅してまず飲むのがビールです。350mlの缶ビールを1本、グビグビっと。

二宮: 汗をかいた後のビールは格別でしょう?
内藤: はい、本当においしいですよ! ビールを飲むと、食欲も増すんですよね。気持ちをリフレッシュするのにも役立っています。

>>前編はこちら


<内藤大助(ないとう・だいすけ)プロフィール>
1974年8月30日、北海道出身。高校卒業後に上京し、19歳でボクシングを始め、20歳の時に宮田ジムに入門。96年10月にプロデビューし、1回KO勝ちを収める。2002年4月に世界初挑戦も当時王者のポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)に日本人世界戦最短の1回34秒KO負けを喫した。04年6月、日本フライ級王座を獲得し、翌年10月にポンサクレックとの再戦を果たすも、7回負傷判定負け。07年7月、3度目の挑戦でポンサクレックを判定で破り、WBC世界フライ級王者となる。その後は亀田大毅、ポンサクレック、清水智信、山口真吾を退け、4度の防衛に成功。現在、日本人最年長防衛記録を更新中。39戦34勝(22KO)2敗3分。
>>オフィシャルサイト

★本日の対談で飲んだお酒★[/color]
 
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(構成:斎藤寿子)
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