二宮: まずは先月のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の話からしましょうか。槙原さんは現地でずっと解説をされていました。世界一の瞬間は、野球人のひとりとして感激したでしょう?
槙原: いや〜、本当に良かったですね。野球のお祭りとも言える舞台を直接、見ることができた上に、最高のフィナーレが待っていた。しかも、途中は崖っぷちに立たされたり、不安なこともいろいろありましたから。それが一層、感動を高めてくれたように思います。
松坂とダルビッシュの差二宮: 決勝で最終的に優勝を決めたのは、延長に入ってのイチローの決勝打。あの場面はてっきり敬遠されるものだと思っていました。
槙原: こんなラッキーなことはないなと感じましたね。しかも1塁走者の岩村明憲が途中で盗塁して、1塁が空きましたから。「これで敬遠される。走らないほうが良かったのに」と思ったら、それでも勝負してきた。
やはり野球にはセオリーがあります。セオリーに反したことをすれば、負ける可能性は高くなる。イチローを敬遠したところで次の中島裕之には打たれたかもしれません。でも、それなら韓国ベンチも納得したでしょう。イチローの一打は悔やんでも悔やみきれないはずです。
二宮: もうひとつは5回、韓国に同点ホームランが出た後の内川のビックプレー。レフトへ痛烈な当たりをスライディングしながらワンバウンドでとめて、打者走者を2塁で刺しました。本職の外野手であれば、後逸のリスクを考えて、待って捕ったはずです。普段は内野を守っている内川ならではのプレーだったように感じます。
槙原: でも、彼が普通に2塁打を許していたら、ゲームの流れは韓国に傾いていたでしょう。捕ったこともスゴイのですが、正確に2塁に投げて走者をアウトにできたのもスゴイ。プレーが出たタイミングも素晴らしかった。あれで、また日本ペースに持ち込めましたからね。
二宮: 現役時代に先発も抑えも経験された槙原さんにぜひ聞きたいのは、最終回をダルビッシュ有に託したこと。クローザー役の藤川球児の心境が気になります。
槙原: 正直、いい気分ではなかったでしょうね。ただ、彼の状態はアメリカに行ってもなかなか上がってこなかった。具体的に言うと、上半身と下半身のタイミングが合っていませんでした。本人もブルペンの投球練習で常に何かを気にしている様子でしたから、マウンドにあがっても本来のピッチングはできなかったかもしれません。
二宮: とはいえ、ダルビッシュだって本来の投球とは言えなかった。見ていて寿命が縮まりそうでしたよ(笑)。
槙原: 精神的にも技術的にも若さを感じましたね。ダルビッシュは完璧主義者。最初からコーナーを狙い過ぎました。それでカウントを苦しくしてしまった。松坂大輔は相手が打ってこないと見ると、平気でど真ん中のストライクを投げていましたよ。
まぁ、これは経験の違いと言えるかもしれません。松坂も昔はダルビッシュのような部分がありましたから。でも、メジャーで1年間活躍するためには、コーナーを突いて三振を狙うだけでは勝てないことに気づいた。その経験が彼のピッチングを進化させたんです。
イヤだった野村ヤクルト
二宮: 松坂はキューバ戦で完璧な投球をみせました。先日、『報道ステーション』で特集されていたのですが、キューバベンチからコースや球種を指示する声が出ていたそうですね。
槙原: ええ。だから捕手の城島健司はわざと逆に構えた。松坂の投球は逆球に見えたかもしれませんが、実際はそうではないんです。こういう玄人好みの戦いができたのも一流選手が集まった国際大会ならでは、という気がします。緊迫した状況の中でも、臨機応変に対応できた。この点で、メジャーでプレーしている日本バッテリーのほうが一枚上手でしたね。
二宮: 槙原さんにも、そういった経験は?
槙原: 野村克也監督時代のヤクルトにはよくやられましたよ。たとえばフォークでキャッチャーがミットを下で構えると、野村さんがベンチからメガホンを使って「オォォォォォ」と声を出していましたから。選手もバットでゴンゴン地面を叩いたりしていました。投手からしてみれば、たとえ球種が当たっていなくてもイヤなものです。当時のヤクルトはID野球、ID野球といわれていましたから、余計なことを考えてしまう。神宮球場のマウンドでは、あまり良かった印象がないですね。心理戦で負けていました。
二宮: 戦う相手がバッター以外にもいたと?
