泉武志(一宮グループ)は、愛媛県八幡浜市で食品卸業を営む一家の3人兄弟の末っ子として生まれ育った。父親に武士の志を持って欲しいと名付けられた子供は、わんぱくに成長していった。彼には、血の繋がった兄以外にも2人の“兄”がいる。近所に住む竹口家の2人兄弟だ。泉家と竹口家の子供たちは、よく5人で近くの公園で遅くまで遊んだ。“兄”たちを追いかけながら、負けん気の強い武志少年は大きくなっていった。しかし、年の離れた“兄”の背中は遠かった。
 父親は陸上の長距離でインターハイに出場した経験を持つ。その遺伝子を受け継ぐ末っ子は同学年の中では運動神経が良かった。泉は「球技が好きで、何やってもだいたいできましたね」とそつなくこなした。だが、“兄”たちにはいつも敵わなかった。全国大会や国体に出るほどスポーツ万能で勉強もできた4人の“兄”たちは憧れであり、越えられない壁でもあった。

 小学3年から始めたバスケットボールではチームのキャプテンを務めた。中学では学校にバスケ部がなかったため、軟式テニス部に入る。県大会ベスト16には入ったが、ズバ抜けた実力はなく、全国大会は遠かった。“兄”たちのようにはいかない。中学卒業後、泉は県立の八幡浜工業へ進学する。4人の“兄”はいずれも進学校である八幡浜高校のOBだった。まだまだ同じ道は辿れなかった。

 球技から格闘技への転向

 高校ではバスケ部に入部した。「NBAの選手になる!」と夢見ていた泉だったが、強豪校ではない同校では、全国大会への道のりは険しそうだった。2人の実兄からは「オマエだけは(全国に)行けない」と、からかわれたりもした。季節は変わり、高校1年の冬。泉は「オレも全国大会に出たい」と一大決心をする。

 八幡浜工はレスリング強豪校。指導者には世界選手権日本代表になった経験を持つ栗本秀樹がいた。「レスリングにいい指導者がいると聞いていた。これなら目指せると思ったのがきっかけです」。栗本の方か誘いがあったわけでも、泉自身がレスリングに興味があったわけでもなかった。

「どうしても全国に行きたかった」。ただ、その想い一心だった。

 一方で栗本は、泉をこう見ていた。秋に校内で行われたマラソン大会。彼の走りを見て「コイツ、走るのが速いな。ウチに来て入ったら面白いのになぁ」と思った。しかし、胸の内はそうでも他の部に所属する生徒を簡単に誘うわけにもいかなかった。

 運命のイタズラか、必然か。泉はレスリング部の門を叩き、2人は巡り合うこととなる。「全国大会で活躍したいんです」と栗本に打ち明けた泉。志高く持っていたが、幼少の頃からレスリングを始める者が多い中、球技から転向してきた彼が、そう易々とレギュラーの座を掴めるほど甘い世界ではない。

 身体と比例して大きくなる目標

 栗本は「ガッツがあって、元気がいい。アイツは限界までチャレンジしますね」と泉のハングリー精神を評価する。そのガッツと根性で泉が「厳しさの上に愛がある」と表現する栗本の指導についていった。強くなるために、ハードな練習を課せられた。泉は挫けそうになったこと、やめたくなる時もあった。それでも「全国に行くんだ」と歯を食いしばった。

 泉にとって、4人の“兄”の中で、一番仲が良かったのが竹口隼人だった。地元を離れ、大阪に出ていた竹口はお盆明けや正月に愛媛に帰省した。普段から泉を見ていない分、変化には驚かされた。会う度に身体が大きくなっているのを感じ、「格闘家の身体になってきたなぁ」と強豪校でもまれた“弟”の成長に目を丸くしたという。

 持ち前の負けん気で、鍛錬を積んできた泉は、レスリングの実力も徐々についてきた。3年の全国高校総合大会(インターハイ)では団体戦に出場。自らの階級では同級生にその座を譲り、試合に出られなかったが、違う階級でメンバーに滑り込んだ。八幡浜工のインターハイベスト8に貢献した。ついに“兄”たちが歩んできた全国への道を通ることができた。

 レスリングと出合い、念願の目標は達成された。高校2年間で逞しくなった肉体。大きくなったのは身体だけではない。目指すものも自然と膨らむ。
「次は日本一になりたいという夢が出てきました。今までやってきたスポーツはどれも中途半端だった。何も結果が残せず終わっていたので、“せっかくやったら日本一。何かを極めたい”と思って、大学でもレスリングを続ける事にしたんです」

 彼が日本一になるために選んだのが、日本体育大学だった。言わずと知れたスポーツ名門校である。泉はこうと決めたら、一本槍。恩師の栗本も通った大学で、「日本一」という新たな山の登頂を目指すのだった。

(第3回につづく)
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泉武志(いずみ・たけし)プロフィール>
1989年4月6日、愛媛県八幡浜市生まれ。八幡浜工高校2年からレスリングを始める。3年時には全国大会に出場するも個人では目立った成績は残せなかった。名門・日本体育大へと進むと、4年時には全日本学生選手権(インカレ)グレコローマンスタイル60キロ級優勝。インカレ王者に輝くと、国民体育大会成年男子同級で準優勝などの好成績を挙げた。大学卒業後は現役を引退。TV番組の制作会社に勤めたものの、12年のロンドン五輪に刺激を受け、復帰を決意した。翌年の全日本社会人選手権グレコローマンスタイル66キロ級で優勝すると、NYACホリデーオープン(米国)も制した。14年は全日本社会人選手権と国体を制すと全日本選手権初制覇を成し遂げた。今年はアジア選手権に出場。全日本選抜選手権では初戦負けを喫したが、プレーオフで勝利を収め、自身初の世界選手権切符を手にした。一宮グループ所属。174センチ。

(文・写真/杉浦泰介)




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