柔道とは何か――。その問いに、かつて吉田秀彦はこう答えた。
「媚薬のようなものですね。あの勝負の緊張感を一度味わってしまったら、それに代わるものを他の分野で見つけることは不可能です」
 バルセロナ五輪の金メダル、現役引退、そしてカムバック。戦場を青畳からリングへと移しながら、吉田はファイターとしての炎を燃やし続けてきた。そんな生粋の武人が、4月25日の中村和裕戦(日本武道館)をもって完全燃焼する。吉田の柔道家人生を当HP編集長・二宮清純がこれまでに実施したインタビューから振り返りたい。
二宮: 吉田選手の格闘技人生の原点は柔道の私塾・講道学舎にあると思っています。劇画の「タイガー・マスク」(梶原一騎原作)に“虎の穴”というプロレスラー養成機関があり、ものすごいスパルタ指導が行われているのですが、私はつい、この“虎の穴”を連想してしまう(笑)。
吉田: そうそう、本当にそんな感じですよ。玄関には虎の顔の剥製が吊るされてあるようなイメージですね。アハハハ。

二宮: 厳しさは、それこそハンパじゃない。
吉田: もう毎日が必死でしたね。“愛のムチ”をたくさんいただきました。

二宮: ムチって比喩じゃなく、本当のムチなんですよね(苦笑)。
吉田: そうです。競馬の騎手が持っている本物のムチ。練習で気合が入っていないとなると理事長からビシビシやられました。

二宮: まさに“虎の穴”だ!
吉田: その当時は“このヤロー!”と思いましたよ。でも今にして思えば、ありがたいことですよね。齢をとればとるほど、そのありがたみがわかります。

二宮: 練習でもまったく妥協は許さないと?
吉田: たとえ先輩が相手でも“負けて当たり前”という考え方は許されない。もちろん後輩に負けるわけにはいかないから先輩も必死でやってくる。(指導者の目を盗んで)蹴りを入れたり頭突きを入れたり、もう何でもありでしたね。

二宮: やられたらやり返すとかは?
吉田: いや、さすがに先輩相手に反則技は使いませんが、向かっていって思いっきりブン投げたりはしましたね。逆にそうしないと先生から怒られるんです。何しろ妥協は一切許されませんでしたから。

二宮: 「妥協しない」という言葉は吉田選手の2年先輩の古賀稔彦さん(バルセロナ五輪71キロ級金メダリスト)も、よく口にしますね。
吉田: そうですね。それが吉村和郎先生の教えです。先生に言われたのは、とにかく自分自身に負けちゃいけないと。練習で自分自身に負ける者は、必ず試合でも自分に負けると、試合の勝ち負けよりも中身について厳しく指導されました。

二宮: 古賀さんとの関係は?
吉田: 古賀先輩はやさしかったですね。練習ではともに一切妥協しませんから、ムキになってやり合ったこともあります。でも練習が終わると、そこから先はもう普通ですね。練習以外で古賀先輩が怒っているところって全く記憶にないんです。僕は弱かったんで、他の先輩にいろいろと使い走りにされていたんですけど、古賀先輩についていた時に誰かが僕の名前を呼んだ。その時、古賀先輩が「今、(吉田は)使っているから」と言うと、誰も逆らえないので何も言ってこない。「これだ!」と思いましたよ。ずっと古賀先輩のそばにいればいいんだと(笑)。

二宮: その古賀さんと因縁ですが、ともに出場したバルセロナ五輪で、2人とも金メダルを獲得した。結果的には最高のかたちになったわけですが、乱取りの最中に古賀さんが左足を負傷し、大騒ぎになった。古賀さんはソウルでもメダルなしに終わっているから、2大会続けて表彰台に立てないとなると、彼の柔道人生は汚点だけが残ってしまうことになる。後輩として、しかも事故のもう一方の当事者として、この時ばかりは相当、精神的に追い詰められたのでは……。
吉田: あの時は、古賀さんが背負いにきたところを僕が踏ん張った。それでも無理に持っていこうとして足が滑って内側に入ってしまった。その瞬間、ボキッと音がしましたよ。さすがに、これはやばい、と思いましたね。

二宮: ご自身が青くなったのでは?
吉田: ソウルで負けた時のことも知っていますからね。実はあの時の付き人が僕だったんです。古賀さんの悔しさは誰よりも知っているのに、またこんなことになっちゃったわけでしょう。さすがに僕もショックで、あれからは練習に身が入りませんでした。代わってあげられるなら、代わってあげたかったですよ。

二宮: ところが、いざフタを開けてみるとオール一本勝ちの金メダル。「この吉田秀彦という男は心臓に毛が生えているんじゃない」と思ったことを覚えています。
吉田: 僕のはオマケですよ。あの時は逆に古賀先輩が僕に気を遣ってくれたんです。「オレは大丈夫だから心配するな。オマエなら必ず金メダルが獲れる」と。翌日が古賀先輩の試合だったので、喜びは半分でしたよ。周りのコーチは大泣きしているので泣きマネはしましたけど、涙はあまり出なかったですね。先輩の試合当日は、神様とか信じない人間なのに、初めて神様にお願いしました。結局、2人とも金メダル。おいしい部分は最後、古賀先輩が全部持っていった(笑)。

