8月9日に開幕する夏の甲子園へ向けて、各地で高校野球の熱戦が繰り広げられている。近年は選手の健康管理が課題とされ、休養日が設けられた。投手の球数制限なども議論に挙がっており、来年以降、延長戦におけるタイブレーク制導入も検討されている。だが甲子園の延長戦は、数々のドラマを生んできた。1969年の三沢(青森)対松山商(愛媛)、98年の横浜(神奈川)対PL学園(大阪)、06年の早稲田実業(西東京)対駒大苫小牧(南北海道)――。語り継がれる名シーンはタイブレーク制では誕生していなかったかもしれない。そんな名勝負のひとつとして挙げられる96年の夏の甲子園決勝、松山商対熊本工の一戦を振り返ろう。
<この原稿は『スポーツ名勝負物語』(講談社現代新書)に掲載されたものです>

 高校野球はトーナメント方式で覇を争う。ひとつの敗戦ですべてが終わる。残酷にも、1ミリの攻防の成否が勝者と敗者を隔ててしまうのだ。
 96年の夏の甲子園、松山商−熊本工の決勝戦は、まさにその典型のようなゲームだった。

 その瞬間、歓声と悲鳴が最大限で交錯した。
 熊本工の3番・本多大介の打った打球は、快音を発して甲子園球場ライト上空に高々と舞い上がった。
 松山商のライト矢野勝嗣は踵を返して打球を追い、浜風に押し戻されるのを確認して落下点に入った。横向きにキャッチし、間髪を入れずにバックホーム。距離にして約80メートル。三塁ランナーの星子崇がタッチアップからスタートを切り、ホームベースを目指す。

 誰もが熊本工もサヨナラ勝ちを確信した。
 勝利の女神は、最後の最後の場面で松山商を見放したのだ、と。

 1996年8月21日。
 第78回全国高校野球選手権大会決勝。

 27年ぶり5度目の日本一を目指す松山商に対し、熊本工は無冠ながら3度目の決勝進出。高校球界を代表する名門校同士の対決とあって、内容の濃いゲームが期待された。
 ゲームは3対3のまま延長戦に突入し、10回裏、熊本工は1死満塁と一打サヨナラのチャンスを掴んだ。松山商にすれば犠牲フライすら許されない、文字どおり絶体絶命の場面である。

 3つの塁上がすべて埋まってから、監督の澤田勝彦はライトを新田浩貴から矢野に代えた。このイニング、熊本工は先頭の星子が左中間ツーベースで出塁すると、監督の田中久幸はラストバッターの園村淳一に犠牲バントを命じ、サヨナラのランナーをサードに進めた。1点あれば勝てるのである。このバントは当然の策だ。
 1死三塁。この時点で澤田は渡部真一郎−石丸裕次郎のバッテリーに満塁策を命じた。
「バッターにプレッシャーをかけたい」

 澤田はそう考えたのである。しかし、ひとつ迷いがあった。ライトを矢野に代えるべきか、それとも新田を残しておくべきか。もし、このままイニングを重ねた場合、ピッチャーでもある新田の不在は重くのしかかる。

「代えたことが無駄になるかもしれない」
 迎えるバッターは3番・本多。左のロングヒッターである。ライトへ打球が飛ぶ確率は決して低くない。

「オマエ、何考えとるんじゃ!」
 大きな声がしたような気がした。誰の声でもない、自らの思いが無言の声を上げさせたのだ。

「後先のことを考えたって仕方ない。今しかないだろう!」
 ベンチを立ち上がり、ライト交代を審判に告げるため、キャッチャーの石丸を呼んだ。しかし、呼べども呼べども気がつかない。石丸がベンチを振り返ったのは、プレー再開の間際だった。

 ベンチにいる間、矢野はじりじりしていた。
「早くオレを出してくれ」
 先発した新田がマウンドを降りてライトに回った時には、少なからずショックを受けた。

「自分が行けると思っていたのに」

 澤田はベンチを出る矢野に一言だけ告げた。
「代わったところへ飛ぶというからな。信じてるぞ」
 脱兎のごとくベンチを飛び出したわけではない。グラブをベンチのどこかに置き忘れたのだ。慌ててグラブを探した。

 矢野はライトの定位置へ向かって走る際、まずバックスクリーン最上部の大会旗を目で確認した。風の向きと強弱をしっかりと脳裡に刻みつけておきたかったからである。
「曇っているからフライは見えやすいだろうなァ。それにこの逆風なら……」

 初球だった。渡部の投じたスライダーは真ん中にスッと入った。
「やられた! ホームランだ」
 乾いた金属音が甲子園のくもり空に響きわたった瞬間、渡部はサヨナラ負けを覚悟した。

