
あの背番号11がマウンドに帰ってきた。
6月14日、戸田球場。イースタンリーグの混成チーム「フューチャーズ」戦で、東京ヤクルトの由規が久々の実戦登板を果たした。2011年9月に右肩の違和感を訴えて戦線離脱して以降、2軍でも試合で投げたのは2年前の4月が最後。昨年4月には右肩の手術を受け、実に792日ぶりの実戦だった。
(写真:「1イニングでもバテた感じがある。試合で投げるのはこんなに違うのかと感じた」と登板を振り返った) 4年前には日本人“最速”となる球速161キロをマークした右腕は果たして、どこまで復活しているのか。そのボールを一目見ようと、梅雨時とは思えない晴天の下、球場には大勢のファンと30人近い報道陣が詰めかけた。
大きな拍手に送り出され、先発で登場した由規は圧巻のピッチングをみせる。ストレートは球団スタッフのスピードガン計測で150キロ以上を連発。最速は155キロを記録した。ストレート主体で打者4人に対して21球を投じ、無安打2奪三振1四球。1イニングのみとはいえ、2年以上のブランクを感じさせない上々の内容だった。
同じ日、ヤクルトは主砲のウラディミール・バレンティンが左足のアキレス腱痛で出場選手登録を外れた。畠山和洋も左太もも肉離れで離脱しており、またもや相次ぐ主力の故障にチームには暗雲が垂れこめていた。それだけに、由規の復帰は、この日の天候同様、“梅雨の晴れ間”とも言える朗報である。
試合後、取材に応じた由規はホッとした表情を浮かべていた。
「率直に言って緊張しました。さすがに2年も投げていないので、マウンドの感触、試合の雰囲気は、ほぼゼロに近いくらいに忘れていたんです。ブルペンから新鮮な気持ちでした」
時折見せる笑顔は西日にキラキラと輝く。天も背番号11のカムバックを祝福しているように映った。
仙台育英高では豪速球で甲子園を沸かせ、中田翔(大阪桐蔭−北海道日本ハム)、唐川侑己(成田ー千葉ロッテ)とともに高校BIG3と称された。07年の高校生ドラフトで5球団が1巡目指名で競合した末、当時の古田敦也選手兼任監督が当たりクジを引き当てて入団。3年目の10年には12勝(9敗)をあげ、スターへの道を真っすぐ歩んでいた。
しかし、好事魔多し。肩を痛め、由規の姿は神宮のマウンドから消えた。肩と相談しながらキャッチボール、ブルペンでのピッチングと復帰への段階を踏もうにも、どうしても痛みが襲ってくる。「悪循環に陥っていた。不安しかなかった」と本人は明かす。
そして昨春、悩みに悩んだ末、肩にメスを入れる決断を下した。クリーニング手術で全治6カ月。復帰への階段は1段目からに逆戻りした。だが、「手術してからは“これ以上、落ちることはない”と気持ちは前向きになりました」と一段一段、着実に昇っていく。昨年8月にはキャッチボールを再開。今年1月からはブルペンでピッチングを始めた。6月5日にはフリー打撃のバッティングピッチャーを務めた。
「やっと、たどりついた」
実戦登板を終え、自らに言い聞かせるように発した一言には、投げたくても投げられなかった2年2カ月の思いが凝縮されていた。
「朝、起きた感じでは、調子はそんなに良くなかった。でもマウンドに上がったらアドレナリンが出た。これが本来の持ち味なんだなと思い出しました」
150キロを超える速球を立て続けに出したのは、周囲はもちろん、本人も「思っていた以上」の出来だった。
「今まで伏せていましたけど、手術して、ここまでスピードが戻るとは思わなかった。明日の反動も気になりますが、まずは安心しました」
手術を受け、由規はピッチングスタイルの変更を模索していた。「たとえスピードが出なくても、質のいい球を投げ込む」。投げられない日々は下半身強化に充てた。フォームは肩の負担を減らすべく、余計な動きを省いた。本人には、あまり大きく変えた自覚はないようだが、明らかにテイクバックはコンパクトになった。2軍の山部太投手コーチは「肩を痛める前より投げ方がきれい。いいフォームになった」と評価する。
ストレートを生かすべく、フォークボールの習得にも励んでいる。この日、バッテリーを組んだ藤井亮太には「フォークを投げたい」と伝え、早速、新球を試した。最後のバッターに対してカウント1−2と追い込んでから内角低めにストンと落とし、空振り三振。故障前の由規といえば、速球とスライダーのコンビネーションで相手を牛耳るタイプだった。これに縦の変化球が加われば、ピッチングの幅は広がる。単なる復帰ではなく、レベルアップした姿を――。本人の意気込みが十分に伝わってくる21球だった。
もちろん、本人が語ったように実戦復帰は「まだまだ通過点」であり、「これからが勝負」である。山部コーチは「今日はリハビリの一環での登板。想像以上の結果が出たのは喜ばしいが、焦って肩の状態がまたダメになってはいけない。焦らず、かつ、少しでも早く1軍に戻れるようにサポートしたい」と話す。先発で長いイニングを投げ、2軍のローテーションに入り、1軍で計算できる戦力になる……。昇るべき階段はあと何段も残されている。
「ちょっとずつコツコツと神宮のマウンドに戻ってこられるように頑張りたい」
そう決意を口にした由規の視線の先には青空が広がっていた。この空は間違いなく神宮球場の真上にもつながっている。そのマウンドは現時点では遠くにしか見えないかもしれない。ただ、視界は大きく開けたのではないか。
背番号11の1球1球を見守った観客の多くは試合が終わっても帰らずに残っていた。取材中もファンは遠巻きに様子を見守り、報道陣の輪から解放されると拍手で右腕を祝った。「おかえり」「良かったぞ」「ヤクルトを救ってくれ」。たくさんの声援も飛び交った。
熱い激励に一瞬、由規は感極まった表情を見せた。
「少しウルッときましたね。いろいろな気持ちがこみ上げてきて……」
もともと涙もろい性格。ドラフト指名時に号泣したシーンは記憶に新しい。だが、この日は目を潤ませつつも、涙はこぼさなかった。
今秋か来春、由規が神宮で先発し、勝ってお立ち台に上がる。その日まで泣くのはとっておけばいい。カクテル光線に照らされた涙は、きっと、どんな宝石よりも美しく尊い光を放つはずである。
(石田洋之)
(次回は7月7日に更新します)
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