二宮: 勝負事は紙一重です。その8年後のシドニー五輪では3回戦でブラジルのカルロス・オノラトという選手に内股でよもやの一本負け。あの時、私は目の前にいたのですが、イメージ的に投げられたというよりも撃ち落とされたというニュアンスに近かった。大げさではなく死んだんじゃないかと思った。
吉田: 僕もまさか投げられることはないと思っていました。あの選手とは前の年にもやって、その時は逆に僕が一本勝ちしているんです。相手の内股で体がフワリと浮いてからは、もうスローモーションの世界。受け身で畳に手をついた瞬間、ヒジの関節が抜けていくのがわかった。関節がグルグル回るというか……。自分の腕が曲がるはずのない方向へ曲がってしまった。これが脱臼か、と投げられながら思っていましたね。

二宮: 「痛みは我慢できる」という吉田選手ですが、あれは我慢できなかったでしょう?
吉田: ありえないところに指があった(笑)。試合が終わると、そのまま救急車に乗せられて病院に直行。それでも痛みがやわらぐまでには時間がかかった。おっしゃるように「オレ、死ななくてよかった」と思いましたよ。今は、もっと危ない世界にいるんですけど(笑)。

二宮: そこをお訊きしたい。一線を退いた後は明大柔道部の監督になり、新日鉄にも籍を置いていたら生活には何の不安もない。金メダリストということで社会的なステータスもある。獲れない獲れないと言われてきた世界選手権チャンピオンの称号も99年に手に入れた。柔道選手として、およそ考えられる最高の成功と名声を手にしながら、それでも癒すことのできない何かがあったと?
吉田: ウーン、大学の監督をやっている時に一番感じたのは「オレがいなくてもあまり変わらねぇな」ということ。やるやつはやるし、やらないやつはやらない。求められている監督の仕事って、良い選手を集めてきて、問題を起こさせずに4年間やらせて、就職を世話すること。この3つなんです。だから選手たちを管理しているんだという意識はあっても、育てているんだという実感はあまりなかった。
 会社もそうです。初めて出社して自分の机の席に座って周りを見る。すると本当に一生懸命仕事をしているんです。その時に思いました。「オレは、いったい何をしにここにきたんだろう」って。あまりにもギャップが大きすぎた。言いようのない孤独感。すぐに「これはオレの仕事じゃない」と悟りました。

二宮: やはり吉田選手は根っこが武人なんですね。講道学舎イズムが血となり、骨となっている。
吉田: 勝負というのは突き詰めると、すべて自分との戦いです。よく、どの試合が一番しんどかったかと聞かれるのですが、全部しんどかった。楽な戦いなんてひとつもありません。いつ自分が、どういう状況に陥るかわからないし、予測もつかない。でも逆にその緊張感がいいんでしょうね。

二宮: 2006年のPRIDE無差別級GP2回戦のミルコ・クロコップ戦では生涯初のTKO負けを喫しました。自らの左足を破壊したミルコの右ローキックの威力は戦前の予想を超えていましたか?
吉田: ハンパじゃなかった。1発目でガクンときました。今まで感じたことのない痛みでした。

二宮: どんな痛み?
吉田: ウーン、バットで殴られたような痛みですね。あれは耐えられない。単なる痛みなら何とかなるんですけど、足に力が入らなくなっちゃった。足に心臓があるみたいにドックンドックンしている。一度(キャンパスに)寝て、そこで痛みをやわらげて、またやろうと思ったんですけど、タオルを入れられた。仕方ないですね。正直言うと、あれ以上やっても厳しかったと思います。

二宮: ムエタイ選手のように足を上げてダメージを軽減すればいいのに、と思って見ていましたが……。
吉田: そこがダメなんですよね。僕ら(柔道出身の選手)って、自然と踏ん張っちゃうんですよ。相手に攻められるとグッと下半身に力を入れるというクセがついてしまっている。これってキックボクシングの選手とは正反対の動きなんです。

二宮: リングではいろいろな格闘家と拳を交えてきましたが、もっとも印象に残る相手は?
吉田: これが総合格闘技のプロの試合なんだと感じた相手はヴァンダレイ(・シウバ)ですね。強かったし、やっていておもしろかった。何か噛み合うので、ワクワクしながら戦っていました。やはり自分がやっていておもしろい試合は、お客さんも見ていておもしろいんでしょうね。ヴァンダレイには2度とも判定で負けてしまったのに、お客さんが「吉田、頑張ったな」と声援をくれました。それまで勝負の世界って勝たなきゃ意味がないと思っていたんです。でも、プロはそうとも限らない。いい仕事ができたなという充実感がありました。

二宮: 勝負の極意は?
吉田: それは絶対下がらないこと。これも講道学舎の吉村先生から教わったことです。格闘技もケンカも一緒。下がったほうが負けです。

二宮: 勝つ喜びも負ける悔しさもすべて知っている。もう平穏な世界には戻れないかもしれませんね。
吉田: 勝った時の喜びを知っているから、もう一度、もう一度とまた味わいたくなる。それがあるから、この齢になってもきつい練習に耐えられるんだと思うんです。周りから見たら、ぼくなんて、ただのオヤジですよ。アッハッハッ。

二宮: 勝負の世界から離れてしまって満足できるでしょうか?
吉田: 確かに今回、引退して選手としてハラハラドキドキする気持ちは味わえなくなってしまう。だから、次は自分が育てた弟子の試合を見てハラハラドキドキしたい。指導者として一発勝負できればと思っていますよ。

<このインタビューは『Number』(2006年8月10日号)に掲載された原稿と、BS朝日『勝負の瞬間(とき)』(2010年3月14日)で放送された内容から抜粋し、再構成したものです>