 それは矢野も同じだった。
「だめだろう……」

 しかし、諦めなかった。ボールから目を切って背走し、最短距離で落下点に向かった。ボールから目を切って背走する練習は、入学以来、嫌というほど繰り返してきた。高々と舞い上がった飛球は甲子園特有の強い浜風にあおられ、定位置のすぐ後方まで押し戻された。矢野はこのフライを捕球するなり、キャッチャー目がけ、イチかバチかの大遠投を試みた。くもり空にバックホームの軌道が描かれ、大観衆は息をのみ込んだ。

 サードランナーの星子は捕球と同時にスタートを切った。

 カットマンのセカンド吉見宏明は、矢野が自らを無視し、ホームへ大遠投したのを見て「やられた!」と舌打ちした。

「ボクのところへきたら、バックネットにでもぶつけてやろうと考えていたんです。だって、絶対に無理だと思っていましたからね。どうせなら、自分が最後のボールを投げて終わりたかった。ところが……」

 キャッチャーの石丸は「暴投か!」と思った。自らの頭上を越えていく軌道のように感じられたからだ。
「アイツ、またやったかと思いましたよ。練習ではちょくちょくありましたから」

 捕球態勢に入った時から、矢野はダイレクト返球を決めていた。カットマンにボールを返していたのでは間に合わないと判断したからである。

 石丸にはボールを待つ間の時間が、ものすごく長く感じられた。ただ、暴投だと思った返球が少しずつ落ちてきて、自らのミットに近づいてくる過程で「もしかして……」の予感が芽生え始めた。直径わずか約7センチの白球に、4万8千人の視線が釘付けになっていた。

 通常、松山商の練習は内野ノックの後に外野が始まる。ふたり1組になり、レフト、センター、ライトの順に打球が飛ぶ。生きたボールの感触を選手に植えつけるために、ノッカーはティー・バッティングの要領でボールを打ち返す。バックセカンド、バックサード、バックホームがピタリと決まらなければ、またレフトからやり直し。とりわけ最後を締めるライトの責任は重大である。ミスでも犯そうものなら容赦ない罵声を浴びせられる。

「こうしたプレッシャーの中でプレーすることによって、うまくなっていくんですよ」
 そう語り、澤田は続けた。

「外野の守備はある意味で内野よりも重要です。内野ならエラーしてもワンヒット分ですみますが、外野の場合はロングヒットと同じになり、すぐ点に結びつく。金属バットになってから、外野の守備はますます重要になってきました。カットプレーにしても、正確さを欠いて1秒でも遅れるとランナーは8メートルも走ってしまうんです。このことは日頃から口を酸っぱくして言っています。“オマエらの守備は内野以上に大切なんや”と」

 伝統校らしく、外野の守備練習にも、いたるところに工夫が見られる。松山商は外野フェンスのある専用グラウンドを持たないため、外野手の後方に防御ネットを置き、そこに打球を飛ばしてクッションボール処理の練習にあてる。

 こうした工夫が“目に見えないファインプレー”を生み出すもとになる。10回裏、熊本工・星子の左中間ツーベースは、センターの久米孝幸がうまく回り込んで処理していなければスリーベースになっているところだった。

 それを受けて澤田はこう語った。
「無死二塁と無死三塁じゃ、同じ満塁策をとるにしても、相手に与えるプレッシャーは全然違いましたよ」

 伝統の練習で鍛えに鍛えられた外野手たち。だが、ライトの矢野は肩こそ強いものの、決して名手の部類に入るプレーヤーではなかった。最後の最後でバックホームが決まらず、チームメイトからかなり辛辣なヤジを浴びたこともあった。

 苦笑を浮かべて、澤田は言う。
「オンドレ矢野! と何度怒ったことか」

 ある日、あるコーチが真顔でつぶやいた。
「監督、矢野をいつまでも信じていたら、いつか絶対に裏切られますよ」

 即座に澤田は言い返した。
「確かに気は弱いし、野球センスもあるとは思えん。しかし、いいものもあるじゃないか。肩は強いし、ツボにきた時のバッティングもなかなかのもんやぞ」

 コーチを諭すように澤田は続けた。
「アイツは人一倍、真面目で性格も陰日向がない。こういう男がいつかチームを救ってくれるんだよ」

 矢野の練習熱心で真面目な性格は誰もが認めていた。しかし、なかなか闘志が表に出てこない。そこで澤田は一計を案じ、矢野にパフォーマンスの予行演習をやらせたことがある。ベーブ・ルースばりの予告ホームランを“演技”させたのである。ネクスト・バッターズサークルから偉そうにバットを引きずっていき、スタンドを指さし、豪快なスイングのあと、バットを宙に放り上げるのである。そして、ガッツポーズ。

「矢野、やってみろ!」
 澤田が命じると、矢野は言われるままに振る舞った。だが、どうにもサマにならない。
「オマエ、オカマか!?」
 澤田がからかうと、矢野は申し訳なさそうに首をすくめた。
「まったくコイツは要領も悪いし、演技のひとつもできん……」

(中編へつづく)
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