先日報じられたトルコのエルドアン大統領が暗殺を恐れ、専門家に食事の“毒味”をさせているとのニュースにはびっくりした。もし一昨年9月、アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれた2020年五輪・パラリンピック開催都市を決めるIOC総会でイスタンブールが勝利していたら、世界の視線は、もっと厳しいものになっていただろう。国家元首が毒殺を警戒する国で開催される五輪の、どこが“平和の祭典”なのか。
 時計の針を2年前に戻そう。東京、マドリードとの三つ巴の招致レースで当初、トップを走っていたのは5度目の五輪挑戦となるイスタンブールだった。「イスラム圏初」「東西の架け橋」といったキャッチフレーズが新鮮に聞こえた。

 ところが、5月にイスタンブールを中心に反政府デモが発生し、多くの死傷者が出た。警官が催涙ガスや放水車を使ってデモを鎮圧している映像は、とても五輪を招致しようとしている都市の姿ではなかった。
 さらには国境を接するシリアの内戦も激化し、米国のオバマ大統領はアサド政権が反体制派に化学兵器を使って大量殺戮したとして、空爆の時期を探っていた。

 この翌年、確かに米国は空爆を開始した。だが米国のターゲットはアサド政権ではなく、イラクとシリア領内に「版図」を広げるイスラム過激派組織IS(イスラム国)だった。空爆はISの勢いを削ぐ上で一定の効果があったようだ。占拠していた油田を破壊することで資金源にも打撃を与えたと見られている。

 内戦や軍事行動はおびただしい数の難民を生む。人権団体アムネスティ・インターナショナルによるとシリアからの難民は昨年末の時点で380万人に達し、そのうちの4割がトルコに流入したと見られる。難民を保護するコストだけでも国家財政を圧迫しかねない。

 ブエノスアイレスでのIOC総会前には「イスラム国」のイの字もなかった。それが今や世界を脅かす最大のリスクとなっている。もしイスタンブールが選ばれていたら、テロリストたちの格好の標的となっていただろう。トルコは五輪どころではなかったはずだ。

「開催される7年後までのスパンで考えるべきだ」とはIOC総会前のジャック・ロゲ会長(当時)の言葉だが、先見の明があったということだろう。いや、まだ早い。東京が成功裡に終われば、の話である。

<この原稿は15年3月11日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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