「地位が人をつくる」
 今の東京ヤクルトにおいて、この言葉がもっともピッタリくる選手だろう。畠山和洋、29歳。4番打者として、今やチームの浮沈にかかわるキーマンである。
(写真:4番復帰後は打率.429と打撃の状態も上向きだ)
 失礼ながら彼が1軍に出始めた頃、数年後にチームの主軸となるとは思いもよらなかった。速球には詰まって凡フライ、変化球に泳がされて空振り……。当時、1軍で打撃コーチをしていた杉村繁も「まぁ、2軍の4番打者というところだったかな」と語っていた。丸々と太った体型だけに、外野スタンドからは「相撲部屋へ行ったほうがいいぞ」といったヤジや、「ドスコイ、ドスコイ、ハタケヤマ〜」といった冷やかしの声をしばしば耳にしたものだ。

 何より、本人も明かすように当時の畠山は「問題児」だった。練習はサボるし、ウエイトは常にオーバー気味。門限を破って明け方まで飲んでいたこともあったという。そんな態度に激怒した当時2軍の小川淳司監督が唯一、手をあげた選手というのは今や有名な話だ。身から出たサビとはいえ、1軍定着がおぼつかないのも無理はなかった。

 怠け者で「ブー」と呼ばれた男が変わり始めたのは2008年から。当時の高田繁監督にシーズン途中から4番に抜擢され、自己最多の121試合に出場した。「(他に打つバッターが)いないから4番になっただけ」と畠山は振り返るが、初めて規定打席に達し、打率.279、9本塁打、58打点。年俸は900万円から3200万円へ大幅アップした。
「給料が結構上がって、頑張れば形となって現われるんだと気づきましたね。今まで以上にやれば、結果としてついてくるんじゃないかと欲が出てきました」

 現金と言えば現金だが、評価されれば頑張るのが人間というものだ。4番を経験し、意識が変われば行動も変わる。行動が変われば習慣が変わる。
「練習はあまり好きじゃなかったんですけど、今では好きになりましたよ」
「お酒ですか? 昔はボトル1本くらい飲んでいましたけど、今はあまり飲みたくなくなりました。月に数回、ビールを一杯くらい飲むくらいです」
「睡眠をしっかりとって、食事もしっかりとろうと考えるようになりましたね。疲れを次の日に残さないように気をつけるようにもなりました」

 習慣が変われば人格が変わる。すっかり優等生発言を連発するようになった畠山は昨季、4番に座り続け、チームの躍進に大きく貢献した。昨季、彼がホームランを打った試合は16勝3敗2分。畠山がチームの勝敗を左右するバッターになっていたことの何よりの証である。

 そして真価が問われた今季、4番・畠山は苦しんでいた。開幕直後の練習中にノックの打球を左目に受け、眼窩内側壁を骨折。その影響か成績は低迷し、開幕から16試合を終えて得点圏打率は0割。走者を塁上に置いた場面で快音が全く聞かれず、ついに7番降格の憂き目にあった。しかし、代わりに4番を務め、打ちまくっていたウラディミール・バレンティンがゴールデンウィークを境に大失速。チームもバレンティンの不調とともに負けが込み、やはり、元4番に中軸を託さざるを得なくなった。 
 
 悪夢の10連敗から3連勝と燕が息を吹き返した背景には、戻ってきた4番の働きを抜きにすることはできない。
 5月31日 北海道日本ハム戦 初回に先制打&3回にはソロ本塁打。
 6月2日 福岡ソフトバンク戦 7回に逆転の2点タイムリー。
 6月3日 福岡ソフトバンク戦 5回に勝ち越し3ラン&7回にダメ押しタイムリー。

 これだけの活躍をみせても、畠山には浮かれたところは全くない。
「ずっとチームに迷惑をかけてきたので、これから毎日返していくつもりです。チームも10個負けたぶん、10個勝つつもりで1試合、1試合のつもりでやっていきます」
 3日の勝利後のヒーローインタビューでも殊勝な言葉が並んだ。

 そんな4番バッターが理想とするのは元中日監督の落合博満である。
「小さい頃からテレビで見ていましたが、すごく懐が深いですよね。インサイドでも距離がとれるし、外のボールにも届く。ああいうバッティングができればいいですね」
 落合もロッテ、中日、巨人、日本ハムで長く4番を張った。落合は4番という打順について自著で次のように述べている。
<四番打者はエースとともにチームの要である。先頭に立ってチームを引っ張っていかなければいけない責務がある。その責任の重い分だけ、四番の座につくことは誇りでもある。(中略)四番打者というのは、自分の口でいうのもおかしなものだが、ものすごくプライドが高い、それだけで身体がもっているようなところがある>(小学館『勝負の方程式』)

 畠山が今季、左目を負傷しながら試合に出続けたのも、落合の言う“4番打者としてのプライド”が出てきたからに違いない。
「自分が試合に出てチームが勝つことが、また頑張ろうというモチベーションにつながっています。やはり優勝を目指してやっていると、緊張感も違うし、やりがいも変わってきますね」
 人格が変われば運命が変わる。入団から12年と少し時間はかかったが、畠山は4番としての人格を備え、自身の運命を切り開いた。次はチームの運命を変える番だ。

 入団した01年にヤクルトはリーグ優勝、日本一を果たしているが、当時2軍の畠山は「蚊帳の外だった」。現状、チームの勝率はちょうど5割。自身が輪の中心となって勝利の美酒を味わえるかどうかは、今後の4番としての働きにかかっている。

(次回は6月18日に更新します)

(石田洋之)
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