槙原: たとえば二宮さんがバッターボックスに入って、「二宮打て!」と苗字を呼んだらインコース、「清純打て!」と名前を呼んだらアウトコースといった取り決めがチームによってあるんです。僕らの時代からデータやクセを徹底的に洗い出すようになっていましたからね。もう、大変でしたよ。僕は視力が悪くて自分からサインを出していたので、余計にバレていたみたいです。それを逆手にとって投げて、相手をビックリさせたことが何度もありました。
特に短期決戦になると、スコアラーの力は絶大です。今大会でもキューバのチャップマンは足を上げたら、盗塁OKというレポートがあがっていたそうです。ところが初回に青木宣親が盗塁を決めて以降、ことごとく牽制でひっかかってしまった。大会前にしっかり牽制の訓練をしていたんでしょうね。予想外にうまかったですよ。
火をつけた“マウンドに国旗”二宮: それにしても韓国の投手陣には苦しめられました。
槙原: 日本戦で2勝をあげた奉重根(ポン・チュングン)もイヤでしたが、それ以上に厄介だったのが決勝でも2番手で投げた右腕の鄭現旭(チョン・ヒョウウク)と、尹錫(ユン・ソク)ミン。鄭はボールが速いし、コントロールもいい。フォークもチェンジアップも良かった。正直、奉、鄭、尹の継投だと苦しいなと感じていました。でも、尹が準決勝で投げてくれたおかげで決勝に登板できなくなった。奉さえ攻略すれば、決勝はなんとかなるかなという気持ちになりましたね。
二宮: 決勝でも奉は5回途中1失点。決して攻略できたわけではない。
槙原: ヒットは打てても、ランナーを背負ってからが粘り強かったですね。韓国戦5試合のヒット数は日本のほうが倍以上。決勝では日本が15本、韓国がわずかに5本でした。それでも大接戦だったわけですから。韓国の投手力がいかに高かったかがわかります。
二宮: 打線もすごかった。中心は4番を務めた金泰均(キム・テギュン)。3本塁打を放ちました。体の軸がまったくブレませんでした。
槙原: 反対方向のライトにも打てますから、日本プロ野球でも相当活躍できるでしょうね。飛ばす力も日本のホームランバッターより上です。一番、スゴイと思ったのは、ファールが少ないこと。日本にも大砲の村田修一がいましたが、彼の場合は球を捉えきれず、ファールになることも多かった。でも金泰均は確実に打ち返す。ほとんど打ち損じのファールはなかったように感じます。
二宮: 韓国がまずかったのは、2次ラウンドで日本に勝った時、マウンドに国旗を立てたこと。あれが日本の選手たちの闘志に火をつけてしまった。
槙原: 見ている僕たちも腹が立ちましたからね。選手たちの怒りは相当なものでしたよ。「奉重根にもう1回、当たるまで絶対に負けられない」と。短期決戦では相手を刺激するようなことは絶対にしない。これが鉄則です。勝っても「日本はやはり強かった」とでも言っておけば、その後の日韓戦も勝てたかもしれない。
二宮: 3年前も同じことをして、準決勝で日本に負けた教訓が生かされませんでしたね。
槙原: 似たようなことが現役時代にありました。1989年の近鉄との日本シリーズ。3連敗して、もうチーム内は「今回は無理だろう」という空気になりかけていました。シリーズ後のゴルフの予約でもしようかという話が出ていたくらい(笑)。ところがニュースで第3戦に先発した加藤哲郎の「巨人はロッテより弱い」といった発言を聞いたものだから、全員の目の色が変わった。3連敗から4連勝できたのは、あの一言のおかげですよ。
原監督に出てきた“厳しさ”
二宮: 原辰徳監督とは現役時代、ともにプレーした仲ですが、指揮官としてどう映りましたか?
槙原: お世辞抜きで素晴らしかったと思います。途中でいろいろあっても、最終的に優勝へ導いたわけですから、選手選考、戦術、用兵、すべてが良かったということでしょう。忘れられないのは、監督が会見を終えて、涙目で「勝ったよ」と僕のところに来てくれたこと。代表監督のプレッシャーは相当重かったんだなと実感しました。
二宮: あのイチローでも胃潰瘍になったほどですからね。
槙原: でも先日、その話を監督としたら、「オレはそんなストレスは感じなかったよ」と。確かに監督はアメリカでも食欲やお酒の量が普段と全く変わらなかった。肝っ玉が据わっていましたね。
二宮: セ・リーグでも2連覇を達成しましたし、WBCでも世界一。原監督の良さはどこにあると?
