
2013年10月4日、ひとつの時代が終わった。
東京ヤクルトを長年支え続けてきた宮本慎也の引退試合。その別れを惜しむかのように野球の神様は延長12回まで試合を続け、途中から雨を降らせた。
(写真:チームメイトから背番号と同じ6度、胴上げされた宮本) 現役最後の試合、「2番・ショート」でスタメン出場したスワローズのレジェンドが三遊間を組んだのは、自身の後継者として自主トレから鍛えてきた川端慎吾だった。
「これまでは僕がショートで、慎也さんがサードだったので、その逆は初めて。慎也さんが後ろになるので、あまりプレーが観られなかったんです……」
打順は3番で宮本の後を打った。ネクストバッターズサークルから、最後の雄姿を目に焼き付けた。延長11回、先頭打者で打席に向かった宮本から「最後の打席、行ってくる」と声をかけられた。
「あの時は、グッと来てしまいましたね」
延々と止まない雨。引退セレモニー参加後、びしょ濡れになってもクラブハウスの外で取材を受けていたのは、あふれ出る涙を隠そうとしていたのだろうか。目は真っ赤に染まり、続く言葉がなかなか出てこなかった。
「あ〜ぁ、慎也さんに“泣くな”って言われたのに……」
宮本のサードコンバート後、2010年の後半からショートのレギュラーとなり、昨季は125試合に出場。打率も3割にあと一歩と迫っていた。厳しい見方をすれば、今季、春季キャンプ3日目で川端が背中を痛めてリタイア1号になったところから、チームの歯車は狂ったと言ってもいいだろう。背中が治ったと思ったら、今度は昨年から痛めていた左足首の痛みが引かず、開幕もアウト。女子プロ野球で活躍する妹の友紀とも約束した「全試合出場」は最初から果たせなかった。
結局、足首は骨折が判明し、手術を受けてシーズン前半を棒に振った。3番打者、そして内野の要として小川淳司監督がキーマンにあげていた主力が長く離脱していては、組織は機能しない。
何より苦しく悔しかったのは本人だろう。どんなにいい選手でも毎年のようにケガをしていては大成しない。そのことを何より証明してきたのが宮本だ。ふくらはぎが肉離れ寸前でも、手の指を骨折しても強行出場し、チームを牽引してきた。
復帰に向けて川端はトレーニングやコンディショニング、食事面での意識を変え、1軍に戻ってからはスタメンを守り続けた。8月には肋軟骨を痛めていたが、それでも試合に出た。結果、9月はリーグトップとなる打率.393。本塁打記録更新で騒がれたウラディミール・バレンティンの前を打ち、好成績を残した。8年目にして初の月間MVPにも輝いた。宮本の引退試合でも2本のヒットを放ち、来季へいいかたちでシーズンを締めくくれそうだ。
「正直、まだ(宮本さんが引退する)実感がわかないんです。来年になって、本当にいなくなってみないとわかないかもしれないですね」
川端はポツリと漏らした。それは多くのファンと同じ思いかもしれない。
70年代の若松勉、80年代の広沢克己、池山隆寛、90年代の古田敦也、00年代の宮本慎也、青木宣親……残念ながら来季のヤクルトには彼らのような生え抜きのスターがいなくなる。とはいえ、中心選手の不在を感じさせるような事態が何度も繰り返されれば、来季も最下位脱出はおぼつかない。
否が応にも背番号5に求められる役割は大きくなる。
「ずっとグラウンドでプレーすること。ケガせずに毎日、グラウンドに立てるようにしていきたいです」
来季に向けて、川端は改めて「全試合出場」を誓った。
2013年10月4日、ひとつの時代が始まった。
来季以降、あのFUNKY MONKEY BABYSの登場曲とともに、そう言える日がやって来ることを願っている。
〜不可能なんてないよ 可能だらけさ 絶望なんてないよ 希望だらけさ〜
(次回は10月21日に更新します)
(石田洋之)
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