二宮: 槙原さんといえば、やはり印象に残っているのは完全試合。1994年5月18日、福岡ドームの広島戦でした。
槙原: 実はその時、前々日に門限を破って中洲で飲んでいて外出禁止を食らっていました。福岡は1年に1回しか行かないような場所でしたから、あいさつがてら行きたいお店があったんです。門限が12時だったので、それまでに1度ホテルに戻って、深夜1時ごろに抜け出したところを見つかってしまいました。


二宮: 誰に見つかったんですか?
槙原: ピッチングコーチの堀内恒夫さん。僕はメガネをかけて完璧に変装して出かけたつもりでしたが、体が大きいから一発でバレたようです。僕は視力が悪いから、堀内さんに気づきませんでした。

二宮: それで罰として外出禁止と?
槙原: そうなんです。でも、もう僕も当時は30歳。「子供じゃあるまいし、外出禁止1カ月はないでしょう? 罰金なら払いますけど」と文句を言ったら、「明日、先発だから、その結果を見て決めよう」と。気合入りましたよ。それで投げたら、完全試合(笑)。

二宮: 福岡ドームのような広い球場だったのも味方したのでは?
槙原: 精神的にラクでしたね。「ここなら少々打たれても、スタンドには入らないよ」と思いながら投げられました。昔は広島市民球場やナゴヤ球場と、セ・リーグはどこも狭い球場ばかり。広いといわれた東京ドームでさえホームランがよく出る球場になっていました。その意味では福岡ドームはピッチャーに勇気をくれる球場でしたね。

 一番ビールがおいしい瞬間

二宮: その晩のお酒は、さぞおいしかったでしょう?
槙原: 晴れて外出禁止解除ですからね。やっぱり一番おいしいお酒は先発完投して勝った後に飲むビール。これは格別です。試合後に水も飲まずに我慢して、乾ききった喉でグラスになみなみ注がれだビールをグイッと飲み干す。ウウッと思わず声が出ますよ(笑)。野球やっていて良かった、生きていて良かったなと心から感じる一瞬です。

二宮: 槙原さんの現役時代の巨人には斎藤雅樹、桑田真澄ら好投手がたくさんいました。飲み会は多かったんですか?
槙原: みんなでよく飲みましたよ。桑田だけはワインでしたけど、他にも水野雄仁、香田勲男、若手では木田優夫、石毛博史……。投手同士の集まりは多かったですね。

二宮: 不思議と野球選手の飲み会は投手と野手でほぼ分かれますよね。
槙原: 投手と野手では練習メニューや行動が別々ですからね。会社にたとえると営業と事務みたいなもので業種が違うんでしょう。その中でキャッチャーだけは両方に顔を出しますね。バッテリーを組む上でやはりピッチャーとのコミュニケーションは大切。だからキャッチャーはタフじゃないと務まらないんです(笑)。

二宮: このところキャンプ取材に行っても、飲み歩いている選手をあまり見かけなくなりました。良くも悪くも“まじめ”になりましたね。
槙原: 僕らの時代は先輩たちに誘われたら、答えは「イエス」しかなかったですよ。角盈男さんにはよく声をかけて、連れて行ってもらいました。先輩がそうだから僕たち若手も宿舎や寮を抜け出して、しょっちゅう遊びに行っていましたね。最近は1軍で結果を残している選手たちがまじめだから、ファームの人間が遊びに行っている場合じゃない。野球選手として、どちらが良いかと言われれば、今のほうがいいんでしょうけどね……。

 甘えを許さない藤田監督

二宮: 89年、90年と連覇した時の巨人のチーム防御率は2点台。つまり、3点とれば勝てるチームだったわけです。完投も全試合の半分以上ありました。当時の監督、藤田元司さんの影響は大きかったでしょう?
槙原: 僕が入団した時も藤田さんが監督でしたが、「ピッチャーは完投するものだ」と教え込まれました。一切、甘えは許されませんでしたね。終盤に疲れて代えてほしいと思っていても、「今日は1人で投げるんだ。代えないよ」と言われましたから。完投するのが当然なら、イヤでもそれくらい投げられる練習をします。
 加えて完投能力のある若い投手をどんどん補強した。僕も含めて斎藤、水野、桑田、木田、橋本清と80年代に獲得したドラフト1位の投手はほとんど高卒でした。当時の巨人が投手王国と呼ばれた理由はそこにあるんです。僕だって巨人に入って藤田さんと出会わなければ、ピッチャーとして別の道を歩んでいたかもしれません。

二宮: 大府高時代に甲子園でのピッチングを見ましたが、ボールが本当に速かった。私が見た中では“怪物”と呼ばれた江川卓さんに次いで速かった印象が残っています。
槙原: でもコントロールがバラバラだから、プロに入れると思っていなかったですよ。高校進学時も私立の強豪校からお誘いはありましたが、ちゃんと大学に行って就職しようと考えていました。だから野球と勉強が両立できる学校を選んだんです。

二宮: でも、あれだけのスピードボールを投げれば、プロは放っておかない。
槙原: 12球団すべてのスカウトが2回ずつ学校に来ました。唯一、ヤクルトだけが3回来たんです。だからドラフト会議当日はヤクルトなのかなと思っていました。まさか巨人が単独で1位指名するとは思いませんでしたね。

二宮: それから現役で20年、数え切れないバッターと対戦しました。一番苦手にしていたのは?
槙原: 正田耕三さんがイヤでした。ああいうコツコツ当ててくるタイプは本当に嫌いでしたよ。こっちがいくらコースに投げても、ショートの頭上をコツンと抜かれる。逆にどんどん振ってくるバッターは大歓迎でした。
 結果を抜きにして対戦が楽しみだったのは中日時代の落合博満さん。三冠王も経験した好打者だけに勝負しがいがありましたよ。僕には相性が良くなかったようで、ど真ん中のストレートでも平気で見逃し三振していました。