槙原: 現役時代から持っていた「面倒見のよさ」に加えて、「厳しさ」が出てきましたね。ダメなものはダメ、いいものはいい。温情がなくなってスパッと決断するようになりました。だからこそ、藤川の代わりにダルビッシュを抑えにする起用ができた。その点は藤田元司さん(元監督)に似てきました。
あとは勝負師として、イチローの言葉じゃないですが、何かを持っていますよ。だって、北京五輪で星野仙一監督が勝っていれば、代表監督の座はなかったわけですから。昨年、阪神がそのまま優勝していたら、やはり監督はなかったでしょう。監督になったからといって、優勝するとも限らなかった。本当に引きの強さを感じますね。
二宮: 大会前は正直、連覇は容易ではないとみられただけに、監督も選手も勝利のシャンパンファイトは格別だったでしょう。
槙原: アルコールが目にしみて痛かったでしょうね(笑)。僕も現役時代、リーグ優勝と日本一で現役時代に10回、ビールかけができました。お酒好きからすると、ビールかけはもったいない(笑)。このザ・プレミアム・モルツでは絶対にやってはいけません(笑)。でも、ビールかけは何度やっても最高! やはり完投勝ちした夜のビールもうまいですが、優勝した夜に飲み明かすお酒ほどおいしいものはありません。
二宮: さて、日米ともにレギュラーシーズンがスタートし、今後はサムライジャパンの選手たちの動向に注目が集まります。ひとつ心配なのは、開幕前に真剣勝負をした疲れが、シーズンに出そうなこと。事実、前回大会では、シーズンの成績が前年より下降した選手も少なくなかった。
槙原: 投手の場合、好調を維持できるのは長くて2カ月です。普通は1カ月程度。それ以外の時期は、調子が悪いなりに投げて結果を出している状態です。代表に選ばれた選手たちは3月にピークが来るように調整してきましたから、今は調子が落ちている段階と見たほうがいいでしょう。一方で、他の選手は開幕に照準を合わせているので、期待通りの活躍ができない代表メンバーが出てくるのはやむを得ないと思います。
二宮: よく本番に向けて肩を仕上げると言いますが、実際に投げていて、どんな感覚になるのですか?
槙原: 肩がカチッとはまった感じになりますね。リリースの感覚も良くなって、ボールの回転も変わってきます。それまでは投げていても、肩が緩いように感じるんです。これはキャンプのブルペンで何百球投げてもダメ。紅白戦で投げてもまだまだ。オープン戦に入ると、不思議にガッと肩が締まるんです。
他球団のユニホームを見て、気持ちが入る部分もあるのかもしれませんが、たった3イニング投げただけでも張りがまったく違う。心地よい張りがして、これがとれると一段と肩がはまった感覚になります。仕上がるまでには早くても2週間、通常は1カ月くらい。だから、今回の代表選手はかなり早い時期からトレーニングを始める必要があった。これは大変だったはずです。
二宮: 槙原さんの時代もWBCがあれば出たかったのでは?
槙原: もちろん。でも、僕らの頃は、今のように2月1日からバンバン投げる習慣がなかった。トレーニング方法も違えば、選手の意識も「4月の開幕に間に合えばいいだろう」という感じでした。キャンプでは、毎日のようにお酒を飲んでいましたよ。そう考えると、調整が追いつかなくて散々な結果だったかもしれません(笑)。
(後編につづく)
<槙原寛己(まきはら・ひろみ)プロフィール>
1963年8月11日、愛知県出身。大府高時代は速球を武器に甲子園にも出場。82年、ドラフト1位で巨人に入団する。2年目に初登板初完封でデビューを飾ると、12勝をあげて新人王を獲得。以降、巨人の中心投手として7度のリーグ優勝、3度の日本一を経験する。94年5月18日の広島戦では史上15人目となる完全試合を達成。同年の日本シリーズでは2勝をあげて日本一に貢献し、MVPに輝いた。2001年限りで現役を引退。通算成績は463試合、159勝128敗56セーブ、防御率3.19。巨人の生え抜き投手では唯一の2000奪三振(2111個)を記録している。
★本日の対談で飲んだお酒★[/color]
世界的な酒類・食品などのコンテスト「モンドセレクション」のビール部門で、3年連続最高金賞(GRAND GOLD MEDAL)を受賞したザ・プレミアム・モルツ。原料と製法に徹底的にこだわり、深いコクとうまみ、華やかな香りを実現しました。
提供/サントリー<対談協力>
六本木 季菜東京都港区六本木3−1−1 六本木ティーキューブビル1階
TEL:03−6229−1789
営業時間:
Lunch 11:30〜15:00
Dinner 17:30〜23:00(いずれも30分前ラストオーダー)
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(構成:石田洋之)
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