日本サッカー協会(JFA)は今年1月15日、7種目の障がい者サッカーの競技団体(日本ブラインドサッカー協会、日本脳性麻痺7人制サッカー協会、日本ろう者サッカー協会、日本知的障がい者サッカー連盟、日本電動車椅子サッカー協会、日本アンプティサッカー協会、ソーシャルフットボール協会)へのサポートについて発表しました。
 4年前にスポーツ基本法が施行、昨年度から障がい者スポーツの管轄が厚生労働者から文部科学省へと移行、そして2020年東京オリンピック・パラリンピック開催の決定。このような社会の流れの中で、「誰でもサッカーを」というJFAのグラスルーツの理念と、障害者スポーツへの支援が一致し、実現したものです。
 JFAは17年までに「障がい者サッカー協議会(仮称)」を設置し、18年以降、障がい者サッカーの7団体を統括する団体創設を検討、JFAのサポートで各種目の組織力の向上をめざすとしています。国際大会では、同じ代表ユニホームを着用する案も出ており、これは大きな話題になるのではないでしょうか。

 このような動きが起きている中で、今回は障害者スポーツの競技団体について、考えてみます。これまで一般のスポーツと障がい者スポーツの団体間では、障がい者スポーツの大会に一般スポーツの団体から審判を派遣するなど、現場での連携が行われて来ました。が、そもそも別団体ですから、団体運営そのものにはつながりは見られませんでした。

 周知の通り、障がい者スポーツをめぐる環境には急速な変化が起こり、障がい者スポーツの競技団体は、これまでにない大きなうねりのまっただ中にいると言っても過言ではありません。。障がい者スポーツの競技団体は一般スポーツの競技団体と比べると規模の小さいものが多く、善意のボランティアで成り立っている例も少なくありません。たとえば団体の事務局が、個人宅や障がい者スポーツセンターの中に置いているところもあります。

 私がそのことを初めて知ったのは、04年にある競技団体の会長を初めて訪ねた時のことです。JFAハウスのような建物を想像していたため、なかなか事務局を見つけられませんでした。やっと見つけて訪ねるとそこは会長のご自宅だったのです。普通の住居に事務局があることを知った時、私は衝撃を受けました。更に大会に行くと、現役選手でもあったその会長は、前日から設営など準備に携わり、当日はマイクを持って開会式で挨拶をした後に、自ら試合に出る、と何役も担っていたのです。また、他の団体では、代表監督と会長を兼任している方もいました。強化と事務局運営をするために、会社を辞め、時間をつくれる自営業に転職した方もいらっしゃいます。

 数年前からは、競技団体が日本パラリンピック委員会(JPC)からの強化費を、事務局運営費に充てることができるようになりました。しかし「これまで、みんなの役に立ちたいという『気持ち』でやってきただから、給与を支払うと言われたらできない」と返納を申し出る団体があったと聞きました。長年団体や選手を支えてきたのは、善意のボランティア精神からというのが理由ではありますが、一方で「それほど(給料をもらってやる)の責任は持てない」という気持ちもあるのです。

 ただ、このことは単に「意識が低い」から起こるのではありません。ここは誤解が多いところです。

 時代は変わり、改革は必然

 近年、障がい者の自立が進み、障がいがあっても様々なことに取り組む人が急増しました。趣味を楽しむ人が増えると、それをサポートするボランティアも増えてきました。旅行のガイド、買い物のサポート。そんな中に趣味としてスポーツをする人のサポートをするボランティアの人達がいました。数十年の時を経て、このスポーツを楽しむ人たちの中に、競技として取り組む選手が出てきました。やがて競技がエリートスポーツ化し、選手は国際大会やパラリンピックへと出ていき、超エリートスポーツの分野ができてきました。

 またスポーツ基本法やパラリンピック開催決定などの影響もあり、自治体や企業などから障がい者スポーツのイベント開催や講師派遣の依頼も増えてきました。これまでの、「スポーツを楽しむ人達を手伝いたい」というボランティア活動の領域をはるかに超えてしまったのです。趣味の人たちをサポートする団体は、スポーツの普及、育成。強化と多くの機能を求め合っていきました。それまでの運営体制では回りきらないのは自明の理です。

 競技団体は変革のときを迎えました。その動きは、先述のサッカーのような例にとどまりません。JPCは日本財団の協力を得て、加盟競技団体の事務局の場所の提供、財務管理や法人化などサポートする組織を立ち上げる方針を固めています。財務や法務の専門家を派遣し、競技団体自体の“強化・育成”を計る狙いがあり、その組織力向上が見込まれます。私見を述べれば、JPCや日本財団に限らず企業が障がい者スポーツ競技団体のマネジメントをサポートするかたちがあってもいいと考えています。

 障がい者のスポーツはリハビリから、遊びのスポーツ、そして競技スポーツ、エリートスポーツの分野にも広がり、発展してきました。また「する」人たちだけだったスポーツに「見る」「支える」というひとたちが加わった。こうした変化によって増えてきた競技団体の業務や重責に対して、競技団体が脆弱だからうまくいかないと片付けるのは短絡的でしょう。そして、これまで通り任せるのも賢明ではありません。様々な機関や人が手をとり合い、競技団体の改革に協力し、パラスポーツを盛り上げるという感覚で参加することが肝要ではないでしょうか。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
 新潟県出身。障がい者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障がい者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障がい者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障がい者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障がい者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。