「初めてボートに乗った時は感動しました」
 名門・早稲田大学漕艇部の谷川早紀は、その時の感激を今でも忘れられない。今治西高校に入学する直前の2月、漕艇部に入部することを決めていた谷川は練習に参加した。1学年上の先輩と2人乗りの艇に乗り込んだ。その時はボートについて右も左も分からなかった谷川は、あくまで乗っただけ。あとは先輩に漕いでもらったのだ。「先輩が1回漕いだだけで、ボートがサァーッと進んだんです。その感覚に『おぉー』と感動したのを覚えています」。元々は野球少女だった谷川が現在もオールを漕ぎ続けているのは、その時に味わった艇が進む快感を、忘れられないからだ。
 オールを手にして6年半、谷川は今や早大の主力にまで成長した。
 この10月に開催される「長崎がんばらんば国体」にも愛媛県成年女子の代表として出場する。ボート界の第一人者で、県協会の強化部長を務める武田大作は「チームの大黒柱として期待している」と彼女へ厚い信頼を寄せる。

 野球の盛んな愛媛に生まれ、“お兄ちゃん子”だった谷川は、1歳上の兄に倣って少年野球チームに入った。だが女子が男子の中に交じってプレーすることは容易ではない。女子だからといって手を抜いてくれるわけでもなく、むしろ女子に打たれるわけにはいかない、と必死になる。最初の頃は打てなくて、バカにされることもあった。谷川は悔しくてバットを1日1000回、2000回と振り込んだ。その努力が実り、地元で強豪だったチームでも5番を打てるほどのバッターに成長した。

 勧められたボートへの道

 しかし、中学に入り、野球を続けることは断念した。親の反対もあったからだ。父の昇は、その理由をこう明かす。
「成長期になれば必ず“男女の壁”にぶつかると思いました。だから『女の子の部活をしなさい』と言ったんです」

 谷川は野球をするかわりに陸上競技部に入った。さまざまな種目にトライするなかで、野球で鍛えた腕力を生かす種目を選んだ。ジャベリックスローだ。ターボジャブと呼ばれるプラスティック製でロケット状の投擲物を投げる。その種目で谷川は2004年、中学3年時には県大会で優勝し、ジュニアオリンピックにも出場した。

 勉強もでき、まさに“文武両道”だった谷川は、推薦入学で今治西に進んだ。同校は進学校でありながら、インターハイなどで数々の全国優勝を誇るボートの強豪。スポーツ万能だった谷川には周囲からの漕艇部入部への誘いがあった。谷川の小学時代の担任と中学時代の教頭は、娘がどちらも今治西でボート競技をやっていたこともあり、谷川と両親に漕艇部へ入ることを勧めた。それが冒頭のボート初体験の感動につながったというわけだ。

 かくして谷川のボート人生が始まった。とはいえ、いくら運動神経の良い彼女といえども、最初から簡単に艇を進められたわけではなかった。
「先輩たちがスーッと漕いでいるのを見学していて、“めっちゃ簡単そうだな”と思ったんです。むしろ“もうちょっとスピードを出せるんじゃないかな”と。でも実際やってみると全然ダメでした」

 試合で勝てない“ブルペンエース”

 腕力には自信があった。だが力任せに腕だけを使ってオールを漕いでも推進力は生まれない。当初は艇を進めることに一苦労したという谷川だが、今治西の漕艇部顧問である井手勝敏の見立ては違っていた。
「中高でスポーツをやっていた子はある程度自信を持っている。我流で力任せに漕ぎがちなんですが、彼女は動き方が自然でしたね。持っている力をうまく使えるという印象でした」

 入部時から「女子の中では軸になる選手」と直感した井手は、1年生の谷川を県総合体育大会、四国大会に4人の乗りのクォドプルのメンバーに唯一選んだ。早くからシートを掴みとり、主力選手となった谷川は、井手の指導の下、メキメキと力をつけていく。

「練習を見ていて、“ここまでスピードを出せれば合格”というところまではきた。実力は日本一を争うぐらいのものはあったと思います」
井手がそう証言する高校2年時にはシングルスカルで全国総合体育大会(インターハイ)出場も夢ではないところまで来ていた。しかし、優勝すれば全国への切符を掴める県総体決勝で敗れてしまった。本人によれば、勝ちを意識するあまり、「ガッチガチになってしまいました」と力を出し切れなかったのだ。

 谷川の課題は、そこにあった。井手は「野球で例えるなら“ブルペンエース”」と当時の彼女を評する。
「ブルペンでは150キロの剛速球をバンバン投げるのに、試合となると130キロになってしまう。“君は誰だ?”というぐらいでしたね」

 “ブルペンエース”が、本物のエースに脱皮するには、何らかのきっかけが必要である。それは高校2年の冬にやってきた。

(第2回につづく)

谷川早紀(たにがわ・さき)プロフィール>
1992年12月31日、愛媛県生まれ。小学校時代は野球、中学校時代は陸上競技を経験し、今治西高校入学後にボート競技を始める。1年時から主力として活躍。高校3年時には夏の全国高校総合体育大会のダブルスカルで優勝した。秋の国民体育大会では愛媛県選抜として少年女子舵手付き4人スカルを制覇。高校卒業後は早稲田大学に進学し、2年時の全日本大学選手権(全日本インカレ)女子舵手無しペアで優勝。全日本選手権でも同種目を制した。最終学年となった今年の全日本インカレでは女子舵手付きクォドルプルで優勝を収め、大学の同種目3連覇と総合6連覇に貢献した。

(文・写真/杉浦泰介)




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