背番号6が守りについていれば、どうなったであろう。そう思わずにはいられなかった。
 9月1日、神宮球場での東京ヤクルト−横浜DeNAは1点を争うゲームとなった。1−1のタイスコアで迎えた9回表、先頭のトニ・ブランコがヒットで出塁。続く梶谷隆幸は送りバントをみせた。ところが、勢いよく飛び出してきたサードの川端慎吾と、キャッチャーの相川亮二が重なってしまい、一塁への送球がワンバウンドしてはねる。
(写真:引退会見では「仕事なんで24時間、野球が夢に出るくらいやってきた」と語った)
 オールセーフで一、二塁。さらに送りバント、敬遠で1死満塁となり、打席には鶴岡一成が入った。次の打順はピッチャーの大原慎司。相手ベンチに残る野手は2年目の西森将司しかいない。西森は1軍でのヒットがわずか1本であることを考えれば、鶴岡のところで何か仕掛けてくることは想像できた。

 果たして初球、鶴岡がバントの構えをみせる。スクイズだ。ピッチャー前に転がった打球を石山泰稚がグラブですくい上げたものの、焦ってボールがこぼれてしまう。本塁へトスできず、三塁走者の白崎浩之がホームイン。結局、この1点が決勝点となり、ヤクルトは接戦を落とした。

 キャッチャーの相川は試合後、「スクイズの確認はしていた。初球もあると思っていた」と振り返った。だが、結果的には、相手の作戦を防ぎきれなかった。その前の犠打処理も含め、内野がバタバタしている印象は否めなかった。
「1イニングにミスが2つも出ればああなる。ああいうところで慌てず、普通のプレーができるようにしないと……」
 小川淳司監督も、肝心な場面での守りのほころびを嘆くしかなかった。

 もしサードに宮本慎也がいたら、あの犠打も確実にアウトがとれていたのではないか、スクイズの前にもマウンドに選手を集め、きっちりと念を押せていたのではないか……。もちろん、それでも結果は変わらなかったかもしれない。しかし……。後から何を言っても結果論になるのは頭では理解していても、やりきれなさが募る敗戦だった。

 思い返せば、6年前も似たような雰囲気だった。2007年、古田敦也選手兼任監督は右肩の故障もあり、ベンチで指揮に専念する試合が増えていた。長年、チームを牽引していた扇の要の不在。それがグラウンドの選手たちに落ち着きをなくしているように映った。

「正直、古田さんがマスクを被るとホッとする部分がありました。守っていて安心感があるんです」
 そう宮本は当時を振り返っていたことがある。90年代から00年代前半のヤクルトは、キャッチャーの古田が秘密のサインを出して守りを指示していた。たとえば、変化球をひっかけさせてゴロを打たせたい時、あらかじめ三遊間にショートを寄せればバッターに勘付かれてしまう。だから次の配球をさりげないしぐさで内野手に伝え、ピッチャーが投げると同時にポジショニングを変えるのだ。決して戦力的に恵まれていなくても、こういった細かい野球を徹底していたからこそ、チームは優勝や上位争いができたのである。

 それこそは、まさに野村克也元監督が植え付けてきた“無形の力”だった。宮本が今季限りでユニホームを脱ぐことで、野村ヤクルトをレギュラーで経験していた選手は完全にいなくなる。ある意味で古田の引退以上に、チームは大きな時代の転換点を迎えたと言えるかもしれない。

 8月26日の引退会見、宮本は川端、山田哲人、川島慶三、森岡良介といった内野手の名前をあげ、「まだまだ物足りなさがあります。最低でも僕を超える選手になってほしい」とハッパをかけた。打っては歴代24位となる2123安打、守ってはゴールデングラブ賞10度の名手を超えるのは極めて高いハードルだ。だが、42歳のベテランは「一流になる気持ちでやらないと、このまま終わってしまう可能性もある」と手厳しかった。

 ここ数年はコーチ兼任となり、若手に対する指南役も求められてきた。衣笠剛球団社長は「一内野手から脱皮して、チームの中における指導者としてもやってくれた」と称え、将来の監督候補であることを明言している。いずれ指揮を執る時に備えて、そのままチームに残ってコーチや二軍監督として後進を鍛える選択肢もあった。だが宮本は今回、一度、外から野球を勉強する道を選ぶ。ヤクルト一筋のプロ人生だっただけに、また違った視点で野球を観ることがプラスになると本人も考えたのだろう。

 そしてもうひとつ、一度、自身がチームを離れることで若手の自覚を促す狙いもあったのではないか。いくら宮本が指導者となり、経験を伝授しようにも、それを吸収し、自らのものにしようとする意志が相手になければ、せっかくのアドバイスも右から左へ抜けてしまう。

「相手がどう感じるかの問題ですから、こちらから何かを伝えたい、伝えたいという気持ちでやっていたわけではありません。ただ、僕はプロ野球選手として、ちゃんと仕事ができるように日々を過ごしてきました。あとはその姿を見て、どう感じるか。そこが大事なのではないでしょうか」

 悲しいかな、人間は大切な存在がいなくなって初めて、その価値に気づくこともある。来季はグラウンドにもベンチにも背番号6はいない。否が応でも選手たちは自立を求められる。おそらく改めて宮本の存在の大きさを全員が認識することになるのだろう。その時、もう一度、ベテランが残したものを噛みしめる。若手が一皮むける上で、この時間が必要だと宮本は感じたのかもしれない。

 そう考えると、まだシーズンを1カ月残した8月末の引退発表も納得できる。
「チームが強い時も弱い時も、毎日、この試合に勝ちたいという信念でやってきた。それは最後まで貫けたと思います」
 残り28試合、現役選手としての宮本慎也の生き様から、チームメイトが感じ取り、学ぶ期間が与えられたのだ。

「(チームは)決して明るい未来ではない」
 強いヤクルトでプレーした最後の男が、会見でそう言わざるを得なかった意味は極めて重い。引退発表後もチームは勝ち星が伸びず、古田に続いて宮本もラストイヤーが最下位となる可能性も出てきている。だが、過去は変えられなくても、未来は変えられる。少しでも明るい未来をつくるべく、9月の戦いを単なる消化試合にしてはならない。

(次回は9月16日に更新します)

(石田洋之)
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