ボート強豪校の今治西高校で、谷川早紀は1年時から主力を任された。2年時はチームの誰よりもタイムが速く、愛媛県総合体育大会ではシングルスカルで上位に入った。その実力は指導する井手勝敏監督も「他の高校生と比べても能力的にはトップクラス」と認めていた。だが、なぜか試合となると勝ち切れず、全国大会(インターハイ)にはあと一歩進めなかった。
 いわゆる“ブルペンエース”だった原因として、井手は「人の好さ」を挙げる。「人を押しのけて上に行くというタイプではなかった。スポーツの世界でいうと、勝負に徹し切れていないと思えるフシがありました」。それは甘さと言い換えることもできるだろう。ここを越えないことには、彼女の成長はなかった。

 そんな2年時の冬、彼女にひとつの転機が訪れる。今治西では最速を誇っていた谷川が、部内のタイムレースなどで同学年の白石愛理に立て続けに敗れたのだ。力をつけてきたチームメイトに、自らの立場は危うくなっていった。

 何かを変えなくては――。危機感を抱いた谷川は、学校の授業がない日は家から練習場の玉川ダム湖(今治市)まで自転車で行くことにした。1時間以上かかる道程の途中には、坂道もある。ペダルを漕ぎながら足腰を鍛えた。ボートを漕ぐために腕力以上に脚力が重要である。下半身強化は谷川のレベルアップにつながった。

 結局、白石とはシングルスカルのシートを争うのではなく、ダブルスカルでコンビを組んだ。春の全国高校選抜では3位に入り、全国制覇も十分に狙える位置につけた。県総体でも優勝を期待される中で、しっかりと結果を残す。プレッシャーを感じるどころか、余裕を持ってレースに臨めた。「あの時は“勝てる”という安心感で漕いでいました」。念願の全国行きの切符を見事に手にした。

 アクシデントを力に変えた全国制覇

 迎えた2010年夏のインターハイは、沖縄で開催された。台風4号の来襲により、準々決勝が中止されるなど大会スケジュールは大幅な変更を余儀なくされた。これは競技結果にも影響を及ぼした。3月の選抜を制し、インターハイでも優勝候補に挙げられていた今治西の男子ダブルスカルのメンバーは日程変更により、予選敗退の泣き目を見た。予選3位だった男子ダブルスカルのペアは、本来なら予選通過できるはずだったが、突破が2位のみと急遽、変わったため、上位進出の道が断たれたのだ。

 それは谷川が出場した女子ダブルスカルにも影響を与えた。準々決勝が中止になり、4組に分かれた準決勝の決勝進出枠は各組1位のみ。ハードルが上がった上に、同組には強敵の香川県の坂出高のペアが入ってきていた。インターハイ前の四国大会でも敗れ、それまで3戦3敗と一度も勝てていない相手だ。

 難敵との直接対決。これを谷川はピンチではなく、チャンスと捉えた。「準決勝で倒しておけば、決勝で当たることはない。ここで倒しておこう」。レース前の白石との会話にも、後ろ向きの言葉は一切出なかった。

 レースは序盤から、今治西と坂出の2校が先頭争いをする。だが、先にリードを奪ったのは坂出のペア。今治西ペアは追う展開となる。「男子ダブルの子は最後まで漕げなかった。その子たちの分まで、私たちがやらなきゃ」。競り合いながら、谷川は気持ちを奮い立たせた。想いはオールに乗り移り、艇は速度を上げていく。ライバルをかわすと、一気に抜け出す。逆転でゴールをトップ通過した。

「勝負に徹していた会心のレース」
 井手監督も絶賛する内容での決勝進出。そこに“ブルペンエース”と呼ばれた谷川の姿はなかった。勢いに乗ったペアは、決勝では2位の艇に3秒差をつけ、優勝を遂げる。ようやく手にした初の日本一だった。谷川は、その年の秋には千葉で行われた国民体育大会で愛媛県選抜として出場。女子舵手付きクォドプルを制覇も果たした。

 憧れを追いかけ、常勝校へ

 大学へ進んでも競技を続けようと決めた谷川は、高校2年時の3月から早稲田大学に興味を持っていた。同校は日本代表にも数多くの選手を送り出す名門中の名門だ。全日本大学選手権(全日本インカレ)では常勝を義務付けられていた。

 当然、他校からも誘いがある中、谷川が早大を望んだのには理由があった。憧れている2歳上の先輩・越智愛來の存在があったからだ。今治西時代から世代別の日本代表に選出されるなど、日本でもトップクラスの漕ぎ手である。谷川とは高校で1年しか被らなかったため、同じ艇に乗ることが少なかった。
「大学に行きたいと思うようになってからは、その先輩と組んで勝ちたいなと思っていたんです」

 11年、谷川は志望通り早大に進む。1年時の春から試合に出場し、周囲から見れば、順風満帆の大学での競技生活。だが、本人は当時の胸の内をこう明かす。
「かなりきつかったですね」
 意外な言葉を口にし、谷川は続けた。
「大学に入ると、練習量がドンと増え、最初はこなすので精一杯という感じでした。周りの先輩方もめちゃくちゃ強くて、(部内での成績も)どちらかというと下の方になってつらかったですね。今西はかなり練習量が少なくて、私なんかでも結構上位の方だった。それで少し調子に乗っていた部分もあったかもしれません」

 憧れの越智とは、1年時のインカレでペアを組むことができた。しかし、結果は5位。優勝を義務付けられている早大にとっては、決して満足できる結果ではない。「先輩はジャパンに選ばれていましたし、すごく速かったので、かなり頼っていたんです。“この先輩と乗れば優勝できるだろう”と甘い考えで、先輩のお荷物になっていましたね」
 せっかくの先輩とのチャンスをモノにできず、谷川は唇を噛みしめ、悔しさをこらえるしかなかった。

 練習でも、すぐバテてしまい、技術指導でもワンストロークごとにダメ出しをされた。“何で私はできないんだろう?”と自問する日々。苦悩の中で大学最初の1年間が過ぎていった。

(第3回につづく)
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谷川早紀(たにがわ・さき)プロフィール>
1992年12月31日、愛媛県生まれ。小学校時代は野球、中学校時代は陸上競技を経験し、今治西高校入学後にボート競技を始める。1年時から主力として活躍。高校3年時には夏の全国高校総合体育大会のダブルスカルで優勝した。秋の国民体育大会では愛媛県選抜として少年女子舵手付き4人スカルを制覇。高校卒業後は早稲田大学に進学し、2年時の全日本大学選手権(全日本インカレ)女子舵手無しペアで優勝。全日本選手権でも同種目を制した。最終学年となった今年の全日本インカレでは女子舵手付きクォドルプルで優勝を収め、大学の同種目3連覇と総合6連覇に貢献した。

(文・写真/杉浦泰介)




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