
東京ヤクルトの小川淳司監督が12球団の現役指揮官で唯一、持っている勲章がある。
夏の甲子園優勝――。1975年、千葉・習志野高のエースとして全国制覇を達成した。野球エリートの、さらに選ばれし者が集まるプロの世界では甲子園出場経験のある選手はたくさんいる。ただし、優勝となると人数は限られる。深紅の大優勝旗とともに、大会歌「栄冠は君に輝く」の演奏に乗って閉会式で場内を一周したことがあるのは、ヤクルトでは小川監督のほか、武内晋一(智弁和歌山、00年)、森岡良介(高知・明徳義塾高、02年)だけだ。
(写真:8月7日の阪神戦では勝ち越し3ランを放つなど、森岡が勝利のお立ち台に上がる回数も増えている) 栄光の夏から12年、一度は暗い谷底に叩き落とされた左バッターが再び光を放ち始めた。今季から選手会長も務める森岡である。ここまで66試合の出場ながら、打率は.342。自己最多だった昨季の73本に迫る69安打を既にマークしている。開幕直後に右脇腹肉離れで約1カ月戦列を離れ、一時は荒木貴裕が奪いかけたショートの“代表枠”を取り戻し、チームでは最も多い43試合でスタメンを張っている。
高校時代は甲子園に4度出場。3年夏に3番・ショート、かつ主将として明徳義塾の初優勝に貢献し、歓喜の涙を流した。“立浪2世”との高い評価を受け、03年に中日からドラフト1巡目指名を受けてプロの道へ。しかし、当時の中日の二遊間には、荒木雅博、井端弘和の“アライバ”コンビが君臨していた。
ゴールデングラブを6年連続で受賞する日本一の二遊間の壁は厚く、中日では06年に17試合に出たのが最高。甲子園をわかせたヒーローの称号は、すっかり過去のものとなり、08年オフ、ついに戦力外通告を受けた。
しかし、トライアウトを受験し、ヤクルトに拾われると、名古屋では花開かなかった素質が徐々に芽を出し始める。内野のユーティリティプレーヤーとして、徐々に出番を増やし、昨季は自己最多の109試合に出場した。
宮本慎也が引退し、川端慎吾がサードを守ることで空いたショートのポジション獲りへ、昨オフ、森岡は打撃フォームを改良した。取り組んだのは右ヒジの使い方だ。秋季キャンプに指導した杉村繁コーチは次のように明かす。
「森岡のバッティングは大きな構えから大きく振り抜くのが特徴でした。これは確かにツボにハマった時は打球は飛ぶけど、インサイドのボールは振り遅れてフライになりやすい。だから、右ヒジをうまくたたんでコンパクトにバットを出し、ヘッドを走らせる。この方法をアドバイスしたんです」
始動もこれまでより早くし、いつでも打てる体勢から、きっちりボールを呼び込んだ上で、最短距離でバットを振り下ろす。開幕スタメンこそルーキーの西浦直亨に譲ったが、4試合目から先発で起用されると、5割を超えるアベレージで打ちまくった。その後、先述の脇腹肉離れで無念の戦線離脱となったものの、リハビリを経てファームで調整していた森岡のバッティングを見た2軍の伊勢孝夫チーフ打撃コーチは「以前は上段の構えでバットがスムーズに出ていなかった。でも、今年はバットを少し寝かせてスムーズにスイングできるようになっている」と明らかな変化を感じとっていた。
ゴールデンウィーク明けに1軍に戻ると、6月は3度の猛打賞。7月にはウラディミール・バレンティン、畠山和洋不在の中、5番も任された。7月10日の中日戦では岩田慎司の外のスライダーをとらえ、バックスクリーン左の逆方向へ今季初ホームランを放った。8月7日の阪神戦では、内角ストレートに対して右ヒジをたたんでコンパクトに振り切り、ライトスタンドへ運び去った。打線爆発の呼び水となる勝ち越し3ラン。森岡自身、「明らかに去年までとは違う感覚」を打席の中でつかんでいる。
現状のヤクルトは借金16の最下位ながら、チーム打率.286、520得点はリーグで断トツトップ。7月30日から8月9日にかけては、球団新記録となる10試合連続の2ケタ安打と打ちまくった。森岡は「みんなに乗せられて打っている」と話す。
「(前を打つ)ハタケさんに続けという気持ちで打席に入っていますね。みんな打つから、たとえ打てなくても、しっかり守ればいいと切り替えられるんです」
とはいえ、イケイケドンドンで打ち続けられるほど、プロは甘くない。試合前練習を見ていると、森岡も他の選手同様、ティーバッティングを入念に行う。この一連の“儀式”を「技術的なものだけじゃなく、精神的にも効果がある」と本人はとらえている。
「スイングを整えて、崩れた部分を取り戻せるし、毎日、繰り返すことで“これをやっているから大丈夫”という気になるんです」
ひたむきな姿勢に杉村コーチは「秋のキャンプでやったことを、オフも、シーズンに入っても継続してやっている。その成果が出てきたんじゃないかな」と目を細める。真中チーフ打撃コーチも「打席数は少ないけど、3割5分近い率をずっと打っているのはダテじゃない。ボールをしっかり見極めてセンター中心に打てている証拠」と確かなレベルアップを認める。
7月に川島慶三が福岡ソフトバンクに交換トレードで移籍し、ショートのポジションを争うライバルはひとり減った。今は右バッターの谷内亮太とスタメンを分け合っている状態だ。
「競争意識は当然、あります。結果を出したほうがレギュラーに近づくのは分かっていますから」
目下の課題は対左ピッチャー対策だ。対右の打率が.388に対し、左は.094と1割にも満たない。本人も「ピッチャー並みの打率」と苦笑する。
ポジション柄、守りの安定感もレギュラー確保には欠かせない。ここまでショートでは8失策で守備率は.959。.980以上がプロの合格点といわれるなか、これではベンチも安心して任せられない。
「もう一段階、ギアを上げられるようにしたい。技術面はもちろん、結果も出して、レギュラーとして使ってもらえるようになりたい」
あの夏から12年。プロの世界で栄冠が森岡に輝くには、甲子園のトーナメントのごとく、突破すべき壁が、いくつも残っている。
(石田洋之)
(次回は9月1日に更新します)
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