今年3月に行なわれたバンクーバーパラリンピックでアルペン競技としては日本初の金メダルに輝いたのが狩野亮選手だ。前回のトリノ大会では思うような結果を残すことができず、初めて挫折を味わった。「自分の甘さに気づかされた
」という狩野選手は厳しいトレーニングを課し、バンクーバーでのリベンジにつなげた。金メダルにはその4年間の努力がつまっている。そして、狩野選手を支え続けてきたのがアミューズメント店経営大手のマルハンだ。当サイト編集長・二宮清純が狩野選手と韓裕マルハン社長とに独占インタビュー。そこには企業とアスリートとの理想的なかたちがあった。
(写真:バンクーバーでは現地まで応援にかけつけた韓社長<右>。その期待に応えた狩野選手<中央>)
二宮: バンクーバーでは金メダルと銅メダルを獲得しました。4年前のトリノ大会では結果が出ず、悔しい思いをしたことでしょう。この4年間は相当な決意をもって努力されてきたのではないでしょうか。
狩野: そうですね。実は、トリノ大会までは特にいい成績を挙げていたわけでありませんでした。それでも僕の将来性を見込んでくれたコーチが周囲の反対を押し切って選出してくれたのですが、全く結果を出すことができませんでした。そこで初めて、いかに自分が甘かったかを痛感させられました。「このままではダメだ」と気持ちを入れ替えることができました。

二宮: 社長は2年間、狩野選手を支援しながら見守ってこられたわけですが、「今回はいける」という感触はあったんでしょうか。
: 狩野くんが相当な努力をしてきたことはわかっていましたから、なんとかメダルを獲って欲しいという気持ちはありました。でも、まさか金メダルとまでは思っていなかったので本当に感動しました。本人としては前日の滑降で銅メダルを獲れたことで、優勝したレースでは気持ちが吹っ切れていたんでしょうね。

二宮: 前日の滑降で銅メダルを獲れたことで、やっぱり気持ちが楽になったところがあったと。
狩野: はい。目標として「メダル1個は獲りたい」という気持ちはありましたから、滑降で銅メダルが獲れて肩の荷が降りた感じでした。だからこそ、翌日のスーパー大回転では楽しく滑ることができました。やっぱり最初の銅メダルがなければ、金メダルはなかったと思いますね。

二宮: 過去最高のパフォーマンスだったのでは?
狩野: 最高というよりは、いつも通りという感じですね。無理をすることもなく、コーチや先輩の指示に従って、今できる精一杯の力を出し切ることができました。

二宮: 当日のコースの雪質はいかがでしたか?
狩野: もともと天候が安定しない地域で、僕らのレースの前に雨が降ってしまったんです。それこそ何十人もの選手が滑るので、それに耐え得るコースをつくるために、レース前には雪面を凍らせる作業が行なわれました。チェアスキーは板が一本しかありませんので、ちょっとコースから外れてしまうとすぐに転倒してしまいます。ですから、斜面が凍っているのは僕にとっては少しハードルが高かったですね。とにかくコーチの指示通りに攻めるところは攻めて、守るところは守って滑りました。

二宮: それではコーチのアドバイスが適格だったと。
狩野: そうですね。僕自身も前日に銅メダルを獲って気持ちが落ち着いていましたので、滑っている最中も焦ることなく冷静に「ここはこういう指示だったな」と一つ一つ思い出しながらしっかりと滑ることができました。

二宮: 支援してきた選手がメダルを獲ると、会社としてもいい刺激になるのでは?
: そうだと思います。うちは社員が1万人以上いますが、全国に散らばっています。普段狩野くんと接している社員はほんの一握りしかいません。ですから、狩野くんの存在を社内に広めていく活動をすることで、彼の頑張りを知ってもらうところから始めました。その結果、バンクーバーパラリンピック前には社内でも応援ムード一色という感じでした。彼が結果を出してくれたこともあって、彼の勇姿が多くの社員を勇気づけたり、さまざまなことを考えさせてくれました。彼を支援してきたことは会社にとっても、非常に意味のあることだったと改めて感じました。


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