
またひとり、燕の黄金期を支えた選手がユニホームを脱ぐ。
北海道日本ハムの稲葉篤紀である。プロ入り以来、ヤクルトには10年在籍し、1995年、97年、01年と3度のリーグ優勝、日本一に貢献した。10月5日に行われた引退試合では、古田敦也、宮本慎也らヤクルトのレジェンドたちも札幌ドームに駆け付けた。
(写真:日本ハムでは、打撃フォームでトップの位置を変えたことが好成績につながったという) 本人が引退スピーチでも触れていたが、ヤクルト時代、稲葉が打席に入ると、「チャラチャ〜」と応援団のトランペットで「必殺仕事人」のテーマが流れ、スタンドは大いに盛り上がった。
「狙いすまして、鋭く打ち返せ、稲葉篤紀、頼りになる男」
応援歌のメロディー(元は杉浦享に使われていた)も歌詞も印象に残っている。
日本ハム移籍後は07年に首位打者のタイトルを獲得するなど、中心選手としてチームを4度のリーグ優勝、1度の日本一へ牽引した。若手の見本にもなり、名実ともに「頼りになる男」だった。チャンス時に球場を揺るがす「稲葉ジャンプ」は札幌ドームの名物になった。それだけに多くの野球ファンには「稲葉=日本ハム」のイメージのほうが強いに違いない。
ただ、稲葉本人は以前、こう語っていた。
「ヤクルト時代は、たいした成績を残せませんでしたけど、僕はいい先輩に恵まれた。そこで教わったことが今に生きているんです」
ヤクルトでの10年は、背番号41にとって決して順風満帆とは言えなかった。故障もあり、好不調の波が大きかった。本人曰く、「いろいろ言われて、自分を見失うことも多かった」という。いいことばかりではなかった最初の10年があったからこそ、北海道の大地で大輪の花を咲かせられたのだ。
ヤクルトで、まず薫陶を受けたのは知将・野村克也監督だった。
「今、思えば当時は野球の“や”の字も知らなかった。ただ、投げて、打って、走っているだけ。最初は監督の言っていることが理解できなくて、打席の中で“これ、打っていいのだろうか”“これを打ったら怒られる”とか考えすぎてしまったこともありました。スイングイップスとでも言うんでしょうか。バットが出なくなってしまったんです」
苦笑交じりに稲葉は当時を振り返っていた。
プロとして長くプレーするために必要なことは、いぶし銀の土橋勝征(現2軍外野守備走塁コーチ)に教わった。
「若いうちにしっかり練習して貯金をしろ。そうすれば、長くできる」
稲葉自身は「正直、やらされた部分もある」と述懐していたが、当時の打撃コーチだった伊勢孝夫や若松勉の指導を受けながら、朝から晩までバットを振り続けた。その姿勢は野村から宮本慎也、真中満(現1軍チーフ打撃コーチ)とともに練習熱心な「三羽烏」として認められるほどだった。
2000本安打の先輩でもある古田敦也からはプロのテクニックを伝授された。
「古田さんはいろいろなバットをピッチャーに応じて使い分けていました。特に参考にしたのはバットの形です。タイカップ型(グリップエンドに向けて徐々に太くなる形状)にしたのは古田さんの影響ですね。“インコースを打つ時には、ヒジが抜けないと打てない。タイカップ型じゃないと、引っかかってヘッドが先に返ってしまうから、どんなに打ってもファウルにしかならない”と教えてもらいました」
インコース打ちの巧かった稲葉だが、その背景には貴重な助言があったのだ。
守りに関しては名手・飯田哲也の存在が大きかった。大学時代は一塁が本職だった稲葉はプロ入り後、野村の指示で外野手に転向した。
「ポジショニングとか、打球への入り方とか、ものすごく教えてもらいました。センターが飯田さんだったから、見て覚える部分も多かったと思います」
稲葉は日本ハム移籍後、外野手としてゴールデングラブ賞に4度輝いた。その素地もヤクルト時代に培われたものだった。
ヤクルトで黄金時代を築いた指導者、先輩たちから学んだことを、日本ハムでは若手たちに伝えていった。それが北海道移転前はBクラスの常連だったチームを、優勝争いのできる集団に変えた要因のひとつになったことは間違いない。日本ハムの栗山英樹監督は「稲葉の探究心を見て、みんなが勉強する。稲葉の全力疾走を見て、みんなが手を抜けなくなる」と評していた。
モットーとする「全力疾走」も稲葉の代名詞だった。打者走者として一塁を駆け抜けるだけでなく、攻守交代の際にも高校球児のように全速力でライトのポジションに向かい、戻ってくる。その姿には、ヤクルトでも石川雅規が「全力プレーと口で言うのは簡単でも、実際にやり続けるのは難しい。勉強になったし、見習いたいと思った」と語ったように後輩たちに多大な影響を与えた。
引退セレモニーが終わっても、稲葉にはまだクライマックスシリーズが残っている。稲葉の移籍後、ヤクルトで外野のポジションを獲得した青木宣親は、今はロイヤルズの欠かせない2番バッターとして、リーグチャンピオンシップに臨む。元燕戦士の雄姿を見るにつけ、2年連続最下位という現実は神宮の秋風を一層、冷たく感じさせる。
主力で01年の日本一を経験した唯一の存在だった岩村明憲もチームを去ることが決まった。あの歓喜から13年。失われた伝統を再構築するのは一朝一夕ではいかない。神宮のライトスタンドを熱くする「頼りになる男」の出現が強く望まれる。
(次回は10月20日に更新します)
(石田洋之)
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