投手……由規、林昌勇、松岡健一
捕手……相川亮二
内野手……川島慶三、宮本慎也
外野手……ウラディミール・バレンティン
現在、故障で戦線離脱している東京ヤクルトの主力メンバーである。8月になって抑えのトニー・バーネット、野手の武内晋一、飯原誉士がようやく復帰したと思ったら、今度は相川が左肋軟骨の骨折で11日に登録抹消されてしまった。野戦病院にひっかけた「ヤ戦病院」なる新聞の見出しも悲しいかな、毎度おなじみになっている。
今季最多の借金5と苦しいチーム状況だが、3位・広島までのゲーム差はまだ1.5。今は我慢のしどころである。11日の阪神戦で8回無失点と好投し、連敗を止めた館山昌平は「皆、ケガをしたくてケガするわけじゃない。相川さんも悔しい思いをしているはず。残っている人間でやるしかない。僕たちが勝っていくことで救われる」と語っていた。扇の要の離脱に燃えているのは、他の捕手陣だけでない。バッテリーを組む投手陣も同様である。
3年目の右腕・山本哲哉も相川に「プロの野球を教えてくれた」と感謝するひとりだ。昨季、1軍デビューを果たした26歳は、今季は交流戦期間中に2軍から昇格を果たした。最初の登板は5月23日、QVCマリンフィールドでの千葉ロッテ戦。4点ビハインドの7回にマウンドへ上がったが、根元俊一にタイムリー三塁打を浴びるなどダメ押し点を与えてしまった。
「どんな考えを持ってマウンドに上がっているんだ?」
試合後、マスクを被った相川から声をかけられた。
「自分の一番いいボールを思い切って投げることを考えていました」
そう答えた山本を、相川は「それは違うな」と否定した。
「プロは結果が求められる世界。いくらいいボールを投げてもバッターを抑えなきゃ意味がない。常に対バッターで考えなきゃいけないぞ」
山本がピッチングに対する発想を180度改めなくてはならないと気づかされた一言だった。
「点差やイニング、ランナーの有無、次のバッター、味方の守備位置……すべてを踏まえた上でバッターをアウトにできるボールを選択するのがプロのピッチャー。それまでの僕は、自分の理想のボールを投げることしか考えていなかった。それで打たれて結果が出なかったんです。プロの野球を知らずに投げていたんだなと痛感させられました」
相川に指摘を受けてから、山本は自分なりにバッターをいかに抑えるか精一杯考えながら登板を続けた。すると少しずつではあるが、状況を見ながらボールを放れるようになってきた。落ち着いて投げれば、おのずと結果も伴ってくる。7月中旬までは失点する試合も目立ったものの、オールスター明けは13試合に投げて、防御率0.00。結果は首脳陣の信頼につながり、最近は勝ちゲームや接戦の終盤に起用されるようになってきた。
MAX151キロのストレートに、縦に曲がり落ちるスライダー、そしてフォークを投げ分ける。大学(近畿大)時代は大隣憲司(現・福岡ソフトバンク)に隠れて目立たない存在だったが、社会人の三菱重工神戸・大川広誉監督(当時)は、初めて見た山本のスライダーが強く印象に残っている。
「フォークと間違えるような軌道で鋭く落ちる。真っすぐは荒れていましたけど、磨きこんでいけば必ず2年後にはプロへ行けると感じました」
三菱重工に入社後、踏み出す足がインステップしていたフォームを修正。真っすぐ足を出して投げることで、「力がまっすぐキャッチャーの方向へ向かうようになりました。従来のフォームではインステップする分、右バッターのアウトローは球威に欠けていた。それがまっすぐバッターのヒザ元に突き刺さるボールを投げられるようになってきたんです」と大川は語る。1年目からチームの中心選手となり、先発にロングリリーフに活躍した。
社会人2年目(2009年)の都市対抗では2回戦のパナソニック(門真市)戦で、タイブレーク方式(1死満塁からスタート)の延長11回に登板。当時のMAXである148キロのストレートを投じて、表に味方が奪った得点を守り切り、チームを勝利に導いた。
「あれはテツ(山本)の野球人生をかけた起用でした。プロに行くなら一番の見せ場でアピールすることが大切。そこで最速のストレートを投げて抑えたことが最終的にプロ入りの決め手になったのではないでしょうか」
大川の期待通り、山本はその年のドラフトで2位指名を受け、スワローズの一員となった。
ところが即戦力と目されたルーキーにいきなり試練が訪れる。オープン戦の初登板で2回無失点と好投しながら、直後、右ヒジに痛みが走った。病院での検査結果はヒジの靭帯損傷。靭帯の再建手術を受け、開幕1軍どころか最初の1年を棒に振ってしまった。
「ケガをしてしまったのは申し訳なかったですが、その分、プロで1年間、野球をするための体づくりができました」
苦しいシーズンを山本はそう振り返る。
復帰した2年目の昨季は1軍で9試合に登板。今季は「ヒジの不安がなくなって腕を思い切って振る自分のスタイルが戻ってきた」と本人が明かすように、ストレートの球速が自己最速の151キロを記録し、ボールに勢いが出てきた。2軍で背番号20のピッチングを見守ってきた加藤博人投手コーチは「もともと2軍でもいいボールを放っていましたよ。ただ、1軍で結果が出て自信がついたのでしょう。最近はより腕が振れているように見える」と証言する。
少ない球種で相手を牛耳る投球スタイルはもちろん、気が強いと言われる性格もリリーフ向きだ。本人も「セットアッパーとして、ポジションを極めたい」と目標を語る。
「今は結果的に抑えていますが、失投も多い。しっかり抑えて攻撃のいい流れをつくれるピッチャーになりたいです」
近年のプロ野球ではリリーフ陣の頭文字をとって「JFK」(阪神)や「YHK」(ロッテ)、「SBM」(福岡ソフトバンク)などと勝利の方程式を命名することが多い。山本が勝ちパターンのリリーフとして確立すれば、松岡の復帰次第でブルペンはかなり強固になる。巨人、中日の背中は遠のいたが、広島との3位争いはきっとシーズン終盤までもつれ込むだろう。ぜひ10月決戦では右腕トリオによる「YMO」(山本、松岡、押本健彦)でバーネットへつなぎ、勝利の歌を球場で奏でたい。
(次回は9月3日に更新します)
(石田洋之)
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