「喜界島のバレンティン」
 そんなキャッチフレーズを引っさげて東京ヤクルトに7位で入団したのが第一工業大出身の原泉である。鹿児島から南へ380キロ。奄美大島に近い喜界島からやってきた。190センチ95キロの恵まれた体格で、和製スラッガーとして大化けを期待されている。
(写真:入団発表ではつば九郎のムチャぶりにもうまく対応し、ファンの心をつかんだ)
「中学の頃から群を抜いて体は大きかったですね。おもしろい素材だと思いました」
“怪物”の原点を教えてくれたのは、第一工業大の岡留浩紀監督だ。
「高校、大学と7年間かけて育成したい」
 そう考えた岡留は、地元の喜界高に進んだ原の成長度合いをチェックすべく、可能な限り、鹿児島から海を越え、島に足を運んだ。

 高校時代は投打の中心。恩師・久保正樹監督(当時)は、「ピッチャーをやりたいなら、腹筋を鍛えろ」と原に指示を出した。ノルマは1日1000回。何パターンかの腹筋を繰り返し、350回で1セット。それを3セット行った。

 それを1年続けると、球速がアップしただけでなく、バッティングでも飛距離が出始めた。それまでは良くてフェンス直撃だった打球が、芯でとらえると大きな放物線を描いてフェンスを超えた。
「その時には気づきませんでしたが、体の軸がしっかりできて、インパクトの瞬間に力が入るようになったんだと思います」
 本人も予想しなかった効果が長距離砲としての覚醒につながっていく。

「ピッチャーとしても140キロ以上放っていましたが、右の大砲として伸びしろがあると感じましたね」
 そのパワーに惹かれた岡留は、大学進学後、外野手転向を命じる。7年計画を遂行するにあたり、1年時から原を4番に抜擢した。
「外野フライでいいから、しっかり振り切れ。進塁打や逆方向の打球はいらない」
 本人にはそう告げた。

 原は「投げることは好きだったので、正直、ピッチャーに未練がありました」と当時を振り返る。
「でも、打つ方も好きで、リーグ戦はDH制なのでピッチャーをしながらバッターはできない。当時は“二刀流”なんて考えはなかったですし、試合に出られないのが一番つまらない。バッターならバッターで専念しようと決めました」

 高校時代に引き続き、原はフィジカル強化を図った。バットを振りに振り、食事とプロテインを併用。岡留によると「ごぼうみたいに細かった」体をひと回りもふた回りも大きくした。体重は入学時から10キロも増えた。そして、もうひとつ、取り組んだのが脱力だ。バットを高く掲げるフォームから、グリップを下げ、無駄な力を抜くスタイルに切り替えた。

「普段の練習から、柔らかくリラックスすることを意識しました。大事なのはインパクトの時にヘッドを速く振り抜けるか。4番になると相手の攻めも厳しくなって死球も多かったのですが、体は熱くても頭は冷静になることを心がけましたね」

 7年計画の取り組みがひとつのかたちになったのが大学3年の春だ。リーグ戦で4試合連続ホームラン。「4本目は周りから“狙え、狙え”と言われましたが、何も考えずに来たボールを無心で打ちました」。チームの優勝にも貢献し、MVPにも輝いた。

 一発長打が魅力ながら、本人曰く「ホームランを狙って打ったことはない」という。
「打席で心がけているのは芯でとらえて運ぶことだけです。それが50メートル飛ぶのか、100メートル飛ぶのかは結果なので、最初から意識はしません」
(写真:「結果を残して、何かやってくれそうと期待される選手になりたい」と抱負を語る)
 
 原自身は「実力があるバッターではない」と謙遜するが、大きな体には鍛え上げられた筋肉のみならず、夢と希望が詰まっている。
「憧れはバレンティンさんです。スイングがコンパクトでトップから素直にバットが出ている。僕なんかとはパワーが違う」

 本家と神宮の夜空にアーチ共演する。喜界島のバレンティンは「1日1日の積み重ねが1本につながってくる」と、その日を夢見てキャンプで汗を流している。

(次回は3月2日に更新します)
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