5月4日、満員の大観衆のなか、本拠地・神宮球場で通算2000安打を達成した宮本慎也は、時間を大切にする男だ。練習も球場入りもほぼ一番乗り。
「24時間、野球のことを考えろ」
 常日頃から若手には、そう諭しているという。
(写真:記録達成後の会見では「ホッとした」を連発。安堵の表情を浮かべた)
 入団時は当時の野村克也監督から、守備専門の「自衛隊」とまで言われた宮本が、18年間、チームの主力選手として安打を積み上げることができたのはなぜか。それは3つのキーワードで説明できるのではないか。

 まず、ひとつ目は「年相応」である。
「よく“年取ったと思うな”と言われますが、若い時みたいにガンガンやったら、かえってケガをする。年齢に合わせた練習が大事だと思います」
 40歳を過ぎ、宮本の体も決して万全ではない。ふくらはぎはここ数年、疲労がたまると肉離れ寸前になる。それゆえに個人トレーナーをつけての日々のケアは欠かせない。練習も若手のように目いっぱいやるのではなく、必要最低限にとどめている。

 打撃に関しても年齢とともにムダのないフォームを模索してきた。打率.302をマークした昨季はトップの位置を下げ、間が取れるスタイルにした。
「ボールを長く見られる感覚が出てくるので急いで打ちにいかなくていい。自分の体の衰えもあると思うので、それに合わせて、変化していかないといけないと感じましたね」
 試行錯誤の末、まさに「年相応」のやり方を身につけた。だからこそ、40代になっても第一線でプレーできているのだ。

 2つめは「分相応」だ。ヤクルトに入団した時の野村監督からミーティングで「脇役の一流になれ」とプロで生きる術を学んだ。
「バッティング練習でも、左方向に打ったら怒られました。“オマエなんか引っ張って打っても何の価値もない!”と。“右に進塁打を打ったり、バントができたりして初めて価値がある”と言われたので、それを徹底してやりました」

 内野安打を稼げるような足があるわけでも、クリーンアップを打てる長打力があるわけではない。自らの「分」をわきまえて、つなぎ役に徹した。391犠打は2000安打を達成したバッターでは、もちろん最多。昨季までは主に2番を打っていた田中浩康は「宮本さんには口をすっぱくして“自己犠牲の大切さ”を教わりました」と明かす。

「それまで僕はバッティングは積極的に打ちにいくものだと思っていました。でも、宮本さんから“打たないことも大事なんだ”と言われたんです。待球でピッチャーにボールを投げさせることも役割だし、バントも進塁打も大事。宮本さんから厳しく言われたことが、今になって生きていると感じます」

 2000安打に王手をかけた3日の横浜DeNA戦。6回1死満塁のチャンスで、宮本は1回もバットを振らず、3ボール1ストライクから押し出しの四球を選んだ。“打たないことも大事”という自己犠牲の精神を体現した打席だった。
  
 とはいえ、ただ右打ちに徹しているだけでは2000ものヒットを重ねることはできない。試合展開を踏まえ、相手バッテリーの配球を読み、守備位置を確認し、広角に打球を飛ばす。時と場合に応じたバッティング。いわば「時相応」のスタイルを確立したのだ。

「時相応」のバッティングは年齢を重ねるとともに円熟味を増している。4月22日の巨人戦では、1死一塁で出たエンドランのサインに、あえてショートの方向へゴロを放ち、ヒットにした。二塁のベースカバーにショートが入り、三遊間が空くことを事前に確認した上での一打だった。

 節目となる2000本目のヒットもグラウンド状況を頭に入れた一本だ。神宮球場は試合前から強い雨が降り続いていた。
「下が濡れていたので、ピッチャーの足元を狙って、シンプルにセンター返しをしました」
 広島・福井優也の速球を転がすと、打球はスリッピーな人工芝の上でスピードを増し、ショート梵英心が差し出したグラブの先を抜けた。宮本らしさが凝縮されたメモリアル打だった。 

「年相応」「時相応」「分相応」……。「年」「時」「分」を重ね、宮本は金字塔を打ち立てた。
「個人記録は終わりました。これからはみんなで一致団結してヤクルトの優勝、そして日本一に貢献していきたい」
 次なる目標を18年目のベテランは、そう言い切った。「攻撃、守備すべてにおいて中心。ヤクルトというチームに宮本慎也は欠かせない存在」と入団時のスカウトだった小川淳司監督も期待を寄せている。

 2000安打の達成記念として、時間の重要性を説いてきた後輩の選手たちからは高級腕時計をプレゼントされた。時計同様、宮本慎也の選手としての時も、まだしばらくは止まりそうにない。

(次回は5月21日に更新します)

(石田洋之)
◎バックナンバーはこちらから