二宮: 自分の完璧な1球が、完璧に打たれた記憶はありますか?
槙原: うーん、基本的に打たれたのは自分の失投や気の緩みだと思いますが、あえてあげるとすれば84年の日米野球。オリオールズのエディ・マレーに平和台球場で特大のホームランを打たれました。自分としては力の入った速球でしたが、ものの見事に右中間の場外へライナーで飛ばされたんです。メジャーのパワーを肌で感じた瞬間でしたね。いまだに原辰徳さんや篠塚和典さんと、「あれよりすごいホームランは見たことがないな」と話していますよ。

 まさかのバックスクリーン3連発

二宮: 槙原さんはタイトルには恵まれませんでしたが、野球ファンの記憶に残るピッチャーです。先程の完全試合のみならず、85年には甲子園の阪神戦でランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布にバックスクリーン3連発を浴びています。あの時の心境は?
槙原: 3本目が入った時に「冗談だろ?」と思いましたよ。あの試合は最初の1発目が逆転3ラン。「オレの勝ち星が飛んでいった」という思いを引きずったまま掛布さんに投げたのが良くなかった。もう2本目で完全に精神的に参りましたね。岡田さんの打席では「好きにしてくれ」と半分、投げやりになっていました。あの3連発の場面は自分でもイヤになるほど見ましたよ。これからも死ぬまで何度も見るんでしょうね。だけど一言、言わせてもらえれば、阪神戦は相性が良かったんですよ(38勝10敗)。

二宮: 90年の日本シリーズ第1戦では初回、西武のデストラーデに特大の1発を浴びたこともありましたね。出鼻をくじかれた巨人は4連敗。屈辱的な敗北となりました。
槙原: WBCの解説でデストラーデとひさびさに会いましたが、顔を見るたびにあの時のホームランがよみがえりますね。カウント0−3から「まだ打ってこないだろう」と投げたストレートを打たれた。完全なる油断でしたね。
 シリーズは負けましたけど、その年の巨人は一番強かったんです。9月8日に史上最速で優勝を決めました。それから1カ月間、毎晩が宴(笑)。「早く日本シリーズ始まらないかな」「西武、近鉄のどっちがくるんだ?」とか言いながら、毎日のように盛り上がっていました。ギリギリまでデッド・ヒートを演じていた西武とタガが緩んでいた巨人。今、振り返れば、結果は目に見えていましたよ。

二宮: WBCの解説の後は、メジャーリーグのキャンプの取材をしていたとか。後輩の上原浩治はいかがでしたか?
槙原: 巨人のプレッシャーから開放されたのか、のびのびとやっていましたよ。現状、オリオールズで計算できるのは、昨季2ケタ勝利をあげたジェレミー・ガスリーくらい。ルーキーといっても上原は先発2番手として期待されています。
 ちょっと驚いたのはオリオールズのキャンプ施設があまりにもチープだったこと。ウエイトトレーニング場は仮設テントでしたし、ブルペンも雑草だらけ。キャッチャーの後ろにあるのも木だけなので、投手が暴投すると取りに行くのも一苦労でした。日本でもあれほど整っていないところはないですね。

二宮: メジャーリーグでは「肩は消耗品」というのが通説です。ブルペンの投球数も細かく制限されます。日本もその影響を受けて、全体的に投げ込みが不足しているという意見があります。槙原さんの考えは?
槙原: 投げ込みは絶対に必要です。投げることで鍛えられるのは肩だけではありません。腹筋、背筋、内転筋と投球に必要なすべての部分が鍛えられる。僕は200球の投げ込みの後、さらに50球投げるのが、試合でいえば8、9回の投球に当たると思っています。最後の50球も、しっかり体を使って投げられるかどうか。ここがピッチャーの分かれ道になるんです。今の投手は最も大事なところで練習をやめている。だから完投できないんです。

二宮: 指導者としてグラウンドに戻ってくることを期待しているファンも多いと思いますよ。
槙原: WBCのような緊迫した試合をみていると、あんなしびれるような感覚の中で戦ってみたいなと思います。勝利の喜びをかみ締めながら、ビールをグーッと飲んでみたい。現役を引退してから、本当にお酒がおいしい瞬間にめぐり合えていませんから(笑)。

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<槙原寛己(まきはら・ひろみ)プロフィール>
1963年8月11日、愛知県出身。大府高時代は速球を武器に甲子園にも出場。82年、ドラフト1位で巨人に入団する。2年目に初登板初完封でデビューを飾ると、12勝をあげて新人王を獲得。以降、巨人の中心投手として7度のリーグ優勝、3度の日本一を経験する。94年5月18日の広島戦では史上15人目となる完全試合を達成。同年の日本シリーズでは2勝をあげて日本一に貢献し、MVPに輝いた。2001年限りで現役を引退。通算成績は463試合、159勝128敗56セーブ、防御率3.19。巨人の生え抜き投手では唯一の2000奪三振(2111個)を記録している。





★本日の対談で飲んだお酒★[/color]
 
世界的な酒類・食品などのコンテスト「モンドセレクション」のビール部門で、3年連続最高金賞(GRAND GOLD MEDAL)を受賞したザ・プレミアム・モルツ。原料と製法に徹底的にこだわり、深いコクとうまみ、華やかな香りを実現しました。

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<対談協力>
六本木 季菜
東京都港区六本木3−1−1 六本木ティーキューブビル1階
TEL:03−6229−1789
営業時間:
Lunch  11:30〜15:00
Dinner 17:30〜23:00(いずれも30分前ラストオーダー)

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(構成:石田洋之)
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