決してエリートではない。成り上がりの新人である。そして働き者だ。もしかしたらプロ野球選手でなくても、一般企業で立派に出世していたかもしれない。ドラフト7位右腕の大場達也は鶴見大時代、地元・川崎市の居酒屋で、ほぼ毎日、アルバイトをしていた。熱心な働きぶりが認められてリーダーとなり、店長の不在時には開店前の仕込みから閉店業務まで任されていた。
(写真:鶴見大出身者では初のプロ入りとなる)
 そこまでアルバイトをした背景には家庭事情があった。母子家庭に育った大場は中学時代、実は野球よりハンドボールが得意だった。強豪校から特待生で誘われたほどだ。しかし、「ハンドボールでは将来、お金を稼げない」と競技続行を断念した。高校も大学も母親に負担がかからないよう、有名校ではなく近くの学校に通った。野球は続けていたとはいえ、大学では学費、生活費を稼ぐべくアルバイト優先の生活だった。

 そんな大学2年の春、ひとりのコーチがやってくる。駒大苫小牧高の監督を務めていた香田誉士史だ。北海道の高校を2004年、05年と夏の甲子園連覇に導き、田中将大(東北楽天)を育てた名指導者である。
「午前中の練習によく遅刻してきたんです。夜中までバイトをしていることは後から知りました。そんな状態では一生懸命、野球はできないですよね」
 そんな第一印象を抱いた香田だが、ブルペンでの姿を見て驚いた。

「体にバネがあって、下半身の力がリリースポイントまでしっかり伝わって投げられている。ストレートに威力がありました。しかもフォークがいい。落差があって、これは楽しみだと感じましたね。ただ、バランスが悪かったので、ブルペンの屋根に当てたり、ボールはどこへ行くか分かりませんでしたが……」
 香田は大場に声をかけた。
「オマエの身体能力は田中よりあるぞ。ちゃんと練習したらプロに行ける」

 それでも居酒屋を辞めるわけにはいかなかった。「シーズン中は野球中心に」との方針を打ち出した監督、コーチ陣に対しても、大場は「バイトをやらないと生活できません」と訴えた。
「小学校の時からプロ野球選手になりたい夢は漠然とありました。でも、大学になったら現実が見えてきます。その頃は“プロなんて無理だろう”と思っていました」

 だが、香田は諦めない。事あるごとに大場に「本気でやれば、プロに行けるぞ」と話をした。そして、体のバランスを強化するトレーニングを教えていった。
「そこまで言うなら“やってやるよ”と。馬がニンジンをぶらさげられて走るようなものでしたね(笑)」
 気づけばコーチの言葉に乗せられていた。3年の秋ごろからは野球にも取り組む姿勢が変わり、普段の練習時間以外にも、授業の合間を縫ってトレーニングに励むようになっていた。

 そんな時、香田はさらなる刺激を与える。プロで活躍する田中ら駒大苫小牧高のOBたちと東京で会う機会があり、そこへ大場を同席させたのだ。
「田中には“もしかしたらプロに行けるような選手かもしれないから、いろいろ話をしてやってくれ”と言って、大場を隣に座らせました。同じ88年世代ですし、ウマがあったのか仲良くしゃべっていましたよ。田中の体の大きさなんかを間近で見て、いろいろ思うこともあったでしょうね」
 一層、練習に熱を入れた大場は頭角を現し始める。神奈川大学リーグで4年春はベストプレーヤー賞、秋にはベストナインに輝いた。

 社会人は日立製作所へ。シーズン中はほぼ業務はなく、練習に打ち込める恵まれた環境だった。野球により集中できる職場で、大場の素質はさらに磨かれた。ストレートの球速は150キロを超え、キレも増した。
「それまでも真っすぐには自信がありましたが、打ち返されることが多かった。でも、徐々にファウルが取れるようになってきました」
 理想は「バッターの手許でギュッと伸び、ホップするような真っすぐ」。阪神の守護神・藤川球児(現カブス)のピッチングを動画サイトで観てイメージトレーニングを繰り返した。

 そしてオフシーズンには、働き者らしくデスクワークにも精を出した。
「設計図などの図面を見ながらパソコンを使って計算式に入れ、三次元化する作業に取り組んでいました。立体的に表示させることで、設計通り組み立てた時に寸法などに誤りがないかをチェックをするんです」

 居酒屋バイトにしろ、日立製作所での事務作業にしろ、仕事で具体的に目標を設定し、どうすれば達成できるかをいろいろ考えるのは好きだった。「ピッチングが雑なんで、“どうして仕事の時と同じようにできないんだ”とよく言われるんです」と本人は苦笑いするが、これからは野球が本業である。24時間、365日、プロの世界をいかに勝ち抜くか考える時間が与えられる。大学、社会人を経ての入団とはいえ、プロを意識して野球をやったのは実質、大学3年からの4年間のみ。大場を知る大学、社会人の関係者は「経験を積めば、まだまだ伸びしろはある」と口を揃える。

 1年目の目標には「1軍で40試合登板」を掲げ、フル回転を誓う。「1軍で活躍する」といった抽象的なものではなく数字を明確にした。
「スカウトからも“40試合投げられる選手になれば、チームの戦力になっているはずだ”と言われたんです。高い目標を具体的に設定しないと頑張れない。ピッチングや体のケアなど、先輩、後輩問わず、いいところはどんどん吸収して早く活躍したい」

 大学時代に貸与していた奨学金は今回の契約金で全額返済するつもりだ。今後はたくさん稼いで母親にも恩返しをしたいと考えている。プロ入りが決まって香田に報告すると、「1億円くらいもらえるようになれよ」と激励された。

 現に同じ88年世代には田中(4億円)を筆頭に前田健太(広島、2億1000万円)、坂本勇人(巨人、1億8000万円)と1億円プレーヤーが続々と出ている。
「僕の人生、振り返れば、いかにエリートに勝つかがひとつのテーマだったと思います。一番低い順位からプロに入るのも自分らしいですね」
 同世代のエリートたちに追いつき、追い越せ――。成り上がり人生のこれからが楽しみである。

(次回は2月18日に更新します)

(石田洋之)
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