日本バドミントン界の歴史を塗り替えている男がいる。NTT東日本に所属する桃田賢斗である。20歳の桃田は、2年前に世界ジュニア選手権のシングルスを制し、昨年は国別対抗戦のトマス杯優勝も経験した。これまで日本男子が誰ひとりとして、届かなかった世界の頂点に2度も立ったのだ。現在、男子シングルスのBWF世界ランキングは日本人トップの14位(2月26日時点)に立つ桃田。1年後に控えるリオデジャネイロ五輪での活躍が期待される若きヒーローは、どのように生まれ育ったのか――。
 1994年、香川県三豊市で桃田は生まれた。この頃、父・信弘はこう確信していた。「これからの日本人はグローバルな時代になる」。ゆえに息子に「世界で通用する男になってほしい」と“賢斗”という名を付けた。その名は『スーパーマン』の主人公クラーク・ケントに由来する。
「世界中でよく知られている名前にしようと思ったんです。世界で一番強いのはスーパーマンかなと。それで名前を“ケント”にしました」

 父・信弘の願い通り、桃田はバドミントンで世界に通用するプレーヤーになった。現在、ナショナルチームに入り、国際大会を転戦するなど、世界中を飛び回っている。

 未来の行く先を決めた日本一

 そんな桃田がバドミントンを始めたのは、小学2年の時だ。地元の三豊ジュニアに所属していた3歳上の姉の練習についていったのがきっかけだった。センスの良い桃田は、その年の香川県大会でいきなり2位に入り、全国ABC大会に出場する。全国ABC大会に進むには本来都道府県1位しか進めないのだが、この年は大会が香川県開催のため、2枠が与えられた。桃田はグループリーグ3位で上位トーナメントに進出できなかった。全国大会を経験したことは大きな刺激となった。「同学年の人たちがすごく強くて、勝ちたいと思った」。大の負けず嫌いである桃田が、燃えないはずはなかった。

 父と息子は目標を立てた。「やるからには日本で一番になろう」。バドミントン経験者ではない父・信弘は、本屋でバドミントンの書籍を買い漁り、子供たちと共に一から競技を学んだ。自宅のガレージにミニコートを描き、フットワークの練習スペースを作った。チームの練習以外では、桃田は父・信弘が独学で作成したメニューをこなした。特訓はこれだけにとどまらない。家の中では、壁と壁にゴムを張り、即席でネットプレーの練習をできるようにした。母・美千代によれば、「コツコツとやる子で練習も休まなかった」という桃田。現在、得意技としているヘアピン(ネット付近に飛んできたシャトルを、相手コートのネット際に落とすショット)は、こうした自主練習で磨かれたものだ。

 身長が大きくない桃田は、体格で上回る相手からは上から打ち下ろすようなスマッシュを叩き込まれた。そうした攻撃に対抗するために、フットワークでシャトルを拾い、相手の裏をかくような繊細なショットで活路を見い出していくしかなかった。桃田は徐々に頭角を現し始め、小学4年時には全国小学生選手権大会でベスト4、5年時には準優勝を果たすまでに成長した。

 その頃、桃田はバドミントンと並行して、ソフトボールもやっていた。運動神経が抜群の桃田はこちらでも才能を発揮し、クリーンアップを任されるほど活躍していた。父・信弘によれば、他の選手よりも出場試合が少ない中でチームのホームラン王だったという。

「人生の分岐点だったかもしれない」。そう桃田自身が振り返るのが、小学6年の時に出場した全国小学生選手権だ。この大会の結果いかんで彼は、進路を決めるつもりだった。優勝できなければ、卒業後はバドミントンを辞めて、野球部に入ることを考えていた。なぜなら進学予定だった地元の中学にはバドミントン部がなかったからだ。

 しかし、桃田のバドミントンの才能が、その選択を許しはしなかった。全国小学選手権で、天性のラケットワークに加え、鍛えられたフットワークを武器に、全国の強豪たちを次々と撃破した。初めて出場した全国大会で頂点に立った同学年の井上拓斗など、自分よりも格上の選手をも下す。桃田は決勝戦でストレート勝ちを収め、ついに父と約束した「日本一」を達成した。初の全国制覇を経験し、トロフィーとともに大きな自信を手にしたのだった。

「福島県の富岡第一中学から誘いを受けたので、それでバドミントンを続けてみようと思ったんです」と、桃田は当時の胸中を語る。全国大会の常連校である富岡第一中には顔見知りの選手たちが進学を予定していたこともあり、不安はなかったという。生まれ育った香川を離れ、福島への単身留学を決意した。“強くなるために”と、桃田は迷うことはなかった。温暖な四国から、寒冷な東北の地へ――。更なるレベルアップを目指し、彼は飛び立ったのだった。

(第2回につづく)

桃田賢斗(ももた・けんと)プロフィール>
1994年9月1日、香川県生まれ。7歳でバドミントンを始め、小学6年時に全国小学生選手権大会のシングルスで優勝した。中学からは地元を離れ、福島の富岡第一中に入学。3年時には全国中学校大会のシングルスを制した。富岡高進学後は、2年時に全国高校総合体育大会(インターハイ)のダブルスで優勝、シングルスで準優勝を果たした。3年時にはインターハイのシングルスを制すと、アジアユース選手権、世界ジュニア選手権などの国際大会でも優勝を収めた。高校卒業後はNTT東日本に入社し、1年目から活躍。全日本社会人選手権で頂点に立つと、全日本総合選手権大会でベスト4に入った。昨年は男子国別対抗戦のトマス杯に出場し、日本の初優勝に貢献。全日本総合ではシングルスで準優勝した。BWFスーパーシリーズファイナルにも出場。日本人最高のBWF世界ランキング14位(2月26日時点)に入る。身長174センチ。左利き。

(文・写真/杉浦泰介)




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